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三菱重工爆破事件の概要・犯人や被害者などの関連人物・死者
2018年10月02日

三菱重工爆破事件の概要・犯人や被害者などの関連人物・死者

かつて日本でもテロリストによる「テロ」が頻繫に発生したことがありました。そのひとつが「三菱重工爆破事件」です。この事件は、どうして起こり、どのような思想的背景があったのか、「クアラルンプール事件」「ダッカ事件」との関連性も含めて解説していきましょう。

三菱重工爆破事件の全貌は?

三菱重工爆破事件の全貌は?

三菱重工爆破事件の概要

三菱重工爆破事件は、1974年8月30日の昼過ぎ三菱重工業東京本社ビルで発生した無差別爆弾テロ事件です。その後の連続企業爆破事件のきっかけとなります。この三菱重工爆破事件で死者8名、負傷者376名という被害者を出し、当時では戦後最大のテロ事件となりました。

この事件は「ダイアモンド作戦」と呼ばれ、その約1か月後に「東アジア反日武装戦線 狼」から犯行声明が出されました。

三菱重工爆破事件は、戦前の日本の帝国主義のスポンサーとしての三菱グループに対する攻撃であるとされ、その従業員も無関係ではなく、三菱に寄生して帝国主義に加担していると結論付けています。そして、海外進出を停止して、海外資産を凍結するように要求しました。

三菱重工爆破事件の背景

「東アジア反日武装戦線 狼」は、第二次世界大戦を「侵略戦争」と位置付けて反帝国主義や反植民地主義を強硬に主張する一環として、軍需産業のリーディングカンパニーであった三菱重工業にターゲットを絞り込んで三菱重工爆破事件を実行しました。

三菱重工爆破事件の犯人は?

三菱重工爆破事件の犯行グループ「東アジア反日武装戦線 狼」のメンバーであったのが、大道寺将司、大道寺あや子、佐々木規夫等です。この「東アジア反日武装戦線 狼」の思想的背景は、反日亡国論やアイヌ革命論を展開する反日アナキズム思想と考えられています。

「東アジア反日武装戦線」とは?

「東アジア反日武装戦線」の原点は、1970年に三菱重工爆破事件の首謀者大道寺将司が法政大学在学中に創設した「Lクラス闘争委員会」とされています。当時は、学生運動(全共闘運動)が最も活発化した時期でもあり、多くの賛同者を獲得していきます。

1970年8月、三菱重工爆破事件の首謀者大道寺将司や「Lクラス闘争委員会」のメンバーが中心となって「研究会」を立ち上げて、戦前に日本がアジア諸国で展開した「帝国主義」「植民地主義」を徹底的に分析して、急進的な反日思想を扇動していきます。

また、カストロによるキューバ革命の影響も受けて、自分達のイデオロギーを実現させるには、武力闘争も辞さないスタンスに傾斜していきます。また、11月には星薬科大学の大道寺あや子も合流しました。

そして、1972年12月に「東アジア反日武装戦線」という名称に変更され、反日思想を実現するため段階的に武装準備を進めていき、1974年8月の三菱重工爆破事件に発展していきます。

三菱重工爆破事件のその後はどうなったの?

三菱重工爆破事件のその後はどうなったの?
三菱重工爆破事件の翌年の1975年5月までに犯人は全員逮捕されます。しかし、佐々木規夫は日本赤軍によるクアラルンプール事件で釈放され国外逃亡します。さらに、大道寺あや子も日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件により釈放されます。ともに、日本政府の超法規的措置という取り扱いでした。

日本赤軍とは?

日本赤軍とは、1971年頃に重信房子や奥平剛士が中心メンバーとして創設された新左翼系団体、共産主義武装組織のことです。世界革命の一環としての日本革命を模索するため、1974年頃に「日本赤軍」と正式に名乗り、中東レバノンのベッカー高原をアジトとし、イスラエルと対峙していたパレスチナ解放人民戦線との連携を深めていきます。

反イスラエル闘争として、国際空港襲撃や航空機ハイジャックや大使館占拠等のテロ事件を繰り返し実行して、自らのイデオロギーの実現に奔走していきます。その際、リビアのカダフィ大佐の支援を受けていたとされます。そして、その後三菱重工爆破事件の犯人の佐々木規夫や大道寺あや子も合流することになります。

超法規的措置とは?

超法規的措置とは、三菱重工爆破事件後に日本赤軍が外国大使館占拠や航空機ハイジャックにより人質をとり、服役・拘置中のメンバーの海外出国を要求し、日本政府がその要求に応じたことを指します。結局、この二つの事件で合計11名が釈放されました。

現在では考えられませんが、人質の人命尊重とはいえテロリストとまともに交渉して全面的に要求に応じています。当時の弱腰の日本政府のスタンスに世界各国からパッシングが浴びせられるとともに、国内においても政府の対応に異論が噴出したのです。

三菱重工爆破事件の関連事件は?

三菱重工爆破事件の関連事件は?

クアラルンプール事件

クアラルンプール事件とは、三菱重工爆破事件の約1年後の1975年8月4日、5人の日本赤軍メンバーが、マレーシアのクアラルンプールにあるアメリカ大使館等を占拠し、52人の人質を取り立てこもった事件のことです。

そこで犯人達は、三菱重工爆破事件の首謀者佐々木規夫を含めた7人の活動家メンバーの釈放を要求しました。これに対して、日本政府は7人のうち出国意思のある5人を釈放してクアラルンプールに移送したのです。そして、犯人達は8月7日にアフリカのリビアに向かい、翌日リビア政府に投降しました。現在も、三菱重工爆破事件の首謀者佐々木規夫は海外逃亡中です。

ダッカ事件

ダッカ事件とは、1977年9月28日にバングラデシュのダッカで、5人の日本赤軍グループにより日航機がハイジャックされた事件です。この事件でも、クアラルンプール事件と同じように、服役中及び拘留中の9人の活動家メンバーの釈放と600万ドル(当時の換算レートで約16億円)の身代金を要求しています。

これに対して、日本政府は9人のうち出国意思のある6人を釈放しました。ここでも、三菱重工爆破事件の犯人大道寺あや子が釈放されることになり現在も海外逃亡中です。

三菱重工爆破事件の教訓

三菱重工爆破事件の教訓

学生運動

三菱重工爆破事件の根底には、学生運動の行き詰まりという閉塞感を打破しようとする拙速で短絡的な行動が見え隠れしています。

1960年頃の「安保闘争」から1970年前後の「全共闘運動」「大学紛争」が学生運動のピークでしたが、その後の三菱重工爆破事件等の先鋭化したテロ活動や内ゲバ(内部抗争)等により学生のみならず国民からも支持を得られなくなって、衰退の一途の道を辿ることになります。

「正義」とはなにか?

当時の学生や若者は、親や教師等から押し付けられる古い価値観に疑問を抱き「真実」「正義」とは、一体何でどこにあるのかを探ろうとしていきます。大人たちが正義としてきた「帝国主義」「植民地主義」「軍国主義」が全面否定されたにもかかわらず、その指導のベースはそういった価値観が払拭されずにいました。

そこで、彼らは共産主義をベースにした理想社会実現に向けて行動を起こします。しかし、そこには自分達のイデオロギーが絶対で、他のイデオロギーを一切排除しようという若者特有の「思い込んだらどこまでも突っ走り、修正がきかない」という部分が散見されました。

実際、その後の学生運動のリーダー達は、帝国主義の「悪」として位置付けていた大企業に就職し、日本の高度経済成長の一端を担うことになります。まさに、これこそ「自己矛盾」の典型事例となってしまいました。

憲法改正議論から読み解く帝国主義

憲法改正議論から読み解く帝国主義
この三菱重工爆破事件を通じて、戦前の日本の「帝国主義」の現実が垣間見えてきました。現在、政権与党が衆議院の三分の二の議席を確保している中、憲法改正議論が活発化しています。

この憲法改正議論の中で、第9条の戦争放棄、戦力の不保持等の部分の改正については、近隣のアジア諸国や国内のリベラル派議員等から「帝国主義」の復活であるとしてアレルギー反応がでています。

一方、現在の「日本国憲法」が占領下時代にアメリカによって押し付けられた憲法である限り、「日本国民の日本国民による日本国民のための憲法」を自主的に改正することが必要であるという意見もあります。

この10月22日に衆議院総選挙が実施されます。その与野党の論戦において、この憲法改正がしっかりと議論されることを期待するとともに、私達国民一人一人がこの三菱重工爆破事件を顧みて、「帝国主義」の功罪について再認識をすることが必要です。

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