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2018年10月02日

沖縄米兵少女暴行事件の概要や被害書の詳細・その後

私達は、本当の沖縄の現状をどの位知っているでしょうか?実は沖縄の殆どの土地に駐在する米軍基地。そして、沖縄は戦後から現在まで、非常に苦しい犠牲を強いられているのです。残忍な沖縄米兵少女暴行事件など、いまだに起こっているのです。

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沖縄米兵少女暴行事件の詳細

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それほど昔でない、1995年9月3日沖縄の石川市、まだ幼稚園児の6歳の永山由美子ちゃんは、夕方一人で映画を観に行ったまま、戻ってきませんでした。当時の住居は2間ほどの狭い住居で、8時頃まで沖縄は明るいので子供達は、日が暮れるまで、外で遊んでいるのが多いのです。

そんな中、悲劇は起こってしまいました。由美子ちゃんは拉致され、何度も何度も暴行されたあげ句、その死体を米軍のゴミ箱に捨てられてしまいました。その遺体は、まるで鋭利な刃物で下腹部から肛門にかけて切り裂かれたようでした。犯人は、米軍黒人兵3名で実は、由美子ちゃんの拉致には、目撃者がいて、彼の勇気があってこそ、犯人が特定できたと言える事件でした。犯人は、アイザツク・J・ハート軍曹含む他2名の黒人米兵であった。

沖縄米兵少女暴行事件の判決

事件から、1週間後に逮捕されました。しかし、主犯格アイザツク・J・ハートの死刑宣告がされたのにも関わらず、アメリカに送還され、たった45年の刑で収監されました。当時の法は、米軍に圧倒的有利に制定された上に、日本人を人間とも思わないレイシズムがあからさまにあったのも否めません。

物を言えぬ圧倒的日本に不利な制度「日米地位協定(日米密約ー米兵の犯罪をできるだけ立件しないという密約)」が日本政府とアメリカ政府で交わされていたので、犯人をアメリカに帰されたら、引き渡しの法がなくなすすべもありませんでした。

驚くべき事に、由美子ちゃん事件があった9月11日にやはり黒人兵がとある家に土足で乗りこみ、その家の少女9歳を暴行したのです。

関連人物や行動

不思議な事に、このような沖縄米兵少女暴行事件大事件に対して、永山由美子ちゃんの両親は一切表にでず、主犯格の1名の黒人兵士の名前しか記載がなく、他2名の犯罪者名をいくら探してもでてきませんでした。また、2名の憲兵が由美子ちゃんを見つけてから、軍法会議での判決で死刑宣告から、次にアメリカへの送還され、減刑されています。

こういった状況の中、もう誰も助けてはくれない状態で、沖縄は、「子供を守る会」を結成しました。それでも、今だに沖縄米兵少女暴行事件は起こっています。これが反対の立場だったらどうなるのでしょうか。

犯人

沖縄米兵少女暴行事件を起こした犯人は、勿論3人の黒人兵士ではあるが、それまで何もしてこなかった日本政府も責任です。実際米軍基地内で起こった事件には無視をきめています。

これは、自国民を守りませんよと言っているのと同じであって、最も悪なのは犯人達をアメリカに返還させた人間であり、事件が起こっても見て見ぬ振りをする米兵も同じです。実際、沖縄米兵少女暴行事件が目の前で行われているのを知っていても、アメリカ兵士が日本人女性を助けた話は、聞いた事がありません。

抗議に参加していた、ある一般アメリカ人が、正直な気持ちを言っている。アメリカ軍は、戦争で勝ち取った物は戦利品と思い、この沖縄も、女性は戦利品に付属する、つまり物扱いしているのです。そこに人間に対する尊厳は存在しません。沖縄米兵少女暴行事件は、米軍にとっては、事件ではなくなってしまうのです。

被害者の少女

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沖縄の現実を描いた映画、「沖縄うずりんの雨」を作ったアメリカ人監督ジャン・ユンカーマンのインタビューからも、由美子ちゃんは、どんな子供だったのか明瞭な事はわかりません。

沖縄米兵少女暴行事件の年代は、6歳の幼稚園児です。普通の子供と変わらず、元気に遊ぶ無邪気な子供だったと想像できるます。そんな子供が、いきなり、3人の黒人兵士に暴行され続けた痛みと悲しみは、想像を遥かに超える苦しみだったでしょう。

遺体で見つかった時、草をにぎりしめ、歯をくいしばっていたそうである。誰にも助けてもらえず、自分の身体が最後に切り刻まれた時、彼女の余りにも短い人生が終わってしまったのです。

由美子

この有名な沖縄米兵少女暴行事件が起こって以来、しばらくは、生まれる子供の名前に由美子とつける事が減りました。自分の子供があの忌まわしい沖縄米兵少女暴行事件にあわないようにという、親心でしょう。

決して表に出てこない由美子ちゃんの親は、こういう現象を何と感じたのでしょうか。今、生きていたら、どうしているのでしょうか。もし、日本が毅然として人殺しを許さない法を作り、沖縄の人を守っていたならば由美子ちゃん沖縄米兵少女暴行事件は、起こらなかったかも知れません。

映画「沖縄うずりんの雨」の中でもある女性が「次々と友人が暴行されていった。いつ自分の番になるのか」と被害者達の名前を貼ったボードの前で、言っています。由美子ちゃん事件、そして悲しいかな現在までも沖縄米兵少女暴行事件は続いています。

海外の反応

沖縄米兵少女暴行事件の殆どが、黒人兵士によるものが多いため、アメリカでは、「人種差別だ」や「でも米軍人の大半の人達は本当に良い人ばかりです。日本には5万人近くもの米軍関係者がいる以上、一部の人がこのような事件を起こしてしまうのは防ぎようがないと思います。

では、何故良き軍人が悪い軍人を取りしまわないのかという問題がでてきます。「もう米兵は米軍キャンプの中だけで過ごすようにしろよ」「どうやら一部の米兵は法律や規則に従うという道徳観を持ち合わせていないようだな」と自国民がした不祥事に本当に嫌気がさしている人々も中にはいます。

沖縄米兵少女暴行事件は、残忍だが、所詮遠い国の出来事なのか。6歳の子供を暴行・殺すなどは、もう人間のする事ではありません。軍内でも女性兵士は、殆ど暴行されるといいます。逃れるには、上官にとりいっている者だけで、そんな軍が日本にいるのです。

沖縄米兵少女暴行事件のその後

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実は、沖縄米兵少女暴行事件は終戦後からしかも現在まで、多く続いています(年齢は悲惨な事に、9か月の赤ん坊から老人まで何でもありである)。しかも、米国が日本に第二次世界大戦で勝ってから、1945年から1952年まで米軍による日本占領があった際にも沖縄米兵少女暴行事件は、絶えませんでした。

沖縄は日本に返還されるまで、日本の法律にも守られませんでした。多くの沖縄米兵少女暴行事件が、報告されていないので、正確な数は想像できない程相当数になっています。終戦直後は、悲しいことに、女性達は、戦ってくれる男達がいない(戦争で殆ど若い男性は、亡くなってしまっていた)ので、アメリカ軍から凌辱を受けるなら、死を選んだ人も多かったのです。

沖縄米兵少女暴行事件や飲酒運転事故など平気で起こす米兵に、沖縄の住民はもう黙っていません。今はネットの時代です。個人の力でもSNSでも彼らの事件を投稿して、すぐに社会の反応を見る事ができます。女性も強くなってきています。自分の子供が沖縄米兵少女暴行事件のように巻き込まれたら、子供を守る策を練る勇気があるのです。

反基地感情の高揚

由美子ちゃん事件の後も、悲惨な沖縄米兵少女暴行事件や飲酒運転事故などは収まりませんでした。沖縄住民は、大きなでも集会を何度も起こし、「アメリカ軍は帰れ!」「沖縄から、去ってくれ」そんなプラカードをアメリカ軍につきつけました。

日米地位協定

不平等極まりないアメリカ有利の協定は、この為に、たとえ米兵の犯人が捕らえられても、日本政府と日本の警察は事件に介入できず、沖縄は沖縄米兵少女暴行事件などで訴えても、全く機能しないようにされていた協定です。

知っておくべき沖縄の真実とその犠牲

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1995年、その悲惨な沖縄米兵少女暴行事件は起こりました。なんと6歳の幼稚園児を3人の屈強な黒人米兵が拉致し、暴行し、殺害し、なんとその死体を基地内のゴミ箱にまるで、ティッシュを捨てるように放り込んでいったのです。

一体何人の沖縄米兵少女暴行事件が今までに起こっていたのでしょうか。今でこそ、やっと様々な事件が明らかになってきてはいますが、当事者の犯人達は、アメリカに返され、減刑されています。インタビューで事件犯人だった一人(どの事件の犯人かは不明)が、当時の事をどう思うか聞かれていたが、「わからない。何であんな事をしたのかわからない。」と述べています。

彼は刑務所にはいないようでした。それは、彼の後ろに彼の家族であろう写真が沢山並べてありましたし、明らかに彼はリラックスしていたからです。沖縄米兵少女暴行事件は、沖縄以外の基地でも今でも続いています。

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