Search

検索したいワードを入力してください

浅間山荘事件の概要・犯人や人質など関連人物
2018年10月02日

浅間山荘事件の概要・犯人や人質など関連人物

昭和史に残る衝撃的事件として有名な「浅間山荘事件」。ですが、浅間山荘事件がどのような事件か知らなかいという方も多いのではないでしょうか。この記事では、浅間山荘事件が起きた背景や事件の経過などを紹介します。浅間山荘事件に興味のある方はぜひ御覧ください。

浅間山荘事件の概要は?

浅間山荘事件の概要は?
浅間山荘事件(あさま山荘事件)は、1972年2月19日〜2月28日までの9日間、「連合赤軍」というテロ組織・新左翼組織のメンバー5名が長野県軽井沢町の「浅間山荘」に人質を持って立てこもった事件です。浅間山荘事件で人質が拘束されていた時間は219時間に及び、警察が包囲する中での人質事件として日本最長であったとされています。

警視庁機動隊と長野県警察機動隊による人質救出作戦が進められましたが難航し、結果的に死者3名(内民間人1名、機動隊員2名)、重軽傷者27名(機動隊員26名、報道関係者1名)の犠牲が生じました。浅間山荘事件発生10日目となる2月28日、警察の部隊が強行突入し、人質を救出し、犯人5人が全員逮捕されたことで事件は終息しました。この事件はテレビで中継され、日本社会に大きな衝撃を与えました。

事件を引き起こした「連合赤軍」とは?

事件を引き起こした「連合赤軍」とは?

「赤軍派」と「革命左派」の合流によって誕生

浅間山荘事件を起こした「連合赤軍」は、1971年に発足したテロ組織・新左翼組織とされます。もともと存在していた2つの組織「共産主義同盟赤軍派」(以下「赤軍派」)と「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保闘争)」(以下「革命左派」)が合流し、結成されたとされます。

両組織はもともと、日本社会党や日本共産党という既存の左翼政党が武装闘争を放棄したことに不満を感じる学生たちによって、武装闘争を続ける「新左翼」として結成されました。1971年に学生運動が下火となりましたが、赤軍派と革命左派は残りました。しかし、最高幹部たちは逮捕されたり国外逃亡、死亡していき、組織は弱体化しました。

当時、赤軍派には資金はありましたが武器が無く、革命左派は逆に武器を持っていて資金がありませんでした。両者は接近・合流し、赤軍派軍事組織「中央軍」と革命左派軍事組織「人民革命軍」が統一され、1971年7月15日に「統一された赤軍」となり、後に「連合赤軍」という名称になりました。

組織内の対立と「新党」結成

1971年の12月から、南アルプスで「赤軍派」「革命左派」の両派初の合同軍事演習が行われましたが、両派で主導権をめぐり、対立があったとされます。その後、両派の対立は表面上は収まりましたが、今度は「合法部(法律の範囲内で行動しようと考えるメンバー)」と「非合法部(法律の範囲を超えて行動しようと考えるメンバー)」の対立が起こりました。

非合法部の指導部は、「赤軍派」と「革命左派」両派による「新党」結成を確認すると同時に、「合法部は分派(新党から離れた派閥)」とみなし、合法部寄りのメンバーには、暴力的な「総括」が行われるようになりました。

暴力的な「総括」とは

連合赤軍は、特定のメンバーに対し、「総括」という名称で政治的反省を迫ることがありました。本人の自覚を促すため、「総括」の際には周囲のメンバーが意見を言ったり批判を行うようになりました。やがて連合赤軍リーダーの森恒夫が総括の際に暴力を振るうようになり、最終的にはメンバー全員が1人に暴力を振るう集団リンチの形になりました。

総括の際の暴力(「総括援助」という言葉で正当化されていました)で死亡したり、総括できる見込みが無いと判断され、死刑宣告された上で殺されたメンバーもいました。

浅間山荘事件の起こった背景は?

浅間山荘事件の起こった背景は?
浅間山荘事件は、連合赤軍の前身だった赤軍派と革命左派が各地で暴力的な事件(銀行への連続強盗や銃砲店襲撃事件など)を起こして資金や武器を確保しつつ、山岳地帯で「連合赤軍」を旗揚げした一連の流れを発端としています。ここでは、連合赤軍の旗揚げから浅間山荘事件までの経緯をまとめます。

「連合赤軍」の旗揚げと「山岳ベース事件」

赤軍派と革命左派は、群馬の山岳地帯に「山岳ベース」と呼ばれる基地を作り、連合赤軍の旗揚げを行いました。しかし、警察による「山狩り」と呼ばれる山岳への捜索や、外部からの援助が絶たれたことで組織は疲弊します。

やがて山岳ベース内での「総括」が過激化し、リンチ殺人事件に発展します。これは「山岳ベース事件」と呼ばれ、浅間山荘事件とセットで「連合赤軍事件」という名前で括られています。山岳ベース事件が起きた頃には組織は疲弊し、内部崩壊が進んでいる状況でした。

群馬県警の包囲網が山岳ベースに迫る

1972年の2月16日に、連合赤軍の中央委員会で書記長を務めていた坂口弘らは、ラジオ放送で「群馬県警の包囲網が山岳ベースに迫っている」ことを知ります。この時、連合赤軍のリーダーである中央委員会委員長の森恒夫、副委員長の永田洋子は資金調達のためにベースを不在にしていました。坂口らは、「長野県ではまだ警察が動員されていないだろう」と考え、長野県に入ることを決定しました。

最初に坂口ら先発メンバーが合流地点設定のためにベースを出ましたが、その際に警察からの職務質問を受け、逃亡して(一部メンバーは逃亡せずに逮捕されました)ベースに戻り、ベースに居たメンバーと合流して長野県佐久市方面へ動き出しました。

山岳ベースを離れていた森と永田も群馬県警の包囲網が迫っていることを知り、合流のため山岳ベースに戻りますが、山狩りしていた警察に見つかり、逮捕されます。

長野県軽井沢に入った連合赤軍

長野県佐久市方面に向かった連合赤軍のメンバーでしたが、道に迷い、偶然、軽井沢にたどり着きます。そこは当時できたばかりの別荘地「軽井沢レイクニュータウン」で、連合赤軍の地図にはまだ載っていませんでした。2月19日の午前中、食料の買い出しをしていたメンバーが食料品店で通報され、軽井沢駅で逮捕されました。

もともと連合赤軍のメンバーは29名いましたが、この時までに12名が死亡(山岳ベース事件で殺害)、4名が脱走、8名が逮捕されており、残ったメンバーは5名のみでした。残った5名の名前は、坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久です。

「さつき山荘」に侵入

2月19日の正午頃、5人は無人の山荘である「さつき山荘」を見つけ、侵入します。そこに長野県警察機動隊一個分隊のパトカーが近づきました。それを察知したメンバーは、パトカーに発砲しました。それに対して機動隊側も拳銃を連射して応戦し始めました。

同日15時20分頃、メンバーは銃を乱射しながら機動隊の包囲網を突破し、逃走用の自動車のある家を探す中で「浅間山荘」にたどり着きました。

浅間山荘事件の経過は?【犯人の動き】

浅間山荘事件の経過は?【犯人の動き】

浅間山荘事件1日目(2/19):浅間山荘への立てこもり

メンバーの1人である吉野は、自動車を奪って逃走することを提案しましたが、リーダー格の坂口と坂東は、山荘管理人の妻を人質にとり、「逮捕されている森と永田の釈放」と「浅間山荘にいるメンバーの逃走の保障」を要求しようと考えました。しかし、吉野がそれに反対したため、諦めました。

ところが、吉野の提案通り自動車を奪って逃走しようとしたところ、車のキーは外出中の山荘管理人が持っていることがわかりました。そこで坂口は山荘管理人の妻を人質にし、浅間山荘に立てこもることを決めます。

その時、山荘内には20日分の食料の備蓄があり、さらに6人分の宿泊客用の食料が買い込まれていました。犯人たちは、1か月は食いつなげるだろうと判断しました。一方、警察も山荘管理人から備蓄されている食料のことを聞き、兵糧攻めは不可能だと判断し、説得を試みることにします。

浅間山荘事件3日目(2/21):コードネームの設定と母親の説得

浅間山荘事件3日目の2月21日、犯人たちは、人質から身元が特定されないよう、また盗聴される可能性もあったため、メンバーにコードネームを設定しました。坂口が「浅間」、坂東が「立山」、吉野が「富士山」、加藤倫教が「赤城」、加藤元久が「霧島」でした。彼らはアジテーション演説も、警察に何かを要求することもしませんでした。電話にも出ず、ただただ沈黙を守りながら発砲をし続けました。

午後5時頃、吉野と坂口の母親が説得のために山荘付近に来ました。メンバーたちは全員ベッドルームで母親たちの拡声器による説得を聴いていたといいます。

午後7時のテレビニュースで、メンバーはアメリカ大統領ニクソンが中国を訪れたことを知り、ショックを受けます。そもそも彼らが闘争を開始したのは、日本がアメリカのベトナム侵略に加担し、ベトナム戦争が中国、そしてアジア全体に広がるのを阻止しようという目的からでした。ニクソンの訪中により、彼らの闘争の意味が揺らいでしまうことになりました。

浅間山荘事件4日目(2/22):母親説得中の発砲・民間人犠牲者発生

浅間山荘事件4日目となる2月22日の午前中、再び吉野の母親が拡声器で説得にあたりました。ニクソンの訪中で国際情勢が変わったことなども告げられました。犯人は泣きながら聴いていましたが、「警察が親への情を利用している」と逆上し、説得中に発砲しました。吉野の母親が「お母さんを撃てますか」と言うと、吉野はさらに発砲を続け、銃弾は母親の乗る装甲車に当たり、跳ね返りました。その時吉野は涙を流していたとされます。

その日の正午、1人の男性が包囲網をすり抜けて浅間山荘に入りました。新潟市内でスナックを経営している男性で、「文化人」と名乗り、人質の身代わりになることを主張しました。男は機動隊にウインクで合図を送るなど不審な行動を取っていたため、坂口は男を拳銃で狙撃します。男は機動隊に保護されましたが、3月1日に亡くなりました。浅間山荘事件で初の死者(民間人)です。

午後2時半頃、特型車の後ろに隠れて近づいてきた機動隊員2名に坂口が発砲し、負傷させています。午後8時10分に山荘への送電が停止され、山荘内は真っ暗になりました。警察は玄関先にメガホンを置き、政治主張を訴えるよう要求しましたが、坂口は沈黙を守り続けることにしました。

浅間山荘事件6日目(2/24):人質親族の呼びかけ・警察による放水攻撃開始

浅間山荘事件6日目の早朝、今度は人質の親族が山荘近くに来て、説得に当たりました。人質本人は、親族を安心させるためにバルコニーに出ることを要求しましたが、坂口はこれを拒否しました。午前9時半に、今度は坂東の母親が説得に当たりました。坂東はこの時黙って聴いていたとされます。

正午頃になると、警察は山荘への放水攻撃を開始しました。その際、水圧によって山荘の玄関ドアと犯人たちが作ったバリケードが破壊されました。犯人たちは警察の放水攻撃に、散弾銃で応戦しました。

浅間山荘事件7日目(2/25):不眠に悩まされ始める犯人メンバーたち

浅間山荘事件7日目の夜から、警察は山荘に「擬音攻撃」を開始しました。「擬音攻撃」とは、銃撃音などの録音テープを流すことで、実際の攻撃のように思わせる攻撃です。加えて投石も行われ、犯人メンバーたちは不眠に悩まされるようになりました。

浅間山荘事件8日目(2/26):再び人質親族の呼びかけ・坂東に怒る吉野

浅間山荘事件8日目の朝9時半、人質の親族が再び呼びかけを行いました。人質は顔だけでも見せたいと要求しましたが、坂口はやはり拒否しました。人質は坂口に、「どうして命を粗末に扱うのか」と言い、「自分(人質)を楯にしにない」こと、「裁判になった際に自分を証人として呼ばない」ことを要求し、坂口は守ることを約束しました。

この日は濃い霧が発生しており、その霧に紛れて脱走することを吉野が提案しました。排水管や浄化槽などを調べましたが脱走に使えるものではなく、脱走は断念されました。夕方、寺岡(山岳ベース事件で死亡)の父親が説得に来ました。この時点では山岳ベース事件は知られておらず、寺岡の父親は寺岡が死んでいることを知りませんでした。坂口はこの時、「言いようのない胸の圧迫」を感じたとされます。

夜になると、坂東が食料をつまみ食いしているのを吉野が見つけて怒り、坂東に対する「総括」を求め、坂口がなだめました。

浅間山荘事件9日目(2/27):警察の接近行動は形だけ

浅間山荘事件9日目、この日は寺岡の父親と吉野の両親が呼びかけを行いました。午後、「連合赤軍に対する取材・報道協定」が結ばれ、浅間山荘事件に関するラジオ報道が一切なされなくなりました。

浅間山荘事件8日目と9日目、警察による接近行動がほとんど形だけのものだったため、今後の警察の出方について犯人メンバーで協議を行いました。結論は出ませんでしたが、「翌日はきっとこれまでにない接近を試みてくるだろう」と予想しました。

浅間山荘事件10日目(2/28):突入

浅間山荘事件10日目、朝5時にそれまで続いていた警察の投石による攻撃が止まりました。9時に警察が犯人メンバーに投降勧告を行い、9時55分に最後通告をし、10時に強行突入しました。犯人メンバーの発砲から銃撃戦が始まりました。このタイミングで警察はクレーンにくくりつけた鉄球を使って玄関脇の階段の壁に穴を開け、そこから放水を行いました。

11時27分、放水の指示を出していた警視が被弾し、1時間後に死亡しました。その後、巡査が左目に被弾し失明、警視が被弾し、その日の午後に死亡しています。正午前に、厨房に侵入して指揮していた警部も頭に被弾しました。

犠牲者が続出していることを知り、人質は(それ以上被害者を増やさないために)自分を楯にして外に出るように要求しました。12時30分に、警察の攻撃は一旦休止しました。12時45分、山荘にカメラを向けていた報道陣に向けて坂口が威嚇発砲したところ、信越放送のカメラマンに被弾しました。

犯人検挙・人質解放

14時40分、厨房でたむろしている機動隊を吉野が発見します。吉野は坂口に鉄パイプ爆弾を投げることを提案し、坂口は実際に投げます。機動隊の1名が右腕を砕かれる重症を負い、他4名は聴力を失いました。

15時半に警察による放水攻撃が再開されました。ガス弾が撃ち込まれ、山荘内は催涙ガスが立ち込めました。17時頃に機動隊がベッドルームに接近してバリケードを少しずつ排除し、28名の機動隊員が突入しました。18時10分に犯人が全員検挙され、人質も解放されました。坂東の家では、坂東逮捕がテレビで報じられた頃、彼の父親が首をつって自殺しました。

浅間山荘事件の経過は?【警察の動き】

浅間山荘事件の経過は?【警察の動き】

浅間山荘事件発生前

浅間山荘事件が発生する前、警視庁は、警備局や刑事局、全国の管区警察局などが指揮を執り、都道府県警と調整を図って連合赤軍の捜査を行っていました。

浅間山荘事件1日目(2/19):正午に「さつき山荘」で遭遇

浅間山荘事件が発生することになる2月19日の正午、長野県機動隊一個分隊が「さつき山荘」で連合赤軍と遭遇し、銃撃戦が起こります。長野県機動隊はすぐに長野県警本部に連絡しました。連絡を受け、長野県警は全県の警察署に重大事案発生を連絡し、軽井沢への応援派遣司令を出しました。

犯人たちが浅間山荘に立てこもると、長野県警は山荘周辺の道をすべて封鎖し、犯人たちの強行突破を防ぐために警備部隊を配置しました。また、浅間山荘に立てこもっているメンバー以外の連合赤軍メンバーを探すため、同時並行で山狩りも行いました。さらに、主要幹線道路で一斉に検問を行い、国鉄や私鉄の駅でも捜査を行いました。

警察庁・警視庁の応援派遣

警察庁では、後藤田正晴警察庁長官が、「人質の無事救出(最高目的)」、「犯人全員の生け捕り」、「身代わり人質交換の拒否」、「火器使用は警察庁の許可が必要」などを指示し、長野県警の応援として、警察庁・警視庁を中心とする指揮幕僚団の派遣を決定しました。

機動隊としては、当日2月19日に当番隊だった第9機動隊を軽井沢に派遣しました。しかし、当時第9機動隊は新設されたばかりで、冬の軽井沢での防寒装備がありませんでした。そこで、追加で第2機動隊が寒冷地対策を徹底した上で派遣され、入れ替わりに第9機動隊は東京へ一度戻り、寒冷地対策をした上で再び軽井沢へ向かいました。

また、追加で警視庁から第7機動隊レンジャー部隊、特科車両隊も派遣されました。第7機動隊レンジャー部隊は人質や現場で傷ついた人の救護、特科車両隊は防弾対策や放水攻撃の支援を目的としていました。

作戦の主体は長野県警から警視庁へ

浅間山荘事件が起きた時点で後藤田長官は、長野県警本部を立て、幕僚団や機動隊はあくまで支援という形にしようという方針でした。当時、長野県警は大学封鎖解除などの大規模な事案の経験がなく、装備や人員も不足している状態でした。しかし、地元だという縄張り意識が強く、長野県警と派遣幕僚団との間では方針などについて軋轢が生じ、議論が起こりました。

最終的に、長野県警本部の独断による強行偵察で機動隊2名への狙撃、民間人の殺害、無線の不備などが起こり、作戦の主体が警視庁中心となりました。

警察側の作戦

浅間山荘事件において、警察側は複数の方法で犯人メンバーを制圧しようとしました。犯人を説得するため、犯人メンバーの親族を呼び、拡声器によって山荘に説得をしてもらいました。集まったのは、吉野の両親、坂東の母、坂口の母、寺岡の両親の6名でした。この他、山荘への送電停止、擬音攻撃、放水攻撃、催涙ガスの攻撃、特型警備者を使った偵察などを計画し、行いました。

鉄球作戦

浅間山荘事件を解決に向け、長時間の検討を重ねて出された案が、「クレーン車にくくりつけた鉄球を使う作戦」であり、通称「鉄球作戦」と言われています。クレーン車に吊った鉄球で浅間山荘の壁や屋根を破壊し、そこから強行突入して制圧してしまおうという作戦でした。

浅間山荘は3階建てで、「人質は2階に拘束されている」、「犯人グループは3階に潜伏している」と予想が立てられていました。まず鉄球で2階と3階をつなぐ階段を破壊し、犯人グループを2階に降りれなくすることにしました。続いて3階の正面にある銃眼を鉄球で破壊し、最後に鉄球を鉄の爪に付け替え、屋根を剥がし、1階と屋根から突入する計画がまとめられました。

浅間山荘事件10日目(2/28):作戦開始

浅間山荘事件9日目の2月27日、山荘内のラジオで警察の動きや作戦に関する情報が漏れるのを防ぐため、警察は報道機関と協定を結び、浅間山荘事件関係の報道をストップしました。

そして浅間山荘事件10日目の2月28日10時に、作戦を実行に移しました。制圧作戦の中心は、第2機動隊、第9機動隊、特科車両隊、第7機動隊レンジャー部隊でした。山荘へ突入しつつ、鉄球作戦も行いました。

鉄球で階段付近の壁に穴を開け、銃眼の破壊を開始し、第9機動隊は1階、長野県警機動隊は2階に入りましたが、そこには犯人も人質もいませんでした。第2機動隊は、支援部隊によるガス弾や放水攻撃の支援を受けつつ3階へ進みました。この間、犯人側も拳銃で激しく応戦しました。

警察側は3階に犯人潜伏、2階に人質拘束という予測を立てていましたが、実際には人質も犯人も皆3階に居ました。

作戦の難航

第2機動隊はバリケードを突破しつつ、何とか犯人のいるベッドルームに近づきました。しかし、11時半から12時の間に、鉄球作戦や放水攻撃の指示に当たっていた特科車両隊中隊長の高見繁光警部、第2機動隊隊長の内田尚孝警視が犯人からの狙撃を頭部に受け、数時間後に亡くなりました。また、第2機動隊4中隊長の上原が顔面に散弾を受けて後退、同じく突入した複数の隊員も被弾して後退しました。

この時、隊員は精神的にショックを受けて混乱しており、さらにクレーン車も動かなくなってしまっており、犯人は拳銃で猛射してくるという状況で、制圧は難航を極めました。内田警視が撃たれたタイミングで、警察庁から拳銃使用許可が下りましたが、現場は混乱しており、その情報は伝えられていませんでした。犯人が鉄パイプ爆弾を使ったことで更に負傷者が増えました。

体制の立て直し

15時半に、作戦本部は隊長や中隊長を戦線から離脱させることにしました。第2機動隊は指揮系統が寸断されていしまっていたため、第2機動隊を1階・2階の担当に変え、その時まだ無傷だった第9機動隊を3階に突入させました。

鉄球で空いた穴などから、放水攻撃による水が山荘内に及んでおり、夜になると人質や犯人が凍死するリスクがありました。そのため、その日中に絶対に人質を救出し、犯人を検挙することが目指されました。

この時点までに隊長や中隊長が狙撃されていましたが、ヘルメットに指揮官の表示があったためだと推測されました。そのため、この時にヘルメットから指揮官の表示を外すことにしました。

人質無事救出・犯人検挙

17時30分、ベッドルームの壁を放水で壊す計画が立てられ、実行されました。18時10分には第9機動隊隊長の大久保伊勢男警視らが一斉にベッドルームに突入し、犯人を全員検挙し、人質を救出しました。

ベッドルームには、200発以上の弾丸や水で濡れて使用不可能になった鉄パイプ爆弾、現金75万円などがありました。

浅間山荘事件の犠牲者は?

浅間山荘事件の犠牲者は?
浅間山荘事件では、残念ながら多くの犠牲者が出てしまいました。高見茂光警部、内田尚孝警視、人質の身代わりを名乗り出た民間人の計3名が尊い命を失いました。この他、機動隊員と信越放送のカメラマンを合わせ計16名が負傷し、その中には失明や聴力を失うなど、後遺症が残った人もいました。

この他、犯人メンバーの自宅では、テレビで浅間山荘事件の様子を見守っていた坂東の父親が、自宅のトイレで首を吊って自殺をしました。

浅間山荘事件はなぜ長期化した?

浅間山荘事件はなぜ長期化した?

生け捕りの方針のため拳銃の使用ができなかった

浅間山荘事件では、当初から犯人メンバーを生け捕りにすることが方針とされ、自由に拳銃を使用することができませんでした。万が一犯人メンバーを殺害してしまった場合、他の連合赤軍メンバーや、連合赤軍へのシンパ(共鳴者)に「殉教者」として英雄的に祭り上げられ、新たな事件を引き起こしてしまうリスクがあったためでした。

また、1970年の瀬戸内シージャック事件の際、犯人を射殺した警察官が、弁護士に殺人罪で告発された事案がありました。

これらのことを受け、浅間山荘事件では生け捕りが重要な方針の1つとなり、拳銃による迎撃ができない中での長期にわたる戦いとなりました。

犯人メンバーや人質の情報がわからなかった

浅間山荘事件においては、犯人メンバーの人数や素性を特定することができず、人質の安否情報でさえもわからない中で動かなくてはなりませんでした。犯人グループは警察側に対して要求や主張を一切せず、ただ発砲をするのみだったためです。

たまたま立てこもるのに好都合な地形だった

浅間山荘は切り立った崖に建っていました。犯人グループが頻繁に発砲を繰り返し、警察側は拳銃で応戦することができなかったため、近づくことが容易ではありませんでした。

浅間山荘事件のその後は?

浅間山荘事件のその後は?

人質女性

浅間山荘事件の人質女性は救出後に病院に入院し、退院したことがわかっています。浅間山荘事件の間、犯人グループからは1日1食の食事のみ提供され、2月26日以降は1日にコーラ1本になったとされています。ある新聞が、人質女性と連合赤軍メンバーの間には事件中、心の交流があったと書きましたが、本人は否定しました。

入院中に新聞記者が忍び込んできたり、人質女性の取り調べの内容が新聞に掲載されるなどといったことがありました。退院後は、事件で犠牲者が出てしまったこと、事件後のマスコミのひどい扱いに傷つき、無言を通しているとされます。

浅間山荘の現状

浅間山荘は、浅間山荘事件が起きて10年間ほどは観光名所となっていたとされます。その後、部分的に取り壊されて改築され、アートギャラリーになりましたが、リーマンショック直後の2008年10月、中国企業の日本法人の所有になりました。

記念碑

浅間山荘を後方に臨む別荘地の入り口に、浅間山荘事件の記念碑があります。「治安の礎」の文字が刻まれています。1973年に建てられたとされており、碑の後ろ側には浅間山荘事件の教訓や、浅間山荘事件で亡くなった2名の警察官の貢献を讃えた文章が刻まれています。また碑の右側には、浅間山荘事件当時の様子が描かれた銅板もはめ込まれています。

浅間山荘事件のその後は?【犯人編】

浅間山荘事件のその後は?【犯人編】

連合赤軍は崩壊

浅間山荘事件で実行犯全員が検挙され、連合赤軍の幹部クラスは全員が逮捕された形となりました。この時点で、連合赤軍は事実上崩壊したと言えます。浅間山荘事件後の取り調べで「山岳ベース事件」が発覚し、社会に大きなショックを与えました。逃走中だった残りのメンバーも次々と出頭するようになり、メンバー全員が逮捕されました。

坂口弘(現在:東京拘置所在監)

坂口浩は、現在東京拘置所在監となっています。1993年2月19日に死刑が確定しました。「16人殺害・1人傷害致死」という、戦後からオウム真理教の麻原彰晃の死刑判決までの間では最悪な数字でした。

現在、死刑は執行されていませんが、その理由は、「主犯格であった坂東國男の消息がわからず、裁判が終了していないため」と考えられています。

1975年8月4日、海外に拠点を置いて活動していた連合赤軍と同じ新左翼系団体「日本赤軍」がマレーシアの首都クアラルンプールでアメリカ大使館を人質にとって占拠し、日本で投獄されている連合赤軍メンバーの釈放を要求しました。

釈放を要求されているメンバーの中には坂口の名前もあり、日本政府は釈放を超法規的に決定しましたが、坂口本人が釈放を拒否しました。

坂東國男(現在:消息不明)

坂東は、1975年の日本赤軍によるクアラルンプールのアメリカ大使館占拠事件の際、釈放され、国外に逃亡しています。その後は日本赤軍に加わり、日本赤軍リーダーの重信房子の側近のような立場の時期もありました。

2000年に重信房子が日本国内で逮捕され、2001年に「日本赤軍解散宣言」を獄中から出しましたが、坂東は同じ日本赤軍メンバーの大道寺あや子とともに「日本赤軍解放宣言無効宣言」を出し、日本赤軍の存続を主張しました。

現在、連合赤軍としての浅間山荘事件などの罪の他、日本赤軍としてダッカ日航機ハイジャック事件参加などの罪も加わり、警視庁で指名手配となっています。国際指名手配もされていますが、現在の消息はわかっていません。中東を拠点に活動し、中国やルーマニア、ネパールに入国した形跡が見つかっています。

吉野雅邦(現在:千葉刑務所服役中)

吉野雅邦は、現在千葉刑務所で服役中とされています。1998年には受刑者たちの責任者のような形で刑務所内の工場で働いていたとされます。2011年からは、浅間山荘事件など、連合赤軍事件に関する手記も執筆しています。

加藤倫教(現在:農業、野生動物保護や自然環境保護に尽力)

加藤倫教は1987年に仮釈放され、実家の農業を継いでいます。また、野生動物・自然環境保護団体に所属し、環境保護活動に尽力し、実績を積み上げています。

加藤元久(保護処分)

加藤元久は浅間山荘事件発生当時16歳であったため、保護処分となっています。

植垣康博(軽井沢駅で逮捕・現在スナック経営)

植垣康博は浅間山荘事件発生前、連合赤軍として軽井沢に入った後、食料調達中に軽井沢駅で逮捕されたメンバーです。1975年のクアラルンプールの事件の際に、やはり釈放要求のリストに名前がありましたが、「日本に残って連合赤軍問題について考え無くてはならない」とし、釈放を拒否しました。1998年に出所し、現在は静岡市でスナックを経営しています。

浅間山荘事件のその後は?【警察編】

浅間山荘事件のその後は?【警察編】

特殊部隊創設へ

浅間山荘事件が起きた1972年、9月には「ミュンヘンオリンピック事件」が発生しました。西ドイツ・ミュンヘンで行われたオリンピックの最中に起きたテロ事件で、パレスチナの武装組織「黒い九月」により、イスラエルのアスリート11名が殺害されました。

この事件は日本にも大きな衝撃を与え、警察庁は「銃器等使用の重大突発事案」発生の際に事案を制圧できるよう、特殊部隊の編成を決定しました。

1975年のクアラルンプール事件で坂東國男らが釈放され、坂東は1977年に日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件に関与しました。

政府は日本赤軍の要求を受け入れ、身代金の支払いと釈放を行いましたが、同時期に起きたルフトハンザ航空181便ハイジャック事件に対する西ドイツの強行姿勢と対照的な対応だったため国内から批判を受け、ハイジャック対策を主要任務とする特殊部隊を創設しました。この部隊は1996年に再編成され、特殊急襲部隊(SAT)となっています。

佐々淳行警視正(現在:危機管理専門家・評論家として活動中)

浅間山荘事件の際、警備実施・広報担当幕僚長を務めた佐々淳行警視正は、1986年に初代内閣安全保障室長に就任しました。退官後は個人で事務所を作り、危機管理専門家・評論家としてテレビ出演や執筆活動などをしています。

國松孝次

國松孝次は浅間山荘事件の際、警視庁広報課長として取材陣の対応に当たりました。浅間山荘事件後は1994年に警察庁長官に就任しています。長官時代に「オウム真理教事件」を経験しています。

また、1995年に警察庁長官狙撃事件が発生し、銃撃されて一時危篤状態になりました。手術中は心臓が3回も止まりましたが2か月後に公務に復帰しました。この事件は犯人がわからず、未解決となっています。現在は宮内庁参与、NPO救急ヘリ病院ネットワーク理事長、損害保険ジャパン顧問など、様々な役を務めています。

後田成美巡査(現在:山本有二氏の政策担当秘書)

浅間山荘事件の際、幕僚長佐々淳行の伝令役を務めていた後田成美巡査は、現在、衆議院議員山本有二氏の政策担当秘書を務めています。

浅間山荘事件にまつわる有名なエピソードは?

カップヌードル

浅間山荘事件にまつわる有名なエピソードの1つに、「カップヌードル」があります。浅間山荘事件が発生していた当時、軽井沢はマイナス15度前後の厳寒で、届けられた機動隊員用の弁当は凍ってしまっていました。地元住民が炊き出しを行ってくれましたが、外周の長野県警までしか届かず、最前線に居た機動隊には相変わらず凍った弁当が届けられていました。

そこで、1971年に発売したばかりの日清カップヌードルが機動隊員に配給されることになりました。調達・調理が簡単で、温かく食べることができたため、浅間山荘事件中、機動隊員の士気を支えたとされています。

浅間山荘事件の報道中、日清カップヌードルを美味しそうに食べる機動隊員の姿が映し出されたことにより、知名度がアップし、カップヌードルの売上が急上昇しました。

鉄球作戦

浅間山荘事件を代表するエピソードに、「鉄球作戦」があります。クレーンにくくりつけた鉄球で浅間山荘の一部を破壊する計画が立てられていましたが、この計画は、佐々淳行氏が東大安田講堂事件の際に一度発案したことのある作戦でした。ただし、東大安田講堂事件の際には、安田講堂が文化財登録されているなどの理由で却下されています。

実際に使用された鉄球は、2008年時点で長野市内の鉄工所に保存されていることが確認されています。

鉄球作戦自体は、山荘の破壊中にクレーンが動かなくなったため、失敗に終わり、別の作戦に切り替えられています。当時は「クレーンが水をかぶったのが原因」とされていましたが、これは言い訳で実際には「特科車両隊隊長が、バッテリ・ターミナルを蹴飛ばしたため」と指摘されています。

クレーン車が動かなくなった原因について、実際に作戦に協力した土木会社の関係者らは、「クレーン自体にもともと問題があった」点をテレビ番組や雑誌で公言しています。

ヘルメット

浅間山荘事件の最終日、隊長や中隊長が狙撃されるケースが相次ぎました。当時、隊長クラスは指揮を円滑に進めるために指揮官表示をしていましたが、犯人による狙撃を招き、結果的に指揮系統が混乱してしまう事態に陥ってしまったため、浅間山荘事件以降はヘルメットによる指揮官表示は廃止されました。現在は、ヘルメットの後頭部の階級線によってのみ識別可能になっています。

生中継

浅間山荘事件はテレビで生中継され、多くの国民が注目しました。浅間山荘事件報道の中には鉄球による山荘破壊や狙撃され血まみれで搬送される隊員の姿、極寒の環境下での警察と犯人グループとの攻防という衝撃的なシーンが多く、特に浅間山荘事件最終日の2月28日の視聴率は、NHKと民放を合わせ、89.7%という驚異的な数字だったとされます。

2月28日午前9時40分から10時40分のNHKの平均視聴率50.8%は、報道特別番組としては現在でも国内最高記録となっています。

他の事件・事故が減っていた

浅間山荘事件当時、長野県警には2,350名の警官が居ましたが、そのうち838名が浅間山荘事件や潜伏メンバーの検索のために動員されていました。この人数は、全警官の36%に当たります。

そのため、浅間山荘事件が長引くに連れ、後方(他の地域)での犯罪の増加が懸念されました。しかし結果は逆で、浅間山荘事件が長期化していくに連れ、後方での事件数は減少しました。

要因としては、浅間山荘事件の生中継が挙げられています。多くの人々が自宅のテレビで浅間山荘事件の中継に注目していたため、車での外出が減って交通事故が減り、在宅者が多いために空き巣事件が起きにくく、犯罪を行う可能性のある人達も浅間山荘事件の報道をテレビで見ていたため、浅間山荘事件中は犯罪を犯さなかったのだと分析されています。

浅間山荘事件を扱った小説作品

円地文子 『食卓のない家』

浅間山荘事件を含む連合赤軍事件を題材にした小説作品です。リンチ事件を起こした連合赤軍メンバーの男性の父親を主人公とし、「家族」について問う物語です。以下、読者のレビューを紹介します。読者レビューには「入手困難」と書かれていますが、Kindleで電子書籍化されており、入手可能です。

・加害者家族に対する集団いじめの不変性
・若者観の不変性
がしみじみとわかったのでよかったのと、ちょっとした時代の空気なるものに触れられた気がしたのがよかった。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1MCH5KLCR1F... |

立松和平 『光の雨』

山岳ベース事件や浅間山荘事件といった連合赤軍事件を題材にした作品です。死刑判決を受け、釈放された過去を持つ実行犯の主人公が、60年後の2030年に若いカップルに彼らが夢見た「革命」とその破綻について語るという設定の長編小説です。

実行犯の坂口弘氏が書いた『あさま山荘1972』の盗作だとして告発され、作者の立松和平氏もそれを認めて構成を改めたという過去のある作品とされます。以下、読者レビューを紹介します。

セクト間の内ゲバと並んで、新左翼運動を完全に一般大衆とは無縁なものとしてしまった連合赤軍事件。この事件を総括しない限り日本での大衆運動の復活はありえないと思う。ここでいう総括とは本書で用いられているのとは違って克明に事実関係を明らかにし、どこでどう彼らが仲間を殺すことになったのかを明らかにすること、そして二度と同じ轍を踏まないことである。

フィクションと断り、党名や人物名を変え、老人が語るという手法を用いてもなお、「総括」という名のリンチの生々しさは途中で本書を投げ出してしまいたいほどだ。新撰組の山並敬助が自害させられるときに似た感覚を、14人分味わった。中学生のとき、いじめられている同級生を見て見ぬふりをしたことなんかも思い出す。小さな「総括」は今もどこかで行われている。口の中がざらざらする本。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RII7SXSHU3DF... |

浅間山荘事件を扱った漫画作品

山本直樹 『レッド』

1969年から1972年の日本で、若者たちが国家の矛盾と戦うために革命運動に身を投じていく様を描いた漫画です。浅間山荘事件も登場します。Kindleで購入可能となっています。以下、レビューを紹介します。

連合赤軍事件は、坂口弘の「あさま山荘1972」、主犯格とされる永田洋子による「十六の墓標」、植垣康博による「兵士たちの連合赤軍」、加藤倫教「連合赤軍少年A」など当事者によるかなり率直で詳細な記述が出ているのも特徴。本作「レッド」はこれらの著述を元に再構成されたといってよいだろう。それぞれで描かれるエピソードがかなり引用されている。
虚構もなく事実に即したストーリーが展開する。
主に描写されるのは生き残って先の著述を残した坂口(作中では谷川)・永田(同 赤木)・植垣(同 岩木)だったりするが、客観的な第三者視点が維持される(ごくまれに吉野(同 吾妻)のモノローグが突然現れびっくりしたところがあるが・・)。
「あさま山荘1972」と同様、坂口らによる羽田空港進入事件の前後からはじまる・・。革命を唱え活動を行っても変わらない社会にいらだち、やがて銃による殲滅戦を標榜した武装闘争を目指し、爆弾製造、銃砲店や金融機関の襲撃と活動は先鋭化していく。
ただしちょっとした日常描写、登場人物の仕草・表情には独特のシニカルでややユーモラスな山本節が見られる点は、長年のファンにもうれしい。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R23VF4DLR3RV... |

浅間山荘事件を扱った映画作品

『食卓のない家』(1985年)

浅間山荘事件を扱った円地文子による小説『食卓のない家』は1985年に映画化されています。

『光の雨』(2001年)

浅間山荘事件を題材にした立松和平原作の小説『光の雨』は2001年に映画化されています。

あの事件は何だったのか?なぜあのようなおぞましいことが起こったのか?
事件の本質を真摯に問おうとする制作者の誠実さは伝わる。
しかし、答はない。
現在の日本では映画化するとしても、本作のように<劇中劇>という形式によって事件のリアリティのごく一部を表現できるのみだろう。
本当に正面から事件を描くのは無理だし、敢えて試みても、リアリティにも訴求力にも乏しい駄作にならざるを得ないだろう。
長谷川和彦監督が長年映画化を構想しながら、未だ果たせていないのも頷ける。
結局「昔こんなことがありました」という締め括り方をするしかないし、実際本作もそうしている。
繰り返すが、あの70年代初頭のエトスの中で、自らが何を考え、どう行動しようとしていたかを赤裸々に語ろうとする制作者の姿勢はいい。
しかし「逃げながらも考えていたのだ」とでも言うかのように、自分の良心の証という言い訳の匂いも感じる。
何にしても、事件の本質を「不可解」と締め括り、昔話で終わらせていると思われるのだ。こういう終わらせ方しかできないとも思うが。
結局答の出ない問題に答を出そうとするのが無理なのだろう。

出典: https://www.amazon.co.jp/review/RF20PTMOEUVQG/ref=cm_cr_d... |

『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)

浅間山荘事件の10日間を描く2002年の映画作品です。浅間山荘事件を警察側からの視点で、リアルな映像を使って再現しています。

犯人側の描写が突入のシーンまで一切ないのがいい。
銃眼から撃ち込まれる銃弾の恐ろしさと不気味さを引き立てている。
また、情報がほとんど入ってこない状況で暗中模索の指揮を執る
ことの難しさ、焦燥感もビシビシ伝わってくる。

これを「犯人側が全く描かれていない」と批判する人が多いのに驚きます。
社会を震撼させた本当の事件の犯人の思想や状況を警察側の
混乱の様子と変わりばんこに描くようなものは結果論みたいで緊迫感を大きく
損なうし、そんな映画はいままでゴマンとありました。

犯人の言い訳、主張を織り交ぜて公平な視点で警察や犯人の立場に共感しながら
観る映画ではないのは一目瞭然です。

ましてやこの映画は勧善懲悪の視点から撮られたものでもありません。

ぼくはこの映画は現場の緊迫感とそれぞれの立場から懸命に命を懸けたことを
描いた、素晴らしい映画だと思います。
ひとつだけ、気になる点は長野県警が卑劣で愚鈍に描かれ過ぎていると感じたところ
です。下々の警察官は命を懸けて立派に戦ったわけですからもっとそれを称えるよう
に描写してほしかった。

出典: https://www.amazon.co.jp/review/R37LL4PXIFDS6M/ref=cm_cr_... |

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008年)

浅間山荘事件を起こした連合赤軍メンバーが、浅間山荘事件を起こすまでを描いています。演出がほとんどなく、暴力シーンは逆にリアルだという口コミがあります。以下、口コミを紹介します。

当時の白黒の映像がふんだんに使われています。
冒頭からの当時の映像シーンなど、当時の雰囲気をつかむまとまった資料としても価値があると思います。

映画としては、低予算だったようで、全体的にTVの再現ドラマという雰囲気が否めませんが、ヘンにドラマティックに演出されるよりは、全然アリだと思います。
私はamazon videoでみました。他の方が言うように、暴力シーンがあり、結構、リアルです。映像の加工やBGMでの雰囲気作りがないので、台詞とその場の音のみなんです。演者の力量一本での勝負です。演出の押し売りがないのは個人的には好きです。リアルな暴力シーン(これは本当にひどい)が嫌いな人はamazon videoでレンタルにしてもいいと思います。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2SEZUOLEKOI... |

浅間山荘事件を扱った有名なテレビ番組

『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』(NHK・2002年放送)

浅間山荘事件の人質救出作戦は、2000年から2005年にNHKで放送され、とても人気のあった番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられ、放送されています。「特集 あさま山荘 衝撃の鉄球作戦」というタイトルで、2部構成になっています。以下、レビューを紹介します。

この時代の歴史を知る一つの方法としては良いかと・・・。特に「過激派・事件」など。当時の警察事情も入るでしょう。「本を読む人が苦手」という方には持って来いでしょう。私はまだこのプロジェクトⅩが現役でやっている時、このDⅤDに収録されいたのをたまたま見てとても懐かしく思いました。私の知り合いにもこの当時「あさま山荘事件」に警察官として赴いた人がいます。映像化すると当時の様子とその人の話がよく分かりました。勉強になりました。

出典: https://www.amazon.co.jp/review/RYL14A9KRC8PF/ref=cm_cr_d... |

浅間山荘事件を扱った舞台

「〜あさま山荘事件〜『雪原を血にそめて』(1997年・2000年)

「劇団S.W.A.T!」が、「雪原を血にそめて~あさま山荘事件~」という演劇を1997年と2000年に公開しています。

浅間山荘事件を扱った本は?

『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫)

著者は、浅間山荘事件の際に警備実施・広報担当幕僚長を務めた佐々淳行氏です。佐々氏の実際のメモに基づき、浅間山荘事件の10日間を克明に描き出したノンフィクションです。以下、読者レビューを紹介します。

さすが,元警察官僚。読んで面白いです。個人的な視点で書かれているところもあるので,批判本が出るのは仕方ないとは思いますが,映画化もされましたし,この事件のことが気になって,読んでみたいと思うのであれば格好の入門本だと思います。連合赤軍側が書いた本も,長野県警警察官が書いた本も,書き方が硬いので,少し面白みに欠けますので。
ただ,この本を読んで興味が出た方は,ぜひ連合赤軍側が書いた本も読んでみてもらえればと思います。ああいう時代だったんだなぁということがよく分かるのではないかと思います。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1UPZZ8CJ2LQ... |

『浅間山荘事件の真実』(河出文庫)

著者は、浅間山荘事件当時に日本テレビのアナウンサーとして浅間山荘事件を実況中継していた人物です。実際の浅間山荘事件の実況中継だけでなく、再取材の内容も盛り込み、浅間山荘事件最終日の全容に迫る内容です。以下、読者レビューを紹介します。

浅間山荘事件を報道陣側から見た本である。しかし久能さんが調べつくしたおかげで新たなる真実や警官隊の状況、犯人側の状況や死傷者、その後などいろいろな事が分かります。きっと久能さん自身、この事件は衝撃的なもので忘れることができなかったのだろう。事件後も調べつくし効して一冊の本にまとめたのだろう。
犯人側の手記なども出ていたがこういう時代があったことがもう信じられない世代が増えていくのだろう。その中でこういう本がポンと隙間を埋めるように出てきてくれるのは大変ありがたい。過去の考えなきゃならない問題に触れる機会が出てくるからだ。久能さんほんとにありがとう。フジのアナウンサーだった露木茂さんは書かないのかなこういうの。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3RKTTONMP6B... |

昭和ニッポン18-札幌五輪日の丸飛行隊と浅間山荘事件(昭和ニッポン)

DVDブックです。昭和の様々なニュースを振り返る内容になっており、連合赤軍による集団リンチ事件(山岳ベース事件)や浅間山荘事件も含まれています。連合赤軍事件や浅間山荘事件を専門に扱ったものではありません。以下、レビューを紹介します。

当時テレビで見ていた映像が目の前に現れて感激しました。
映像の端々に当時の民衆の姿も映し出されていて、時代背景をよく感じることができたのが意外な発見でした。
昭和ファンなら必見の映像集です。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3VTW86ICKRT... |

『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実 元県警幹部が明かす』

著者は、浅間山荘事件の際に長野県警の幹部として現場を担当していた人物です。浅間山荘事件解決に向けて死力を尽くした長野県警の立場から事件をまとめています。以下、読者レビューです。

元警察官らしく文章が固く,面白みはありません。
佐々淳行の本に対する批判本ですが,あれから50年近くが経った今では,どちらが正しいか検証することはできませんし。
ただ,この本は現地警察官だからこそ書けた逮捕後の話が結構書かれていて,そこは資料的価値があると思います。佐々淳行の本は逮捕で終わっていますからね。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3P899LCWSBF... |

『あさま山荘1972』【上】・【下】・『続 あさま山荘1972』

浅間山荘事件の主犯で死刑判決を受けた坂口弘氏が、浅間山荘事件20年後に当時を振り返った内容です。浅間山荘事件に関する多くの考察・著作で資料とされています。以下、読者レビューです。

連合赤軍結成「前史」からの当事者、坂口氏による
自伝とも党史ともいえる一級資料。
革命闘争の部分、当事者かつ幹部クラスしか
知りえない情報が細かく時系列に書かれており
連合赤軍とは何ぞやな方からもわかりやすい。
必読は、革命を夢見た一青年の精神的成長と
革命の矛盾に対する心理面の自己考察。
革命闘争の行き着く先の「あさま」ではなく
矛盾と逃走からたどり着いたというべき
「あさま」が見えてくる。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RI9A1PD7J41P... |

『語られざる連合赤軍―浅間山荘から30年』

浅間山荘事件の主犯・坂口弘氏を支える活動をしてきた女性が、浅間山荘事件を含む連合赤軍事件に迫った本です。以下、読者レビューです。

事件の全体的な流れを知るには役立つと思います。
しかし、この本を読んだ後、当時の新聞や他の本をどんどん読んでいくと、
この本は筆者の主観的な解釈が激しすぎる気がして少し不快な気分になった。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2C67XHRTXMW... |

浅間山荘事件を起こした「連合赤軍」を知るための本は?

『死者の軍隊 連合赤軍の彼方に』(上)・(下)

浅間山荘事件を扱ったノンフィクション・ノベルです。

『証言連合赤軍(11) 離脱した連合赤軍兵ー岩田平治の証言』

自分の意思で連合赤軍を離脱した元メンバーの貴重な証言をまとめた資料です。

『兵士たちの連合赤軍』

元連合赤軍メンバーの植垣康博氏による自伝的な内容の本です。

『 優しさをください 《新装版》 連合赤軍女性兵士の日記』

連合赤軍事件で死亡した女性メンバーの日記です。連合赤軍当事者の声として貴重な資料です。以下、読者レビューです。

若い女性の心に浮かんでは消えた思いの数々を書き連ねたもので、2,3ページ斜め読みしただけで
後は読むのが辛かった。。これは個人差があるでしょうからなんとも言えませんが、読者がいることを前提にしたものでないのでしょうから
読みにくいのは仕方ないのかなと思います。
しかし、素晴らしいと思ったのは、序文を寄せている立松和平氏の文章です。
明日世界が変わるかもしれないなどと、考えたことすらない私には衝撃的なものでした。
これを読めただけでも、この本を手にした価値があったと思います。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RQMWPBUXXVAF... |

赤い雪 総括・連合赤軍事件 (新風舎文庫)

ノンフィクション作家であり評論家、国際ジャーナリスト会議(IJC)の理事長を務める著者が、浅間山荘事件などの連合赤軍事件に迫っています。以下、読者レビューです。

本書の評判は芳しくない。いや、大変悪い。左翼イデオロギーと内部に向かう暴力との関係への考察が甘いせいだ。結局事件の表面をセリフ入りの物語(本書の致命傷)でなぞっているだけ。理想社会の建設だ、人間解放だ、などと崇高な理念を掲げながら、つまらぬ、実につまらぬ屁理屈をつけて多くの同志を惨たらしく殺害する。この理念と行動の巨大な乖離・背反を不思議がり、不可解とだけみなして投げ出している。それでは説得力はないので、事件の原因を、ほぼ永田洋子個人の性格上の問題に帰しているようだ。角間隆が事件の本質に迫っているとは少しも感じられない。高木彬光の小説「神曲地獄篇」のほうがよっぽど上等だ。この事件に関心のある方にお勧めする。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RI17X5071Q1P... |

『連合赤軍事件を読む年表』

連合赤軍が山岳ベース事件や浅間山荘事件などを引き起こすまでの流れを社会状況とリンクさせて年表化するという試みです。元連合赤軍の植垣康博氏の解説付きです。以下、読者レビューです。

連合赤軍事件に関しては、連赤側・警察側双方の視点から書かれたものが多い中

この本ではニュートラルな視点で事件全体の経過が克明に記されています。

連合赤軍に至るまでの革命左派、赤軍派両派の歩みや、あさま山荘銃撃戦での10日間

事件その後の裁判の経過、更に連赤当事者の植垣氏のインタビューも巻末に掲載されています。

また、当時の社会背景も同時に年表化されていて戦後左翼運動史の資料としてもわかりやすい本だと思います。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2T8LNEZ9OPW... |

『十六の墓標』(上)・(下)・『続 十六の墓標』

連合赤軍中央委員会副委員長で、浅間山荘事件前に逮捕された永田洋子氏の著作です。以下、最新作の『続 十六の墓標』の読者レビューを紹介します。

なんともやりきれない印象の本でした。
「死刑判決」を受けつつも必死で自らの体験を「総括」し続ける姿勢は半分ほど評価できよう。だが彼女(永田さん)には、「思想の意味」がそもそも分かっていないのでは?。他人に「死」を強制した過去を持ちながらも、その「総括・殺人」の原因を自らの「思想的未熟性」に求めるのは勘違いもはなはだしい。なんとなれば、「思想が熟成する時代・人間」においては、「死を他人に要求することが正当」と見なされることをも示すのだから。彼女なりの真摯さと思いたいのだが、殺された同士を描写する場面は異様に「抽象的」であった。故森氏に対する批判の目もいささか曇っているのではないか。一方の「坂口氏」の著作に見受けられる、「思想への根本的疑問」を持ち得ない人間とはいったいどういう人間か?
自己の「未熟さ」を一番の原因とするそれこそ未熟な思想には慄然とした。私は、「人間は未熟であろうが熟成していようが倫理観を持ち得る」のを信じているから
「思想と人間の関係」を見るには格好の一冊なのだが…
これ以上は亡くなった兵士・永田さんの名誉のため差し控えます・・・

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1ZAZF4Z3GW1... |

『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 』(角川文庫)

サブカルチャー論者による連合赤軍の評論集です。日本赤軍元リーダーの重信房子論も掲載されています。以下、読者レビューです。

この本は様々なトピックについての論集だが、連合赤軍を扱い、オウム真理教を扱い、そして
少女マンガについて論じるときも、そのキーワードは「女性」と「時代精神」だろう。
 連合赤軍のリンチの発端になったのも、女性のかわいくみせるふるまい―その10年後には
当たり前のようにみられる、服装、化粧などなど消費文化を受け入れ、愉しむやり方。
 またオウム真理教については、その幹部女性に注目したりする。
 1980年代の時代精神については、目新しい議論ではないが、ささやかな「矮小」された
出来事に着目し、そして(時に強引とはいえ)非常に読みやすい文章で書かれていることは
ありがたい。そして、軽く書かれているように見えて、読み応えは十分ある。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RK4MGF0DLR6J... |

『 連合赤軍二七年目の証言』

浅間山荘事件直前に逮捕された元連合赤軍の植垣康博氏が出所後に連合赤軍事件を振り返っています。以下、読者レビューです。

植垣氏の連赤総括がもっと深められていることを期待したが、ちょっと物足りない内容でした。インタビュー部分の彼の姿勢・考え方は納得できるものが有ったが、後半部分の獄中記は、平板だった。ちょっと物足りない。"兵士たちの連合赤軍"の様な赤裸々な"実録"はもう期待できないかも知れない。 ただ、これからの娑婆での同氏の活躍は期待したい。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R32UGKRYFIOK... |

『連合赤軍少年A』

浅間山荘事件の犯人メンバーの1人加藤倫教氏が、山岳ベース事件や浅間山荘事件といった連合赤軍事件を振り返っています。加藤倫教氏は、兄・弟とともに連合赤軍メンバーでしたが、兄を山岳ベース事件で殺されています。以下、読者レビューです。

本書は、有名な山岳ベース事件、あさま山荘立てこもり事件に関わった著者の目から、事件を冷静で分析的な文章でつづったものである。
当時の時代状況のほかに、著者個人の、極端に権威的な父親に対する反発や、その父が軽視していた弱者への共感といった、内面的な動機が語られている。
  
本書のクライマックスはやはり山岳ベースにおける連続リンチ殺人である。
被指導者クラスであり、発言権がほとんどなかった著者にとって、連合赤軍の幹部たちの「総括要求」は「ほとんど言いがかりに近い」ものと映り、いつ自分が対象になるかわからない危機感が強くあった。「ものを言えば殺される」という状況において、著者の心が恐怖に閉じていく様子がなまなましく伝わってくる。

著者の語る通り、幹部である永田洋子や森のメンバーに対する総括要求の基準は、相手が自分に賛同的かどうかという強い偏りがあった印象を受ける。読者の目にも、私情を思想に転化して攻撃性を発揮したとしか思えない言動がある。しかし、山岳ベースにおいては、本人も周囲もそれを意識することができない閉鎖的状況が作られていたのだろうと推察される。
著者は「あのとき単純に“おれの友達に何をするんだ!”とぶつかっていけば、惨劇は避けられたはずだった」と悔やむが、大義の呪縛はその単純で自然な感情を許さないものだったのかもしれない。

現代の視点からみれば、なぜ彼らが、こうも激しくイデオロギー的熱狂に駆り立てられ、たやすく高揚感に身を任せてしまうのかと、危うさを感じてしまうが、それにはさまざまな要因があったことがわかる。
著者は、多くの若者たちにとって政治活動は「卒業していくファッション」だったが、連合赤軍は違ったと語る。
 
「イデオロギー」そのものは一概に悪いとも良いともいえないかもしれない。
だが、それが個人よりも上位に置かれ、個人の感情から目をそらすものとして利用された時、いかに残酷な事態を引き起こすかを教えてくれるという点において、現代にも通じる重さを持った本だった。
 

なお、著者は長い刑期を終え、現在はボランティアとして環境保全活動に取り組み、多くの成果をあげていると言う。
本作の最終章に詳細に語られているその活動には、かつての熱狂や対立の空気はなく、著者が少年期から望んでいた宮沢賢治の「でくのぼう」的生き方が反映されていると感じた。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RZES6ORBFYRC... |

平和にはたくさんの想いや重みがある

平和にはたくさんの想いや重みがある
今回は、浅間山荘事件について紹介しました。犯人側の視点、警察側の視点、その時代の背景など、たくさんの異なった視点や価値観で様々に語られている事件であることを感じた方も多いかも知れません。

「日本は平和だ」とよく言いますが、日本にも平和でない時代はありました。被害者たちだけでなく加害者たちも、それぞれの想いを抱え、苦しんでいた背景から浅間山荘事件のような事件が起きたと言えます。そして浅間山荘事件では、尊い命が失われました。

今、私たちの多くは日本を平和だと思っているかもしれませんが、今の社会の中でも苦しみを抱えている人や、平和のために働いてくれている人たちが居ます。過去の事件から教訓を得て、より良い世界の実現のために手を取り合っていくことが大切なことではないでしょうか。

Related