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名張毒ぶどう酒事件の概要|真犯人は会長説/真犯人/夜這い
2018年10月02日

名張毒ぶどう酒事件の概要|真犯人は会長説/真犯人/夜這い

名張毒ぶどう酒事件の背景には、田舎の山村の独特な風習と、人間関係が深く絡んでいる点にスポットをあてそこからみえる人間模様を深堀りし、名張毒ぶどう酒事件が解決しないまま奥西勝死刑囚が獄中死するに至った経緯を多方面から紐解くことで社会における司法の在り方を考える。

名張毒ぶどう酒事件の概要について

名張毒ぶどう酒事件は、事件当時は第二の帝銀事件として世間を騒がしました。現在においては、和歌山カレー事件が加えられたことにより日本の犯罪史上の三大毒殺事件の一つとしてその名を連ねています。

名張毒ぶどう酒事件とは、今から遡ること56年前三重県名張市葛尾(くずお)18戸と、奈良県山辺郡山添村葛尾7戸で構成されているクラブ「三奈(みな)の会」の総会で起きた残忍な毒殺事件のことを指します。

「三奈の会」は三重の三と、奈良の奈の頭文字から命名された、農業改良・生活改良・文化向上と両村民の親睦を目的にした総会で、年1回開催されていました。名張毒ぶどう酒事件がなぜ世間からクローズアップされるのか事件の概要を詳しくみてみましょう。

名張毒ぶどう酒事件の詳細と裁判まで

1961年(昭和36)3月28日、三重県名張市葛尾の薦腹地区公民館葛尾分館(現在は取り壊されています)において、地区の農村生活改善クラブ「三奈の会」が開催され男性12人、女性20人の計32人が参加しました。

三奈の会とは

三奈の会は、年に1回の総会で農村生活改善クラブ役員の改選や会計報告を行う名目の会ですが、総会の目的は続けて行われる懇親会にもありました。ここで年に1回お酒を酌み交わすことが、娯楽の少ない田舎の集落の貴重な催事でした。

総会は19時から開始され会計報告のあと、今年度の役員改選で新会長や各種役員の選出を行いました。そのあと20時頃から懇親会が始まり机の上には折詰が並べられ、男性は日本酒を飲み、女性はぶどう酒を飲みました。

その数分後、ぶどう酒を飲んだ女性1人(当時30歳)が苦しみ始め倒れて、それ以降ぶどう酒を飲んだ女性が次々と苦しみだし、嘔吐する急性中毒症状を訴えながら倒れていきました。12人が重軽傷、5人が死亡したことで「名張毒ぶどう酒事件」になりました。

警察の捜査状況

事件発生後食中毒と思われましたが、日本酒を飲んだ男性には異常が見られず、倒れた人がすべてぶどう酒を飲んだ女性であると判明しました。そのため、ぶどう酒が事件に何らかの原因があると推定し、ぶどう酒を鑑定しました。

その結果、有機リン系のTEPP剤(テップ剤)という農薬が検出され、ぶどう酒を購入した酒屋のぶどう酒からは毒物は検出されませんでした。これにより警察は事故ではなく事件として捜査を進め、「三奈の会」会長(奥西楢雄)やぶどう酒を購入して会長宅に届けた男性(石原氏)、会長宅からぶどう酒を公民館へ運んだ奥西勝さんの3人が事情聴取されました。


三人とも否認され、警察は事情聴取や周辺からの聞き込みを行いました。名張毒ぶどう酒事件の犠牲者5人の女性のうち、妻と愛人が亡くなった奥西勝さんに疑いの目を向けました。奥西勝さんとその妻、そして愛人との三角関係が浮上したことで警察は、奥西勝さんが三角関係を一気に清算したのではと考えました。

奥西勝さんの取り調べ

奥西勝さんは4月2日時点の取調べでは自身の妻の犯行説を主張し、自身の犯行は否認していました。しかし、4月3日三角関係を清算するために総会の10日ほど前に自宅にあった農薬で妻と愛人を毒殺する計画を立てたとして農薬の混入を自白し、逮捕されました。

逮捕直前、奥西さんは警察署で名張毒ぶどう酒事件の犯人として記者会見に応じていますが、逮捕後の取調べからは一変して犯行を否認する供述をしています。奥西勝さんと名張毒ぶどう酒事件との長い闘いの幕開けとなりました。

裁判の経緯

第一審の津地方裁判所では無罪を主張しています。一審の裁判期間は3年半にも及ぶものでした。1964年12月23日、証拠不十分により無罪判決が下りました。3日後、検察側はこの判決を不服として控訴しました。

1969年9月10日、第二審の名古屋高等裁判所では一審とは逆転有罪の死刑判決が下りました。1972年6月15日の最高裁判所では、二審の名古屋高等裁判所の判決を全面的に支持、上告を棄却する判決が下されました。この判決で奥西勝さんは死刑が確定し、確定死刑囚となりました。

奥西さんは天国から地獄へと突き落されてしまいました。この後、9回にわたる再審請求はことごとく棄却され、第7次再審請求も検察の異議申し立てにより取り消されてしまいます。

逆転裁判結果はなぜ起こった?

ここまでが、名張毒ぶどう酒事件の概要です。一度は自供した奥西さんがなぜ、自供を覆したのか気になります。無罪判決から、死刑判決という逆転裁判結果はなぜ起きたのでしょう。死刑判決により奥西さんは、名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝と呼ばれることになりました。これらの疑問点についてもっと探ってみることにしましょう。

名張毒ぶどう酒事件発生場所は?

名張毒ぶどう酒事件の発生した場所は、三重県名張市実質飛地と奈良県山添村にまたがる葛尾(くずお)地区という山間の人口100人ほどの小さな集落です。小さな集落ということで一つ先を辿るとすべてが親戚同士になってしまい、ここの村の人はみんなが縁故関係にありました。

小さな村なので何か問題が起きたとしても大体は誰の仕業か追及できます。しかし、分かっていても公表できない、あえて公表しないという小さな村特有の決め事がありました。村の中では村八分的な存在や、咎めを代わりに受けることで残った家族はみんなから恩恵を受けました。このように、村に住む人たちには色々なことに口をつぐんで隠すという風潮がありました。

名張毒ぶどう酒事件を引き起こした元凶夜ばいとは?

名張毒ぶどう酒事件は現在においても注目されている事件の一つです。それには名張毒ぶどう酒事件を引き起こした元凶の存在が深く関係しています。名張毒ぶどう酒事件が発生した当時の葛尾地区には、今の社会では考えられない「夜ばい」という風習が蔓延していました。

現代社会において「夜ばい」とは、村の女性が村の男性に有無を言わさずにレイプされてしまうことと考えてしまいますが、それは少々誤解した受け取り方で、ここでの「夜ばい」は、村の男女の性のはけ口であり最大の娯楽と位置づけられ、男女ともに楽しめる平等なものでした。

女性側の拒否権利

女性側には、自分の体調や相手によっては拒否することができる権利が与えられており、それを破って強引な「夜ばい」に及んだ男性は村八分にされるなどの制裁を受けました。

山間部の村の集落である名張毒ぶどう酒事件発生場所の葛尾は娯楽に乏しいことから、既婚の男女がそれぞれ他の男女と自由な性的関係を持つという性に開放的な地域でした。こうしたことで名張毒ぶどう酒事件の舞台となった葛尾地区では、三角関係、四角関係は珍しいことではなく事件当時も25戸の農家のうち7組が三角関係にありました。

名張毒ぶどう酒事件の元凶は、村の娯楽「夜ばい」が深く関係していることはゆがめない事実でしょう。名張毒ぶどう酒事件は、「夜ばい」のもつれが引き起こした陰鬱な農村の犯罪といえます。

奥西勝を取り巻く人間模様は?

名張毒ぶどう酒事件の犯人として起訴され裁判で、死刑判決を下された奥西勝とは一体どんな人物であったのでしょう。奥西勝の周辺から彼の人間像を探ってみましょう。

奥西勝と妻の関係は?

奥西勝と妻、奥西千恵子は1947年(昭和22)1月に当時では珍しく恋愛結婚で結ばれています。1948年に長男、1954年に長女と2人の子供に恵まれています。奥西勝は、家族4人で葛尾に住み農業の傍ら近くの石切り場で働いていました。

奥西勝の自白調書によると、奥西勝は1959年(昭和34)の夏頃から近隣に住む北浦ヤス子と男女関係になりました。2人の関係は狭い村での噂話になっていて1960年(昭和35)10月頃、妻の千恵子は2人が仲良く歩いているところを目撃して、そのことで千恵子と奥西勝は口争いが頻発するようになり、夫婦の関係は険悪となっていたとなっています。

奥西勝と妻そして愛人の関係は?

奥西勝と妻、そして愛人との三角関係はどうだったのでしょう。奥西勝の自白内容では、奥西勝と妻との夫婦関係は険悪な状態だったと言われていますが、その一方で、奥西勝と妻の千恵子、そして愛人の北浦ヤス子の3人はいつも連れ立って仕事や映画に行っています。また3人は、男女の関係においても3人一緒での情事を重ねていたとのことです。

村の人たちも3人からは殺害を起こすような三角関係の苦悩や、深刻さを感じることがなかったと証言しています。

村の風潮なのか?

「夜ばい」の風習がある村ですから当たり前と言えば当たり前のことですが、奥西勝には北浦ヤス子以外にも数人の性の女性相手がいて、妻の千恵子にも夫の奥西勝以外に男性がいて、愛人の北浦ヤス子は「三奈の会」会長の奥西楢雄とも三角関係でした。

「夜ばい」の風習が葛尾という集落の人間関係を複雑にしていて、現在においての愛人の存在とはまったく違う葛尾での愛人の立ち位置に理解しがたいものを感じてしまいます。このように事実関係を知ったことで、名張毒ぶどう酒事件の解決をより遠ざけているものに「夜ばい」の風習が絡んでいることがわかります。

奥西勝と子供

奥西勝には名張毒ぶどう酒事件当時中学1年生だった息子と、小学6年生だった長女がいました。2人の子供は名張毒ぶどう酒事件により母親を失って、父親は警察で取調べを受ける毎日を送っていました。この時、奥西勝の娘は中学校への入学を控えている状況でした。

奥西勝は裁判の時、警察からの執拗な尋問によって自白を強要させられたと言っています。警察は奥西勝に対して名張毒ぶどう酒事件の犯人であることを自供すれば、娘の中学校の入学準備に間に合うからという手口を使って奥西勝を自白へと追い込みました。奥西勝は自分は無実だから裁判で無実を主張すれば信じてもらえると、司法を信じて自白したとも言われています。

奥西勝と母親

奥西死刑囚の母タツノさんは名張毒ぶどう酒事件後は葛尾を追われ、一人暮らしを始めました。内職で稼いだお金を手にして息子が収監されている名古屋拘置所に毎月のように面会に訪れました。

1988年11月4日、奥西死刑囚の母タツノさんは永眠されました。最愛なる母の死を電報で知った奥西死刑囚は、母にざんげの言葉を書き殴りました。「母の骨までしゃぶって、母の一生は私の苦労であった。おわびして成仏を祈る」奥西死刑囚は2003年頃にも、「母の日の想記」と題して母への思いをしたためています。

母タツノさんが獄中の息子に送った手紙は969通に及んだとされていて、一週間に一通必ず送られてきたそうです。奥西死刑囚もそのたびに母に返信しました。息子の冤罪を信じる母の深い愛情を感じることができます。

名張毒ぶどう酒事件犠牲者は?

名張毒ぶどう酒事件の犠牲者はぶどう酒を飲んだ17人の女性でした。そのうち5人の女性が敢え無く命をおとしています。

名張毒ぶどう酒事件で亡くなった方の実名と、事件当時の年齢を下記に記します。
奥西フミ子(30歳)「三奈の会」会長の、奥西勝の家とは隣家
奥西千恵子(34歳)奥西勝の妻
新矢好(25歳)前「三奈の会」会長
中島登代子(36歳)
北浦ヤス子(36歳)奥西勝と奥西楢雄の愛人

このように、奥西勝は名張毒ぶどう酒事件によって妻と愛人の2人が同時に死亡していることを受け、事件の有力な容疑者として警察から目を付けられました。警察は、奥西勝宅で奥西勝の寝食にいたるすべてを監視、その監視は排便にまでも及んだということです。

名張毒ぶどう酒事件と村の人々

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の実行犯として自供し逮捕された時、村の人々は名張毒ぶどう酒事件の犯人が特定されたことの安堵から、奥西勝の家族に愛の手を差しのべようとする呼びかけが行われました。しかし、奥西勝が容疑を否認し無実を主張していることを知った途端に、集落ぐるみで奥西勝の家族へ迫害を始めました。

事実、奥西勝の母を集団リンチする犯罪行為が堂々と行われています。村八分にされたことで、奥西勝の家族は葛尾を去り転居を余儀なくされました。村人は転居を口実に、共同墓地にあった奥西家の墓を掘り起こし、墓地に隣接している畑に一基だけ追い出しました。

真相を明らかにしない?

名張毒ぶどう酒事件の発生場所は葛尾という山間部の小さな集落であったため、奥西勝が無実であった場合は葛尾の中に真犯人ないし、その子孫が暮らしている可能性が高くなるので地域の和が再び乱れ波風を立てる結果になることを恐れました。

真相を明らかにすることを望んでいない村民が多くいたため、名張毒ぶどう酒事件のことは村内ではタブーなこととされ、村民全員が奥西勝の死刑を願っていたと言われています。この事件をみんなで隠して早く風化させたい、そのためには多少の泣き寝入りも仕方ないという村ならではの風潮がここにはありました。

葛尾という小さな集落が名張毒ぶどう酒事件によって全国的な話題にのぼったことで、葛尾の風習「夜ばい」が世間で広く明らかにされることを村民は嫌いました。奥西勝に死刑判決が下ると、村民は犠牲者慰霊碑を建立しました。

名張毒ぶどう酒事件で使用されたとされるニッカリンTとは?

ニッカリンTはテップ剤とよばれる農薬の一つで日本化学工業が製造していましたが、人畜毒性が極めて強いため、昭和44年度で生産は中止されました。ニッカリンTの致死量は、0.06~0.15gで、青酸カリウムの致死量が0.15~0.3gなのでいかに毒性が強いかわかります。

有機リン系の殺虫剤で使用用途は、稲のウンカ、野菜のアブラムシ、茶のアカダニ、桑のキジラミ、ヒメハムシ、果樹や花きといったものに適用するものでした。ニッカリンTの製品色調は赤色の報告がされています。奥西死刑囚は、茶を消毒するためにニッカリンTを所持していたと自供しています。

ニッカリンTの溶解性は、水に易溶で、多くの有機溶剤に可溶、石油系溶剤には不溶です。その他、水中で容易に加水分解されてリン酸ジエチルを生じ、速効性ですが分解されやすい特徴があります。また、金属を腐食する特徴もあります。

毒性が死へと繋がるメカニズム

ニッカリンT(有機リン系農薬)は、人など脊椎動物が筋肉などを動かす際の命令伝達物質であるアセチルコリンを分解する酵素コリンエステラーゼと結びつきます。

そのことにより、コリンエステラーゼの活動が遮断されてしまいます。

本来ならアセチルコリンは命令伝達の仕事を終えるとコリンエステラーゼによって分解されますが、コリンエステラーゼがニッカリンTにより遮断されているため、筋肉は運動するようにというアセチルコリンの刺激を与えられたままの状態になります。

そのため筋肉は痙攣を起こし、それにより呼吸筋が動かなくなり死に至ります。この治療には、プラリドキシムが有効とされています。

名張毒ぶどう酒事件の裁判経緯について

名張毒ぶどう酒事件の裁判経緯について
名張毒ぶどう酒事件が世間の関心を集めている理由の一つに、裁判の判決結果が一審と二審とでは真逆な判決結果になっていることがあります。奥西勝が被告人としてたたかった名張毒ぶどう酒事件のこれまでの裁判について深掘りしてみましょう。

名張毒ぶどう酒事件第一審津地方裁判所

警察が奥西勝を逮捕、検察が起訴に至るまでの流れを辿ってみましょう。

奥西勝の自供内容
犯行の動機:妻千恵子と、愛人北浦ヤス子との三角関係を清算するため
犯行の凶器:ニッカリンT
犯行の方法:一人になった際にぶどう酒の栓を歯で開けて、そこに自宅から用意していたニッカリンTをぶどう酒に混入

この奥西勝の自供により警察は奥西勝を逮捕、検察は奥西勝を殺人、殺人未遂罪で起訴しました。ぶどう酒の栓の傷跡については、被告と同一の歯型という鑑定と、それを否定する2つの鑑定結果がありましたが、判決の決め手は捜査段階での奥西勝の自供の信用性が論点になりました。

名張毒ぶどう酒事件から3年8ケ月後の1964年(昭和39)12月23日
津地方裁判所:小川潤裁判長
証拠不十分により無罪判決を下しました。

判決内容

犯人はぶどう酒を開ける際に王冠を歯でこじ開けているが、王冠に残された歯形が奥西勝のものではないとしました。さらに、村人の証言が次々に変わったことを、検察側の並々ならぬ努力の所産と批判しました。奥西勝の自白は信用できず、犯行動機も納得できないとした判決内容でした。

間接的な証拠だけで本件犯行が被告人の行為であるとは認定し難いとして、奥西勝を犯人ではないとしたものでした。この判決は疑わしきは罰せずの刑事訴訟法の常識の概念に沿ったものでありました。

名張毒ぶどう酒事件第二審名古屋高等裁判所

名張毒ぶどう酒事件第二審名古屋高等裁判所
第一審の津地方裁判所の判決を不服として、検察側は控訴しました。
名張毒ぶどう酒事件第二審:名古屋高等裁判所
上田孝造裁判長
1969年9月10日
名古屋高等裁判所は津地方裁判所の無罪判決を破棄し、逆転有罪の死刑判決を下しました。

ぶどう酒の王冠の歯型は奥西勝のものと一致し、毒物を混入する機会があったのは奥西勝だけであり、奥西勝の自白は信用できるもので犯行の動機としても納得できるとした有罪の判決でした。

名張毒ぶどう酒事件最高裁判所の判決

奥西勝は、第二審の名古屋高等裁判所の判決を不服として最高裁判所に上告をしました。
しかし、奥西勝の上告を最高裁判所は棄却しました。
1972年(昭和47)6月15日
最高裁判所は奥西勝に対して死刑を確定しました。

しかし、前述したことからもわかりますが名張毒ぶどう酒事件については、決定的な物的証拠が何もなく疑問だけが残る事件です。奥西勝は最高裁判所からの死刑確定を受け、名張毒ぶどう酒事件の奥西死刑囚となり、1973年から名張毒ぶどう酒事件の再審請求を続けていますがいずれも退けられています。

名張毒ぶどう酒事件の再審請求について

1973年(昭和48)4月に、奥西死刑囚は名古屋高等裁判所に第1回目の名張毒ぶどう酒事件の再審請求をします。この後、再審請求を5回提出するもすべて却下されました。

再審請求棄却決定理由として、第五次再審請求を退けた最高裁判所の決定理由「要旨」は以下の3つを挙げています。
1.10分間一人でいたという状況証拠
2.王冠に残った歯型
3.自白

奥西勝に死刑判決を下した根拠として要旨では、ぶどう酒に有機リン系の農薬を人目に付くことなく入れることができたのは、「三奈の会」の開会が迫った時刻に公民館のいろりの間で10分間一人でいた奥西勝だけだとしています。

現場から押収されたビンの王冠の表面についていた傷跡は、奥西勝が王冠を歯で開けたときについたものという鑑定および証言が複数存在する。とし、最後に奥西勝の自白の存在を挙げています。

第一審・二審鑑定結果

第一審と、二審で王冠の歯痕鑑定を行った大阪大学教授および名古屋大学教授は、奥西勝が実際に噛んだ別の王冠の歯痕と比較し、王冠と奥西勝の歯痕間隔が一致する。と鑑定し、このことが有罪の決め手となっていました。

弁護団の鑑定結果

第5次再審請求で弁護団が決め手として提出したのが、唯一の物証である歯型の鑑定の見直しでした。弁護側は新たに日大歯学部助教授に鑑定を依頼しました。日大歯学部助教授が歯痕の間隔を計測し直した結果、10ケ所のうち9ケ所が一致せず、最大で2.6㎜のズレが生じたと指摘しました。

学生10人で10個ずつの王冠を歯で開ける実験をした結果、同一人物が同じ歯でかんでも歯痕の間隔が常に一致するとは限らないと結論づけました。このことは、歯型が一致してもしなくても王冠は物証にならないとするものでした。

最高裁判所の判定結果

2002年(平成14年)4月8日に最高裁判所は第6次再審請求についての請求を退けた名古屋高等裁判所決定を支持し、奥西死刑囚の特別抗告を棄却する決定をしました。
5人の裁判官は全員一致で、確定判決の認定に合理的疑いが生じる余地はないと判断したものでした。

このことを受け、2002年4月10日、奥西死刑囚は名古屋高等裁判所に7度目の名張毒ぶどう酒事件の再審請求をしました。

真実を求めて

「名張毒ぶどう酒事件で死刑囚となった奥西勝は冤罪で「奥西勝死刑囚を救おう」と、弁護団は司法(裁判所)との闘いを続けます。弁護団の闘いにスポットをあてて正義の姿を追ってみましょう。

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求に向けての鑑定書1

名張毒ぶどう酒事件の犯人となり死刑囚となった奥西勝は冤罪だとして、日本弁護士連合会は支援をはじめました。

2003年(平成15)7月23日
弁護団は「ぶどう酒のビンの王冠を歯で開栓した」という奥西死刑囚の自白が信用できないことを証明する鑑定書を新証拠として名古屋高等裁判所に提出しました。

鑑定内容
王冠の内ブタは4つの突起が付いた「4つ足替栓」とよばれるものでしたが、1つの突起が完全に折れ曲がっていたことに弁護団は注目しました。

名古屋大学大学院工学研究科石川孝司教授に鑑定を依頼し、人間の歯で開栓した場合は折れ曲がらないという鑑定結果を得ることができました。

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求に向けての鑑定書2

2004年(平成16)12月1日までに弁護団は、名張毒ぶどう酒事件の「判決の認定とは違う農薬が犯行に使用された可能性がある」とする鑑定書を新証拠として名古屋高等裁判所に提出しました。

弁護団の着目点
事件直後の三重県警の鑑定では、水分と混ざって分解したため検出されなかった農薬の一成分の鑑定を神戸大学、京都大学の教授に依頼しました。

その結果、三重県警の鑑定とは逆に水分で分解されにくいことが判明しました。
このことで、もともとこの成分を含まない他社メーカーの農薬が名張毒ぶどう酒事件の犯行に使用された可能性が浮上しました。

また、使用されたとされている農薬(ニッカリンT)の色が赤だったことも判明しました。
このことは、白ぶどう酒に混ぜると赤みを帯びる可能性が高くなり、名張毒ぶどう酒事件で死刑囚となっている奥西勝の自白や、関係者の証言との矛盾をうむ結果となりました。

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求は?

2005年(平成17)4月5日
名古屋高等裁判所:小出裁判長

「混入毒物は、奥西の農薬とは異なる疑いがある」と述べ、捜査段階の自白の信用性に疑問を呈し、名張毒ぶどう酒事件の再審を開始する決定をしました。

第7次再審請求では名古屋高等裁判所が弁護側の鑑定人を証人尋問し、第五次審査請求以来16年ぶりになる事実関係の調べが行われました。

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求後の流れは?その1

2006年(平成18)9月11日:神戸地方裁判所

名古屋高等裁判所の再審決定に対する異議申し立て審で、毒物の鑑定を行った神戸大学の佐々木満教授(有機化学)の承認尋問を行いました。

異議審の最大の焦点である毒物の同一性について佐々木教授は、「奥西死刑囚が所持していた農薬と混入された農薬は別の疑いがある」と述べました。

検察側は問題の成分が検出されなかった理由について以下のように主張しました。
①量が微量だった
②加水分解して消失した

これに対し佐々木教授は「別の成分が検出されているのに、問題の成分だけが検出されないのは合理的に説明できない」などと反論しました。

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求後の流れは?その2

2006年(平成18)12月26日
名古屋高等裁判所:門野博裁判長

今回の再審の争点
ぶどう酒に混入された農薬と奥西死刑囚が所持していた農薬(ニッカリンT)との同一性

ぶどう酒内にニッカリンTの成分は検出されなかったことを受けて、検察側は「加水分解されたために検出されなかったと説明しました。弁護側は、「成分の加水分解される速度は遅く、農薬は別物である」と主張しました。

門野裁判長の判決内容

ニッカリンTについて
「成分が検出されないこともある」とし、農薬がニッカリンTでないとはいえないと認定し、
「本件に使用された毒物は(奥西死刑囚が所持していた)ニッカリンTの可能性が十分にある」と述べました。

新証拠についても再審開始決定の出た第7次再審請求審で弁護側が提出し、新証拠として採用された「2度開栓実験」や「ぶどう酒の王冠の内側に付いている足のまがり具合の鑑定」などについてもその証拠価値を否定し、「新証拠は新規性は認められるが、(死刑判決を覆すほどの)明白性は認められない」と述べました。

奥西死刑囚の自白について

奥西死刑囚の自白について、「自らが極刑となることが予想される重大犯罪について進んで嘘の自白をするとは考えられない」と述べ、奥西死刑囚の自白信用性を認めました。名古屋高等裁判所は、検察側からの異議申し立てを認め、再審開始決定を取り消しました。

また同時に死刑の執行停止も取り消しました。このことにより奥西死刑囚は、再度、名張毒ぶどう酒事件の確定死刑囚としての毎日を送ることになりました。

正義とは?弁護団の闘いその1

2007年(平成19)1月4日
弁護団は再審開始決定を取り消した前年12月26日の名古屋高等裁判所決定を不服として、最高裁判所へ特別抗告しました。

「名古屋高等裁判所の決定は『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則に反した重大な認定をしており、破棄されるべきだ」と訴えています。

正義とは?弁護団の闘いその2

2008年(平成20)1月30日
弁護団は奥西死刑囚の供述内容の分析結果などを柱とした申し立て補充書を最高裁判所に提出しました。奥西死刑囚の供述には「秘密の暴露」がなく、多くが取調官に迎合したものとみられると指摘し、「迎合性が極めて高い」とする心理テスト結果も添付しました。

再審開始決定を取り消した名古屋高等裁判所決定は「供述をことさらに重視した事実認定で誤り」だと、改めて主張しました。2007年9月に続き今回は2度目となる補充書提出となりました。

正義とは?弁護団の闘いその3

2008年12月25日
弁護団は農薬(ニッカリンT)を製造した会社の元従業員の陳述書などを新証拠として、最高裁判所に提出しました。

2006年の名古屋高等裁判所決定は農薬のすべての成分が明らかではないとして、弁護団の実験の証拠価値を認めませんでした。陳述書では、農薬の製造工程や成分を詳細に元従業員が説明しており、「不純物が加えられていないことは明らかで、名古屋高等裁判所の判断は誤り」だと主張しました。

正義とは?弁護団の闘いその4

2009年(平成21)7月2日
弁護団は再審が決定した足利事件の教訓を踏まえた判断を求める申立補充書を最高裁判所に提出しました。

補充書内容
「足利事件は自白に依拠した事実認定がいかに危険であるかを明確にした」と指摘。
再審開始を取り消した名古屋高等裁判所の異議審決定は、「科学的な新しい根拠に基づいて審議開始を認めた決定を自白に依拠し取り消している。このことは、足利事件と同じ過ちを犯している」と批判しました。

弁護団の闘いからの司法の動きは?その1

名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団のこれまでの長きにわたる闘いは功を奏し、最高裁判所を動かしました。

2010年(平成22)4月5日
最高裁判所第3小法廷:堀籠幸男裁判長

第7次再審請求に対し、2006年(平成18)12月26日に再審開始決定を取り消した名古屋高等裁判所決定を取り消し、名古屋高裁に審理を差し戻す決定をしました。

最高裁判所第3小法廷
「事件で使用された農薬と、奥西死刑囚の所持品が一致するのか事実が解明されていない」と判断し、名古屋高等裁判所に新たな鑑定を行うように命じました。
このことで、名張毒ぶどう酒事件の再審が開始される可能性がでてきました。

正義とは?弁護団の闘いその5

2010年(平成22)4月7日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の支援団体である「名張毒ぶどう酒事件愛知・奥西勝さんを守る会」のメンバーたち約15人が名古屋高等裁判所を訪れました。

要請内容
2005年(平成17)4月5日に名古屋高等裁判所が一度決定した再審開始に対する検察側の異議申し立てを取り下げて、再審決定を確定させるように要請しました。

奥西勝死刑囚の即時釈放や捜査の初期段階における重要参考人の供述など、未開示証拠の開示を盛り込んだ要請書を提出しました。

4月5日の最高裁判所決定により、名古屋高等裁判所の再審決定に検察側が異議申し立てをした段階まで審理が差し戻されることになったので、差し戻し審に入る前に検察側が異議申し立てを取り下げるよう求めました。

正義とは?弁護団の闘いその6

2010年(平成22)5月10日
弁護団は差し戻し審が開かれる名古屋高等裁判所を訪れました。

名張毒ぶどう酒事件の最大の争点となっている農薬について、「元被告が混入したとされる農薬ニッカリンTとは別の農薬」とする意見書を提出しました。

この意見書は弁護団のこれまでの主張を補強する内容のもので、鈴木泉弁護団長は「現時点の(毒物問題分析の)到達点であり、読んでもらえれば毒物がニッカリンTでないと判断できるはずだ」と、話しました。

正義とは?弁護団の闘いその7

2010年(平成22)7月16日
名古屋地方検察庁は、差し戻し審で主張する内容を盛り込んだ意見書を名古屋高等裁判所に提出しました。

名古屋高等検察庁の意見書
奥西勝死刑囚がぶどう酒に混入したと自白した農薬ニッカリンTについて、当時のメーカーに依頼し再鑑定するよう求めた内容のもの

この再鑑定は名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物がニッカリンTであったのか否かを特定するために、可能な限り当時と似た条件で再鑑定するよう求めた最高裁判所決定を踏まえた内容であったとみられています。

正義とは?支援者の闘いその1

2012年(平成24)5月7日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の支援者18人が、名古屋高等裁判所に再審開始を求める署名6713人分を提出しました。支援者が名古屋高等裁判所に提出した署名総数は、約2年間で10万人を超えたと言われています。

弁護団の闘いからの司法の動きは?その2

2012年(平成24)5月25日
名古屋高等裁判所:下山保男裁判長

第7次再審請求差し戻し審で検察側の異議申し立てを認め、名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の再審請求を棄却しました。

差し戻し審の争点
名張毒ぶどう酒事件でぶどう酒に混入された毒物は奥西勝死刑囚が自白した農薬ニッカリンTであったか否か

下山裁判長
「ぶどう酒に混入された毒物がニッカリンTではないことを証明するほどの証拠価値はなく
(弁護団提出の新証拠)、自白は根幹部分において十分証明できる」としました。

事件直後に行われた捜査側の鑑定でぶどう酒の飲み残しからニッカリンT特有の不純物が検出されなかった点について、「(不純物は)加水分解によってほとんど残っていなかったと推論できる」としました。

正義とは?支援者の闘いその2

2012年(平成24)5月29日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の支援者が死刑の執行停止を求める要請書を最高裁判所に提出しました。

正義とは?弁護団の闘いその9

2012年(平成24)12月25日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、第7次再審請求特別抗告審で奥西勝死刑囚が混入を自白した農薬ニッカリンTが入ったぶどう酒からは、時間が経っても不純物が検出されるとの独自の実験結果を意見書として最高裁判所に提出しました。

正義とは?弁護団の闘いその10

2013年(平成25)9月30日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、検察側が6月に提出した意見書に反論する内容となる毒物の鑑定方法についての第7次再審請求特別抗告審追加の書面を最高裁判所に提出しました。鈴木泉弁護団長は「議論は尽くした。この書面を最終意見書として位置付けている」と述べています。

弁護団の闘いからの司法の動きは?その3

2013年(平成25)10月16日
最高裁判所第1小法廷:桜井龍子裁判長

第7次再審請求差し戻し特別抗告審
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の特別抗告を棄却しました。

正義とは?弁護団の闘いその11

2013年(平成25)11月5日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝とその弁護団は、名古屋高等裁判所に第8次再審請求を申し立てました。

名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団が提出した新証拠は、農薬化学の専門家らの意見書など4点でした。弁護団は、「最高裁判所がこの意見書を検討した形跡がなく、新規性を喪失している」と主張しています。

正義とは?弁護団の闘いその12

2014年(平成26)4月7日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、第8次再審請求の請求理由の補充書を名古屋高等裁判所に提出しました。

補充書内容
第7次再審請求が棄却される根拠となった科学鑑定の結果を検証するため、独自に実験をおこなう方針を明らかにしました。

名張毒ぶどう酒事件でぶどう酒に混入された毒物が、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚が自供した農薬ニッカリンTであったか否かについて、検察側の科学鑑定の結果などに改めて詳細な反論を述べたものでした。

「名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物がニッカリンTでも矛盾はない」とした最高裁判所決定は誤りだとして、それを証明するためにペーパークロマトグラフ試験を独自に実施する旨を記載したものでした。

弁護団の闘いからの司法の動きは?その4

2014年5月28日
名古屋高等裁判所:石山容示裁判長

再審請求審争点
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、第7次再審請求審に引き続き名張毒ぶどう酒事件に使用された毒物と、奥西勝死刑囚が犯行に使用したと自白した農薬ニッカリンTとの同一性

名古屋高等裁判所は、「第7次再審請求審と同じ理由での請求であり、請求権は消滅している」と判断しました。

石山容示裁判長
「形式的には第7次再審請求審の証拠と異なるが、論理的には不可分で同一の証拠」として、第8次再審請求の証拠の新規性を否定しました。「奥西勝死刑囚の加齢や、健康状態の悪化を踏まえ、判断を早期に示した」としています。

このことを受け、第8次再審請求審での名張毒ぶどう酒事件死刑囚奥西勝と、その弁護団の請求は棄却されました。

正義とは?弁護団の闘いその13

2014年6月2日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、第8次再審請求審で奥西勝死刑囚の再審請求を棄却した名古屋高等裁判所刑事1部(石山容示裁判長)の決定を不服として、名古屋高等裁判所に異議を申し立てました。このことで、今後は名古屋高等裁判所刑事2部で審理されることになりました。

正義とは?弁護団の闘いその14

2014年(平成26)11月17日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、検察側が裁判所に提出せずに保管している証拠の全面開示を命じる請求を名古屋高等裁判所に申し立てしました。

申し立て書
検察側はこれまでに計150通余りの捜査報告書などを開示したが、他にも多数の未開示証拠があることを認めています。

「検察が隠しもつ証拠にアクセスする権利は弁護団が新証拠を得るために欠かせないもので、しっかりと保障されるものだ」と記者会見で鈴木泉弁護団長は述べています。

弁護団の闘いからの司法の動きは?その5

2015年(平成27)1月9日
名古屋高等裁判所刑事2部:木口信之裁判長

名張毒ぶどう酒事件の第8次再審請求で請求を退けた名古屋高等裁判所刑事1部の決定に対して、奥西勝死刑囚が申し立た異議を棄却しました。

正義とは?弁護団の闘いその15

2015年(平成27)1月14日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、1月9日名古屋高等裁判所刑事2部(木口信之裁判長)が第8次再審請求の異議申し立てを棄却した決定を不服として、最高裁判所に特別抗告をしました。

正義とは?弁護団の闘いその16

2015年(平成27)5月15日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、最高裁判所に申し立てをしていた第8次再審請求の特別抗告を取り下げました。

鈴木泉弁護団長は「奥西勝さんに残された時間は多くない。全力を挙げて無実を明らかにする」と述べました。

再審請求に必要な新証拠として、実験の方向書など8点を提出しました。名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物が、奥西勝死刑囚が自白した農薬ニッカリンTとは違うことを改めて主張し、名古屋高等裁判所に第9次再審請求の申し立てをしました。

正義とは?弁護団の闘いその17

2015年(平成27)6月16日
名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝の弁護団は、第9次再審請求でぶどう酒のビンの口部分に巻かれた封絨紙について、「真犯人が毒物混入後に貼り直した可能性がある」として、付着したのりを分析した専門家の鑑定書を新証拠として、名古屋高等裁判所に提出しました。

封絨紙実験

名古屋高等裁判所が名張毒ぶどう酒事件の証拠として保管している封絨紙の表面は歳月の経過で赤っぽくまだらに変色していることを疑問に感じた弁護団は、材料科学の専門家に再現実験を依頼しました。

再現実験結果

再現実験結果より、こうした変色はぶどう酒のビン詰め工程の際に当時使用されていた特殊なのりでは起きないが、家庭向けに広く流通していたのりでは起きたことが判明しました。
この新証拠により「真犯人が別の場所で封絨紙をはがして開栓し、毒物を混入した後で栓を閉め封絨紙をのりで貼り直して偽装したことが考えられる」と指摘しました。

「毒物を混入した場所は封絨紙の破片が発見された名張毒ぶどう酒事件犯行現場の公民館のいろりの間で、そこに一人でいた奥西勝死刑囚しか犯行の機会がない」とされている確定判決の裁判所の認定は揺らぎ、捜査段階の自白の信用性が否定されると主張しました。

新証拠の補強を目指すうえで、特殊な機器で封絨紙ののりの成分を直接分析するための証拠の閲覧を申請し、検察側に未提出の証拠を開示させる命令を出すよう名古屋高等裁判所に求めました。

奥西勝死刑囚の死からの司法の動きは?

2015年(平成27)10月15日
名古屋高等裁判所石山容示裁判長は、病死した名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝が申し立てをしていた第9次再審請求の審理を終了する決定をしました。

正義とは?弁護団の闘いその18

2016年(平成28)7月20日
奥西勝の遺族弁護団は、第10次再審請求で奥西勝の自白が虚偽だったとする鑑定書を新証拠として名古屋高等裁判所に提出しました。

日本大学文理学部の厳島行雄教授(認知心理学)に再現実験を依頼し、厳島教授は奥西勝の自白調書に沿って犯行を再現する実験を行ったが、「再現できなかった」としています。

実験内容
日本大学の学生30人が実験に参加。毒物に見立てた液体をビンから竹筒に移して運搬できるか。歯でぶどう酒ビンの王冠を外せるかなど自白調書どおりに再現実験は行われました。

再現実験結果
30人の学生のうち、1人も自白調書どおりに犯行を再現することはできませんでした。
この再現実験結果を踏まえて鑑定書は作成されました。現在、名張毒ぶどう酒事件をめぐっては第10次再審請求中です。

名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝死亡

2015年(平成27)10月4日
八王子医療刑務所で、名張毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝は死亡しました。享年89歳でした。
35歳の時、名張毒ぶどう酒事件の犯人として逮捕され、裁判で死刑囚となり再審請求を果たすことなくその生涯の大半を塀の中で過ごし、確定死刑囚として人生を終えました。

奥西勝の死を受け弁護団の鈴木泉団長は「誤った判断を正そうとしなかった裁判所に強い憤りを覚える」と述べました。

正義とは?実妹の闘い

2015年(平成27)11月6日
奥西勝の実妹、岡美代子さん(当時85歳)は名古屋高等裁判所に第10次再審請求をおこなったあと、記者会見で「兄はやっておりません。皆さん助けてください」と訴え頭を下げました。

弁護団は審理が打ち切られた第9次再審請求と同じく、名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物は奥西勝が自白した農薬とは違うなどと主張しました。新証拠としていた実験の報告書や専門家の意見書を改めて提出しました。

名張毒ぶどう酒事件の真相は?

疑問点が多い名張ぶどう酒事件ですが、奥西勝の自白調書からその真相に迫ってみましょう。

王冠の歯型について

奥西勝の自白調書によると、ぶどう酒の栓(王冠)を歯で開けたとなっています。検察側は、犯行現場で発見された王冠に傷がついていてその傷の歯型が奥西勝の歯型と一致するとし、これを物的証拠としました。

第一審:津地方裁判所
王冠の傷は奥西勝の歯型とは断定できない

第二審:名古屋高等裁判所
王冠の傷は奥西勝の歯型と一致する

死刑判決の唯一最大の根拠は、王冠の歯型鑑定(松倉鑑定)でした。しかし、この鑑定は犯行現場から発見された王冠と、事件直後の検証で奥西勝が噛んだ王冠の歯型を顕微鏡写真で見比べると一致するとしたものでした。この顕微鏡写真は、両者の傷を同一にみせるために顕微鏡の倍率を操作したものであることが、弁護団の実験から解明されました。

第5次再審請求の時点でこの事実を突き止めた弁護団は、キズを三次元的に測定すると、両者はまったく一致しないとする新鑑定(土生鑑定)を提出しました。その後、弁護団は王冠について更なる実験・分析をおこない王冠が証拠としての価値を認められるものではない鑑定書を提出しています。

犯行に使用された農薬は一体何?

奥西勝の自白調書によると、名張毒ぶどう酒事件には奥西勝が所持していた「ニッカリンT」が使用されたとされています。しかし、奥西勝の弁護団が「ニッカリンT」について分析や実験をして得た結果から「ニッカリンT」の使用は認められない鑑定書が提出されています。

犯行に使用されたとされている農薬は、日本化学工業株式会社の「ニッカリンT」と同様にテップを含有している三共株式会社の「三共テップ」または、富山化学工業株式会社の「トックス40」と解明されました。

「ニッカリンT」に関する自白調書

①犯行前夜に竹を割って竹筒を作りその中に「ニッカリンT」を入れた。
②「ニッカリンT」のビンは犯行当日の朝、名張川に捨てた。
③竹筒は公民館のいろりで焼いた。

①について
名張毒ぶどう酒事件の前日、奥西勝宅には来客があったといわれています。
来客の前で、竹筒を作ることはできないでしょう。

②について
事件直後、名張川を志摩の海女を総動員して大々的に捜索したがビンは発見されませんでした。(投棄実験ではビンはすぐに沈むので発見されるはずとされていた。)
③について
いろりの灰からは、ニッカリンを入れた竹筒の燃えかすや、ニッカリンTの残留物も発見されていません。ニッカリンTは燃やすと猛烈な悪臭を放つようですが、それに気づいた人はいません。有機リンも検出されていません。

「ニッカリンT」は赤色の液体でした。ぶどう酒は白色だったので、赤い「ニッカリンT」を混入すれば色の異変にみんな気づくはずですし、白ぶどう酒だったことを事件関係者(生存者)は証言しています。奥西勝も白ぶどう酒であったことを証言しています。

名張毒ぶどう酒事件奥西勝の犯行動機は?

犯行動機
妻千恵子と、愛人北浦ヤス子との三角関係を清算するため

奥西勝と妻と愛人の三人はいつも連れ立って仕事や映画に行ったりしていて、村の人も三人からは犯行を起こすような深刻さは感じなかったと言っています。

奥西勝は、名張毒ぶどう酒事件の2日前に薬局でコンドームを買っています。これは2人との情事のための購入であり、妻と愛人を殺害する計画があるなら購入する必要はありません。

妻千恵子は奥西勝から、お酒をあまり飲んではいけないと言われていると周囲に話しています。お酒での毒殺を計画しているなら言わないはずです。このように犯行動機としてとても希薄になりました。

真実の犯行時間って?

犯行時間については、死刑判決は「奥西勝が公民館のいろりの間で一人になった10分間以外に犯行の機会はない」とされています。犯行当日、ぶどう酒が奥西勝によって公民館に運ばれるまでを検証してみましょう。

1961年3月28日総会当日の朝

農協から助成金が出ることになりました。
当時、農協に勤めていた「三奈の会」会長の奥西楢雄が「三奈の会」の懇親会でぶどう酒を出すことを決めました。

奥西楢雄は、農協職員の石原氏にぶどう酒の購入と運搬を依頼しました。石原氏は名張市の林酒店で日本酒2升と、ぶどう酒1升を購入し、奥西楢雄宅に運びました。

奥西楢雄の妻(フミ子・名張毒ぶどう酒事件で死亡)がそれを受け取り、時刻は14時~15時に渡したと石原氏は言っています。林酒店も14時半~15時頃に石原氏に渡したと証言していました。これらのことからぶどう酒が奥西楢雄宅に1時間以上も置かれていたことになり、奥西楢雄宅においても犯行の機会はあったことになります。

名張毒ぶどう酒事件から2週間後

しかし、名張毒ぶどう酒事件から2週間以上経った頃、村人が供述を一気にひっくり返すという事態が起こりました。奥西楢雄宅にいた人が、酒は17時頃奥西楢雄の妻と一緒に受け取ったと証言しました。

すると石原氏は、届けた時刻は16時半~17時の間違いでしたと証言を変えました。林酒店の人も、16時過ぎていたと言われればそのようでと言って確かなのは昼ご飯と夕ご飯の間ということですと証言しました。また、17時より前に奥西楢雄宅の玄関にある一升瓶を見たと言っていた女性も、17時過ぎだったと証言を変えました。

この証言の変更により、ぶどう酒が届いたのは奥西勝が奥西楢雄宅に来る直前ということになりました。

裁判結果

一審の津地方裁判所の無罪判決は事件当初の供述を採用し、「奥西勝以外にも犯行の機会はあった」としています。村人たちが供述を変更したことについて、「検察官の並々ならぬ努力の所産」と捜査関係者の意図的な供述操作を批判しています。

二審の名古屋高等裁判所は村人たちが変更した供述を採用し、「奥西勝以外に犯行の機会はない」とし、一審の無罪判決を覆して有罪・死刑判決を下しました。

10分間の真相

奥西勝はぶどう酒を運んだ後、公民館で一人になってはいない」と裁判で主張しています。
名張毒ぶどう酒事件当時の捜査会議の内容を詳細に記した名張警察署長の捜査ノート(中西ノート)によると、事件後3~4日後の記述に奥西勝は公民館で総会の準備をしている女性たちとずっと一緒にいたと書かれています。

これは、「公民館で一人になってはいない」という奥西勝の主張を裏付けており、事件の争点となっている犯行機会の10分間そのものの存在を否定していることになります。

名張毒ぶどう酒事件の真犯人が会長と言われている理由は?

名張毒ぶどう酒事件当時、「三奈の会」の会長であり、名張毒ぶどう酒事件の真犯人説で名前が浮上している奥西楢雄さんとはどんな人物なのか探ってみましょう。奥西楢雄さんは、名張毒ぶどう酒事件で妻のフミ子さんを亡くしています。奥西楢雄さんとフミ子さんの夫婦関係はどうだったのでしょう。

夫婦関係では、奥西勝の愛人、北浦ヤス子は奥西楢雄さんとも三角関係でした。奥西楢雄さんは北浦ヤス子から奥西勝とは別れるので、楢雄さんも妻のフミ子と別れて欲しいと言われていました。

奥西楢雄は妻のフミ子と北浦ヤス子のことでよく喧嘩をしており、夫婦仲は相当に冷え切っていました。奥西楢雄さんは、事件でフミ子を亡くした直後に別の愛人と再婚しています。また、ぶどう酒の購入を決めた人物は、当時「三奈の会」の会長であった奥西楢雄さんです。そのぶどう酒は、奥西楢雄さん宅に長時間置かれていました。

2006年奥西勝の再審請求の取り消しを受けての奥西楢雄さんのコメント

「日本の裁判所は正しい判断を下した。事件後、住民が徹底的に調べられ勝しかいないと確定したから今回の取り消しは確信していた」「勝は生きたいために無実を訴えているだけ。何度やっても同じこと」と、口調を強めて述べています。

奥西楢雄さんが名張毒ぶどう酒事件の真犯人と言われている確実なる理由はわかりません。ただ一つ言えることは、奥西楢雄さんが村の権力者であることはゆがめない事実です。

名張毒ぶどう酒事件に関する映画について

名張毒ぶどう酒事件に関する映画は東海テレビが制作しています。映画の制作にあたり名張毒ぶどう酒事件についてすべての裁判資料を読み、たくさんの関係者に取材し、その事実関係を理解したうえで奥西死刑囚は無実で、これは冤罪事件であることを確信したと映画制作者は述べています。

映画の内容

それらのことから映画は、「名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件である」とした明確な立ち位置での内容になっています。

一審では無罪判決、二審では有罪・死刑判決と真逆な判決を下され最高裁判所で死刑が確定し、確定死刑囚となった奥西勝死刑囚が独房から自分の無実を訴え続け、何度も何度も再審請求をする心情に深く入り込み、そこに「冤罪」を風刺させています。

「再審」とは、裁判所が確定した判決に重大な瑕疵がある場合に裁判をやり直すという制度です。ということは、裁判所がその瑕疵を認めない限り再審への道は開くことはありません。

「昼食の配給があるとホッとし、それ以外の時間帯は地獄の中で生きているようなもの」
まさしくこれこそが確定死刑囚の心情そのものでしょう。映画は確定死刑囚の心情から「司法制度の在り方」というものをわれわれに訴えています。

名張毒ぶどう酒事件は「冤罪」の可能性が高い。このことを伝えなくてはならない。それが、われわれの使命だと映画制作者は語っています。

名張毒ぶどう酒事件の裁判官について

名張毒ぶどう酒事件は、現段階で第10次の再審請求がされていますので、裁判に関係した裁判官の数も多いといえます。その中から、印象的な裁判官についてみてみましょう。

印象的な裁判官

1964年12月23日
一審:津地方裁判所
小川潤裁判長:証拠不十分で無罪判決
       「疑わしきは被告人の利益」の刑事裁判の鉄則が適用されています。

1969年9月10日
二審:名古屋高等裁判所
上田孝造裁判長:一審の無罪判決を覆して有罪・死刑判決を下しました。

1972年6月15日
最高裁判所
岩田誠裁判長:上告を棄却し、死刑を確定しました。

2005年4月5日
名古屋高等裁判所刑事1部
小出じゅん一裁判長:再審開始を決定し、死刑執行の仮処分を命じました。

その後、20006年2月依願退職しています。

2006年12月23日
名古屋高等裁判所刑事2部
門野博裁判長:再審開始決定を取り消す決定を下しました。(死刑執行停止も取り消し)

その後、2007年東京高等裁判所への栄転を果たしています。

専修大学教授

差し戻しや棄却

2010年4月5日
最高裁判所第三小法廷
堀籠幸男裁判長:再審開始決定を取り消した名古屋高等裁判所決定を審理不尽として破棄し、審理を名古屋高等裁判所に差し戻しました。

2012年5月25日
名古屋高等裁判所
下山保男裁判長:捜査段階での被告人の自白に信用性が固いとし、検察側の異議申し立てを認めて、再審開始の取り消しを決定しました。

2013年10月16日
最高裁判所第1法廷
桜井龍子裁判長:名古屋高等裁判所の再審取り消し決定を支持し、第7次再審請求にかかる特別勧告について棄却する決定を下しました。このことで、再審の道はまた閉ざされてしまいました。

封鎖的な縦社会

以上のように名張毒ぶどう酒事件にはたくさんの裁判官が関わっていることがわかります。司法の世界は封建的な縦社会だと言われています。

裁判官が再審の道を開くということは、自分の出世を諦めることに繋がります。
前任裁判官たちの決定を全否定することは、裁判所を否定することになり上級の裁判所に席を置かせてはもらえなくなります。法の番人である司法は官僚社会と言えます。

学び考えることとは?

名張ぶどう酒事件の裁判および再審請求が、社会に与えた影響は大きいといえます。その理由は物的証拠もなにもない状況にもかかわらず、司法はただ本人の透明性にかける自白のみを根拠に死刑判決を下している点です。

死刑判決を下した後、再審請求が認められたのは一度きり、それもすぐに取り消されています。その後、何度再審請求を起こしてもその厚く重い扉は開くことはありません。そして現在、第10次再審請求を起こしている状態にあり、司法との闘いは今なお続いています。

こうした司法の現実をわれわれは知って、学んで、考えて、そして行動に移すことで社会に変化が生まれ、冤罪により塀の中で生涯を終える受刑者や死刑囚の数は減ることでしょう。

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