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花魁や遊女などの身請けの仕組み・身請け金額
2018年10月02日

花魁や遊女などの身請けの仕組み・身請け金額

きらびやかで華やかなイメージの遊女の姿は美人画として描かれたりなど江戸時代の文化とも深い関りがあります。遊女の身請けとは一体どのようなものだったのでしょうか?今回は江戸時代の遊女の身請けの仕組みとその金額、海外の身請けについてご紹介します。

花魁・遊女とは

花魁・遊女とは
遊女とは吉原や、島原などの江戸時代の遊郭で男性に性的サービスをすることを生業とする女性、いわゆる娼婦です。花魁とは位の高い遊女で売れっ子だけがなれる役職です。

花魁または太夫はまだ小さな頃に素養のある者が選抜されて囲碁や古典、琴や三味線などの教養を身に着けます。そのため、誰でもなれるものではありませんでした。

また、遊女の一部は農村などお金の無い家庭から女衒を通して廓に売られてくる者も多くいました。女衒は農村などから子供を買って廓に売るという仲介業を生業としています。

売られてきた時の身代金はそのまま遊女の借金となります。そして売られた時の身代金に加え、化粧品や帯、着物に至るまで全て自分で賄わなければならないのでそれらを揃えるために廓に多額の借金をしなければいけません。また、借金の利子も非常に高額で働いても借金が無くならない仕組みになっていました。

特に花魁は禿という女児の弟子を持っていて様々教養を禿に指導していました。禿にかかる費用は全て花魁が負担し、これも借金の原因となりました。売れていてもその分莫大な借金を抱えていて年季が明ける前に借金を返し終わることはないとされていました。

花魁と太夫の違いは?

花魁と太夫には明確な違いというものはなく、最高位の遊女のことを花魁または太夫と呼びます。

京都の島原や大阪では最高位の遊女を太夫と呼び江戸の吉原では花魁と呼ぶなど地域で呼び方が違う時代や、吉原でも島原を真似て太夫と言う呼び方を使っていた時代もあります。太夫と花魁の違いを挙げるとすれば太夫は最高位の遊女の呼称なのに対して、花魁はその中にも細かい階級がありました。

また、吉原に太夫と呼ばれる遊女がいた頃は下の遊女にも位があり、上から格子、散茶女郎、端女郎、切見世女郎と続きます。しかし、18世紀頃には太夫と格子という呼び方は消えて、散茶女郎が高級遊女の花魁と呼ばれるようになります。

この頃の花魁には階級があって、上から呼び出し、昼三、付廻しと続きその下に花魁以外の遊女が続きます。花魁道中とは呼び出しの花魁が美しく着飾って馴染みのお客さんを郭内の茶屋へ迎えに行くことを言います。

花魁はお客さんを選べた

太夫や格子、花魁は高位の遊女でお客さんには困らないので気に入らないお客さんを振ることができました。太夫や花魁と一晩を共にするには何度も遊びに通い気に入られる必要がありました。ようやく一晩を共にするチャンスが来て布団で待っていても、何かしら理由をつけられて断られることもあります。

このようなことが何度もあると花魁に振られたことになります。しかしお客さんは振られたことに腹を立てると「野暮」と仲間内でも馬鹿にされてしまうため、大人しく引き下がるしかなかったとされています。

ただしお客さんを振れるのはこのように売れている遊女だけで、下の遊女はお客さんを選ぶことはできませんでした。散茶女郎の由来がその通りで、江戸時代のお茶が由来となっています。

江戸時代ではお茶は茶葉を袋に入れてお湯の中で振って飲んでいました。散茶は茶葉にお湯をいれるだけで飲むことができたので振らないという言葉からお客を振らない女郎、散茶女郎という呼び名ができました。

身請けの仕組み

身請けの仕組み

花魁

身請けとは見世のお客さんである男性が気に入った遊女を指名して仕事を辞めさせることを言います。身請けをするにはまず、店の楼主に遊女の身請けをしたいということを相談します。そして楼主が親元に異存はないか確認し、お客さんは遊女の身代金と借金を払います。また、身請けされる花魁に女衒がいる場合は女衒にも手切れ金としてお金を払います。

江戸時代の花魁は一晩のお値段がかなりの高額で、年季が明けないうちに身請けをするとなるとこれから年季が明けるまでその花魁が稼ぐであろう金額も身代金に入るため、花魁の身請けは一般の男性には不可能と言われていました。そのため、花魁の身請けをしてくれる男性は大商人だったりととてもお金持ちです。

身請けをされた花魁のその後はお金を払ってくれた男性の愛人として囲われるのがほとんどでした。

その他の遊女

その他の遊女の身請けも花魁と同じ方法で行われます。その他の遊女も花魁ほどではないにしても高額の身代金と借金を抱えていました。しかし遊女には読み書きやそろばんができる者も多かったので地方の承認などが身請けをして妻にすることもありました。

他にも遊女はお客さんとして来てくれる男性と恋に落ちることも珍しくなく、身請け金が払えないがために駆け落ちしようとする者も少なくありませんでした。しかし、大抵の場合は見世の若い衆に見つかり連れ戻されて見せしめに酷い折檻を受けることになります。相手の男性は殺されてしまうこともあったと言われています。

身請け金額

身請け金額

太夫や花魁

太夫や花魁は一晩のお値段がただ会うだけでも一両はかかりました。一両とは現代のお金に換算すると約4万円ほどです。太夫や花魁とベッドインするためには宴会費やご祝儀なども含めて一回に最低15両、約60万円以上必要だったと言われています。

このことからわかるように、太夫や花魁といった高位の遊女の身請け金額は目玉が飛び出るほどに高かったとされています。当時の松の位の太夫だと身代金と借金を合わせて1000両、約4千万円と言われています。中には身請け金が身代金だけで1500両という遊女も存在しました。

遊女

普通の遊女でも細かく位が決められていたので身請け金額は様々です。しかし遊郭の中で一番下位とされる遊女でも身請け金は40両から50両、現代で160万円から200万円したとされています。

また、身請けでは花魁などの高位の遊女の身代金があまりにも高額で不当だということで寛政の年号からは身代金は500両までと定められました。

年季のルール

年期明けとは

吉原の遊女は「苦海十年」といって、10代後半から20代後半までの約10年間勤めを果たせば年季明けという自由の身になれるルールがありました。

遊女が身請けされることは滅多になく、身請けをされない遊女は廓で借金を返しながら年季が明けるのを待ちます。年季を終えた遊女は吉原を出て堅気の人と結婚したり、お金持ちの愛人になります。

中には吉原に残り、遣り手という遊郭のスタッフになりました。しかし幼い頃から遊郭で生活していた遊女は炊事洗濯ができない人がほとんどで庶民と結婚できる人は少なかったと言われています。

また、吉原で働くほとんどの遊女はストレスや性病、堕胎などが原因で年季が明ける前に亡くなってしまっていたとされています。

海外の身請け

海外の身請け

タイ

タイでは現在でも人身売買が行われています。地方の農村では男児は働き手になるものの女児はできることが限られているため仲介を通して売られることが珍しくありません。バンコクなど大きな都市では出稼ぎや借金のかたとして売られてきた女性が多くバーや風俗店に勤めています。そんなタイでも身請けが存在します。

タイでは西洋人のなどのことをファランと呼びます。よくあるパターンとしてはバーに勤める女性とお客として来たファランが恋に落ち、女性は借金を身請け金としてファランに払ってもらいファランの国へ一緒についていきます。

借金がない場合にもファランはご祝儀としてお店に身請け金を支払うことが多いと言われています。バーや風俗店で働く女性にとっては唯一貧困から抜け出せる方法とされています。

身請け金額は、女性が家族の借金を被ってお店に返している場合が多いので様々ですが決して低い金額ではありません。

ミャンマー

ミャンマーでは女性は14歳から売春ができます。そのため街では郊外から出稼ぎにきた少女たちが客引きをしていたり、借金のかたとして売られてきた少女が風俗店で働いていることも珍しいことではありません。身請けはタイと同じくお金を払えばすることができます。

また、売春が原因でミャンマーの女性の中で未婚の母が増えたり、離婚率が高まっていると言われています。2016年にはミャンマーの女性は午後11時以降外国人と外を歩いてはいけないという法律や、ミャンマー人女性を妊娠させた外国人男性はその女性と結婚しなければいけないという法律ができました。

中国

中国には春秋時代の頃から妓女という、芸をしたり体を売ったりすることを生業とした女性が存在します。妓女には様々な種類があり、その時代の皇帝の後宮に所属する宮妓や貴族や商人の家で愛妾をしたり客人をもてなす家妓などがいます。

中国には妓楼という日本での遊郭のような施設があり、そこには民妓といういわゆる遊女がいました。民妓は身請けされても家妓になることもあれば結婚して普通の女性として暮らすこともありました。

中国での妓女は芸人でもあったので、文筆業や舞や作曲で大成する女性もいたと伝えられています。

大正時代の身請け

大正時代には人権上の問題から遊郭の張見世などは禁止されていました。商人や大名の社交場だった吉原は時代の移り変わりとともに地位が薄れ、代わりに新橋や神楽坂などが発展したため、身請けは遊女よりも芸者の方が多かったと言われています。

遊女は吉原にしかいないため出会いの場が芸者よりありませんでした。身請けした男性は実業家や政治家でその多くは下級武士だったため、妻の生まれにこだわることはなかったので芸達者な遊女、芸者であれば本妻になれたいわれています。

身請けはお金持ちの特権

身請けはお金持ちの特権
一見きらびやかで華やかなイメージのある花魁や遊女の世界ですが本来は非常に厳しく格式高い世界です。

位の高い遊女になるには修行や勉強が必要で、身請けをされるにはお客さんに気に入られる必要もあります。しかし、身請け金額が高額なことから身請けをする男性は豪商や大名で、身請けをされてからも愛人として肩身の狭い思いをする女性も多く居ました。

昭和32年、売春防止法により吉原はなくなってしまいましたが、現在でも歴史ある花魁道中の文化は残そうという動きがあり、毎年春に開催される「浅草観音うら一葉桜まつり」では江戸吉原おいらん道中が行われています。

遊郭は暗い歴史を作るだけではなく、江戸時代の文化を発展させるのに大きく貢献しました。そんな吉原の歴史を知ることで遊郭の良い文化も後世に受け継ぐことができるでしょう。

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