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【エルトゥールル号遭難事件とは】トルコの反応は?映画・漫画も紹介
2019年03月30日

【エルトゥールル号遭難事件とは】トルコの反応は?映画・漫画も紹介

親日国家としてあげられる国、トルコ。何故、日本から遠く離れたトルコが親日なのか。それには、ある驚くべき事件が元になっていました。この記事では、そのきっかけとなったエルトゥールル号遭難事件の詳細と、それによってトルコが行った、時を超えた恩返しを紹介していきます。

エルトゥールル号遭難事件とは?

1890年9月16日。和歌山県紀伊大島の串本町(本州最南端)で、明治天皇へ親善訪日していたオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号が悪天候により座礁、沈没するという事態が発生しました。

この事故により587名の船員が死亡、または行方不明になり、生存者はたった69名だけでした。

これは、後にエルトゥールル号遭難事件と呼ばれる大事件となりました。

エルトゥールル号遭難事件の詳細

ここからは、時系列順に事件の詳細を解説していきたいと思います。

事の発端は、明治天皇のトルコ来訪からでした。

トルコ船、来日

トルコが日本に訪れる三年前。この時、明治天皇の小松宮彰仁は親善のため、トルコを訪問していました。

実は、1890年のオスマン帝国の来訪は、日本が来日したことへの返礼目的でした

エルトゥールル号は1889年の7月14日にイスタンブール港を出発し、出航時の船員は650名、約11ヶ月をかけた航海でした。

6月に日本に到着したエルトゥールル号のオスマン・パシャ一向は、彰仁親王にトルコの皇帝アブデュルハミト2世からの書簡や贈り物を献上。その後、3ヶ月間丁重なおもてなしを受けました。

エルトゥールル号、日本を出た直後遭難→座礁

事件が起きたのは、オスマン帝国が帰路に着く時でした。

当時の日本でも、9月は台風が多い月。

日本政府はエルトゥールル号が木造、しかも老朽艦であることを心配し、出航の延期を勧めます。しかし、オスマン帝国は予定通り出港すると譲りませんでした。

こうして、オスマン帝国は出発してすぐに嵐により遭難してしまいます。

エルトゥールル号が岩礁に乗り上げたのは、出港した翌日の夜のことでした。次々と船員達が絶命し、波にさらわれていく中、かろうじて生存していた船員の何名かが樫野崎の灯台まで運良く流れ着き、そこから断崖絶壁をよじ登り、命からがら助けを求めました。

日本の懸命な救護活動

灯台の守り人の知らせを聞きつけて駆けつけた島民たちは、危険を押し切って嵐の海に助けに出ました。そして、見事岩礁にしがみついていた生存者達を救い出すことに成功したのです。

村人は、運ばれた生存者達を必死に看病しました。

紀伊大島は小さな村で、この時台風の影響で日々の蓄えも少ない状態でした。しかし、少ない物資を持ち寄り、時には非常用にとっておいた鶏すら生存者達に与えました。そして、一命をとりとめた彼らは、すぐに近くの病院に運ばれて行きました。

その後、この事実は日本政府が知ることとなります。

すぐに、犠牲者達の遺体の引き上げ作業が行われました。そこでも、紀伊大島の村人達が関わったとされています。

そして、彰仁親王はオスマン帝国の義援金を全国に呼びかけました

日本船「比叡」「金剛」、トルコ人を送還

それから20日後の10月5日。体調が回復したエルトゥールル号の船員達は、日本の軍艦「比叡」「金剛」に送られて、オスマンに帰還することになりました。

ちなみにこの時、「比叡」「金剛」には海兵17期生であった若き秋山真之が乗船していました。

エルトゥールル号遭難事件の背景

ここからはもう少し事件の前にさかのぼって、トルコと日本が友好関係を築くきっかけとなったある事件の存在と、トルコの軍艦が無理を押して帰国しようとした疑問点に迫っていきたいと思います。

きっかけはノルマントン号事件

1886年10月。エルトゥールル号の4年前のこと。

イギリスの船であるノルマントン号が、日本人25人を乗せて神戸を目指していたときのことでした。突如暴風雨により船が座礁。沈没したのです。

これにより、船員たちは救命ボートで脱出。沿岸部にあった漁村に助けられました。しかし、救出されたのはイギリス、ドイツ人達だけ。乗客だった日本人25名は誰一人としていなかったのです。

これには日本政府も怒りの声を上げ、英国領事館に告訴しました。ですが、結果的に判断を下した船長は罪に問われる事はありませんでした

そもそも、当時の日本に領事裁判権、つまり他国の人間を罰する権利がなかったために起きた出来事でした。

そして、この事件により友好関係を持ちかけたのが、オスマン帝国でした。

トルコ船が無理を押して帰った理由

エルトゥールル号が11ヶ月かけて日本に来たのに対して、日本軍艦「比叡」「金剛」がトルコに着いた時、かかった日数はその四分の一ほどでした。

それは何故か。

実は、エルトゥールル号は艦体が古い上に乗り込んだ船員たちの経験も浅く、元々航海を不安視されていたのでした。

さらに、スエズ運河を通過した時点で舵を破損。日本に着いたこと自体が奇跡だったのです。

そのようにしてまで親善訪日を達成しようとしたのには、皇帝・アブデュルハミト2世の強い意志が働いていました。彼はオスマン帝国弱体化の事実を伏せるため、船長のパシャに帰還を急がせたのです。皇帝は、他国に弱みを見せるのを非常に恐れていました。

24 ななしのよっしん
2017/06/20(火) 02:15:25 ID: bI17ACCjEp
なんでエルトゥールル号のような老朽艦を親善公開に引っ張り出したかというと、エルトゥールル号が遠洋航海できる艦で一番状態良かったからなんだよね……。
当時のオスマン海軍は予算カットで完全に腐っちゃって、軍艦の大半は整備不良で殆ど粗大ゴミみたいな状態になってたの。

出典: https://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%... |

こうして、トルコと日本の関係は深まる

生還した船員たちの帰国後、エルトゥールル号遭難事件はまたたく間にオスマン帝国を震撼させました。

そして、日本人の活躍や義援金の話も新聞で取り上げられ、彼らの記憶に強く残ったとされています。

トルコに渡った山田寅次郎のエピソード

さらに、こんなエピソードもあります。

エルトゥールル号事件に影響を受けた者の中に、山田寅次郎という日本人がいました。彼は全国を旅して義援金を集め、それを携えてオスマン帝国に渡りました

帝国からの歓待を受けた寅次郎はイスタンブールで貿易商を開き、約20年間、日本とオスマン帝国との貿易の仲介に務めました。

彼は皇帝アブデュルハミト2世への謁見の機会にも恵まれたという話です。

95年の時を経た、トルコの恩返し

実はこの両国間の美談には続きがありました

ここからは時を経てトルコが行った、命を懸けた恩返しについて詳しく解説します。

イラク・イラン戦争

時は1985年。エルトゥールル号事件からゆうに95年の歳月が流れていました

世界ではイラン・イラク戦争の真っ只中で、当時のイラク大統領であったサダム・フセインは、イランの領空を飛ぶ飛行機すべてを19日午後8時をもって無差別攻撃すると発表しました。

これにより、他国は旅客機・軍用機で脱出したものの、日本は自衛隊の飛行機が飛ばせず、イランの首都テヘランに、在留中の日本人215名が取り残される大事件が発生しました。

決死の脱出作戦

メディアで日本政府の怒りの声が上がる中、救援に向かうと挙手したのがトルコ航空のパイロット達でした。

無差別攻撃のリミットは午後8時20分。パイロット達は在留日本人215名を乗せ、ギリギリでイランを脱出したのです。

この時イランに残っていたトルコ人達もいましたが、パイロット達は日本人を優先して飛行機に乗せました。トルコとイランは地続きだったので、車で逃げることができましたが、そのことに文句を言うトルコ人は一人もいませんでした

この件について、駐日トルコ大使は以下のように端的にコメントしました。

「エルトゥールル号の借りを返しただけです」

出典: https://ovo.kyodo.co.jp/news/life/travel-news/a-1199466 |

助けられた日本人もトルコに恩返し

その後、1999年8月17日に起こったトルコ北西部大地震では、テヘランで救われた日本人達が義援金を集め、日本政府も海上自衛隊を緊急出動させ、救援物資を運んでトルコに向かいました。

その時の海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」艦長は、以下のように発言しました。

「われわれは、イラン・イラク戦争の際に、危険を顧みずに邦人を助けてくれたトルコの友情に、今こそこたえなければならない。」

出典: https://www.komei-osaka.jp/blog/2013/08/000889.html |
その後、無事に物資は届けられました。日本の運んできた仮設住宅群は、現地では「日本トルコ村」と名付けられ、5000人の被災者達に利用されました。

ワールド・カップでその話が広まる

2002年のワールドカップにて、トルコチームと日本チームが試合をしたのを機にこの事実が大々的に取り上げられました

そして2006年に、日本政府は日本人を救出したパイロットを含めた13人に感謝状を贈りました

その後、2013年にトルコパイロットの第一機長を務めた、オルハン・スヨルジュ元機長が肺がんにより亡くなりました。その一周忌に合わせて日本とトルコの交流会が開かれ、約500人の方が死を悼んだのです。
少しさかのぼって、2011年の東日本大震災では原発の危険性が心配され、多くの国が撤退を始める中、危険を顧みずに救援活動を続けてくれたのがトルコでした。

さらに、財政的に苦しい状態のトルコでしたが、日本のために物資、たくさんの義援金を集め、日本に寄付してくれたのです。

そのようにして、トルコの恩返しから何年も経った今でも、両国の関係は良好に保たれています

遠くて近い、日本とトルコ

遠くて近い、日本とトルコ

2012年に日本の外務省は、トルコ人を対象にエルトゥールル号遭難事件を知っているかの調査を行いました

結果は七割の人が知っていると答え、「学校で習った」「今は習わないそうだが昔習った」など、トルコ人は学生の頃からエルトゥールル号遭難事件の存在と、日本への感謝を習ったそうです。

対して、日本の浸透率は2割弱だと言われています。エルトゥールル号の事件は、意外なことに日本ではあまり知られていないのです。

みなさんはエルトゥールル号事件を知っていますか?

昔、和歌山県で起きた出来事です。実は私のご先祖様がエルトゥールル号の関係者なのですが、最近の日本人はほとんどこの事件のことを知りません。この事件のことは日本の教科書にものせるべきだと思います。

出典: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/... |

ゆとり世代()真っ盛りの20代だが、中坊と高坊の時の日本史と世界史の授業でイラン・イラク戦争まで一通り普通に習ったけどな
前者は自作プリント+教科書タイプだったが、後者は完全な教科書タイプでした

出典: https://dic.nicovideo.jp/b/a/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%... |
しかし、テヘランでのトルコの活躍、震災などで何度もトルコの名前が出てきているので、徐々に認知度は広まりつつあります

日本人のTwitter上ではエルトゥールル号が沈没した9月16日を喚起したり、2016年にトルコで起こったクーデター未遂事件を心配する声も寄せられました。


エルトゥールル号の慰霊祭

さらに、エルトゥールル号遭難事件の舞台だった串本町はトルコのヤカケント町、メルスィン市と姉妹都市になっています。

串本町では町全体でPRを行っており、灯台の側にトルコ記念館や慰霊碑が建てられて、あの日の事件を忘れぬよう、5年ごとに慰霊祭が行われています

2015年の追悼式典では、駐日トルコ大使や串本町の町長が出席して献花を行いました。

事件を題材にした作品

エルトゥールル号遭難事件、イラク・イラン戦争時の出来事は、小説、漫画、映画など数多くのメディアで取り上げられています。

たくさんある中から一部だけ、ご紹介していきます。

小説①秋月達郎の「海の翼」

新人物文庫の「海の翼」は、映画のプロデューサー経験のある作家の秋月達郎が執筆した、歴史ドキュメンタリー小説です。

ページ数は多いながらも分かりやすい文体で書かれ、学生でも手に取りやすい内容になっております。

小説②鈴木光司の「ブルーアウト」

「ブルーアウト」は「リング」「仄暗い水の底から」など、数々のヒット映画の原作を務めた鈴木光司のフィクション小説です。

舞台はエルトゥールル号遭難事件があった和歌山県串本町。そこで働く女性ダイバー水輝と、トルコ人青年のギュスカンとの出会いから始まる感動ストーリーです。

エルトゥールル号遭難事件は絵本にも!

エルトゥールル号遭難事件、なんと絵本にもなってます。

事件の舞台であった串本町出身の絵本作家、やまぐちさゆりが描く5歳から読めるエルトゥールル号遭難事件。要所に凝った仕掛けがされていたり、初回限定でかわいいお守りが付いてきたりと、大人でも楽しめる内容になっています。


もやしもんの作者が描く、エルトゥールル号事件

「もやしもん」で知られる石川雅之の描く、エルトゥールル号遭難事件「テシェキュルエデリム~ありがとう」(全32ページ108円)も電子書籍で好評販売中。

涙腺崩壊必死、読む時はハンカチ・ティッシュをお忘れなく!

日ト合作映画「海難1890」!

そして、何と言っても外せないのが、2015年に公開された「海難1890」です。

これは、日ト友好125周年記念に制作されたもので、エルトゥールル号遭難事件と合わせてテヘラン救出劇も映像化されています。

この映画には日本の俳優だけでなく、串本町の人々、トルコ人役者、何とトルコのオザル首相までも関わった超大作です。

日本では12月5日に全国309スクリーンで公開され、トルコでも12月25日より300スクリーン規模で公開される[23][24]。日本では12月5日・6日の2日間で観客動員8万8,295人、興行収入1億503万3,900円を記録し、国内映画ランキング(興行通信社調べ)で初登場第4位となった[25]。また、舞台となった和歌山県では、初日の観客動員・興行収入共に2015年中第1位を記録した[26]。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%9B%A31890 |

「海難1890」を待ち望む海外の反応

この映画を待ち望んでいたのはトルコと日本だけではありませんでした。

同時期に上映したスターウォーズの影に隠れてはいましたが、「海難1890」を海外の人々も楽しみにしてくれていました。

トルコ・日本間だけでなく、世界中の人々に観てほしい映画です。

韓国、日本の栄光を横取りか?

ちなみにエルトゥールル号遭難事件の話は、韓国では違う解釈がされています。

エルトゥールル号を救ったのは実は韓国で、日本はそのエルトゥールル号を襲った悪役だと言われているそうです。

日本とトルコの関係は他国が羨むほどなのでしょう。

日ト、末永い友好関係を

現在、「南京大虐殺」が世界記憶遺産登録され、韓国・中国間で過去の責任をとる、とらないのいがみ合いが続いています。

そんな中、トルコなどの親日の国々は、私達に勇気を与えてくれました。

現代の日本は情報規制が解かれ、世界中の生の声をいつでもメディアを通して手に入れることができます。現代に生きる日本人達が後世にこの事件を語り継いでいくのなら、トルコとの絆はもっと強固なものになるでしょう。

彼らがずっと憶えていてくれた日本の歴史は、日本に住む私達に、確かに誇りを蘇らせたのです。
さて、他にも日本の美談をもっと知りたい!という方は以下の記事も参考に。日本でもほとんど知られていない、ユダヤ人と日本人との感動秘話が語られています。

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