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【マリー・セレスト号】嘘?本当?メアリー・セレスト号事件の真相とは
2019年08月16日

【マリー・セレスト号】嘘?本当?メアリー・セレスト号事件の真相とは

マリー・セレスト号の事件について皆さんは知っていますか?「できたての朝食が用意されたまま船員だけが消えていた」という不可解な船の事件として有名ですよね。今回は、そのマリー・セレスト号事件の真相について迫りたいと思います!

無人船マリー・セレスト号

皆さんはマリー・セレスト号(メアリー・セレスト号)事件はご存知ですか?「無人船に乗り込んだら、できたての朝食が残されたまま人の姿だけがなかった」という有名な幽霊船です。

今回はそのマリー・セレスト号事件の真相に迫りたいと思います!

メアリー・セレスト(英: Mary Celeste)は、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船である。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA... |

1800年代に起きた不思議な事件

1800年代に起きた不思議な事件
マリー・セレスト号事件の発覚は1872年12月4日のポルトガル沖、アゾレス諸島付近の海域で無人になった状態で発見されたことからになります。

そのことから12月4日はマリー・セレスト号事件の日として、オカルトや不可思議な事件を調べている人々から愛好されています。

建造の頃からいわくつき

実はマリー・セレスト号は、造船時からいわくつきだったのです。

マリー・セレスト号は約31m、282tの2本マストを持った帆船として1861年にノバスコシアのスペンサー島にて、「アマゾン」という船名で造船されました。

その造船中に、不可解な事故が多発していたと伝えられています。事故の真相は不明とのことですが、幽霊船の異名を持ってしまうほどに有名になるということは、その不可解な事故も実際にあったのではないかと想像してしまいますね。

その後、数回所有者が変わり1869年にマリー・セレスト(メアリー・セレスト)と改称されたとのことです。

マリー・セレスト号事件について

それでは、マリー・セレスト号事件についてお話していきましょう。

事件の詳細と、なぜ無人になってしまったのかという推測やいろいろな説を取り上げていきますよ。

偶然、海上で出くわした他の船の船長が、この帆船の走り方を不審に思い、部下を調査に向かわせた。

彼らが船内で見たものは‥、テーブルの上のまだ温かさの残る飲みかけのコーヒーカップや、皿に盛られたベーコンやパン、半分に切られたゆで卵‥。 (たった今まで乗員は食事をしていたようである。)

出典: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/... |

マリー・セレスト号の乗組員と乗客

マリー・セレスト号の乗組員と乗客
名前立場年齢
ベンジャミン・ブリッグズ船長37歳
アルバート・C・リチャードソン一等航海士28歳
アンドリュー・ギリング二等航海士25歳
エドワード・W・ヘッド客室乗務員 兼 料理人23歳
フォルケルト・ロレンソン船員29歳
アリアン・マルテンス船員35歳
ボイ・ロレンソン船員23歳
ゴトリーブ・ゴンデシャル船員23歳
サラ・エリザベス・ブリッグズ船長の妻(乗客)30歳
ソフィア・マチルダ・ブリッグズ船長の娘(乗客)2歳
マリー・セレスト号の乗組員と乗客は、以上の10人であるとされています。

出発は1872年11月7日、ニューヨークで出荷された工業用アルコールを積んで、イタリアへ向けて出航しました。この工業用アルコールは、エタノールではないかと推測が立てられています。

事件が発覚した日

1872年12月4日(標準時の制定前のため12月5日だったとも言われています)、マリー・セレスト号の事件が発覚します。

カナダ船籍のデイ・グラツィア号という船は発見したマリー・セレスト号を2時間程確認し、救難信号が上がらないことから漂流中だと判断して、小船で近づいたのち乗船しました。

乗船してわかったことは、船体全体がびしょ濡れになっていたということです。特にデッキが水浸しになっていて、船倉は約1.1mも浸水していたそうです。

1872年12月4日にポルトガル沖でメアリーセレスト号が漂流していたのが発見されています。
この船は「工業用アルコール」の積荷をニューヨークからジェノバへ運ぶ途中だったのですが、、何らかの理由で船長一家を含む10人の乗組員を失い漂流していたわけです。

出典: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/... |

無人になっていたマリー・セレスト号

乗り込んだデイ・グラツィア号の船員たちは、マリー・セレスト号の中をくまなく捜索しました。しかし、船のどこにもマリー・セレスト号の乗組員たちの姿が見当たらないのです。

船に大きな異常は見られず航行可能であることと、前ハッチと食料貯蔵庫の扉が開けっ放しになっていました。そして、壁掛け時計は機能を止めており、羅針盤は破壊されていたとのことです。

故意的に破棄された船

無人になっていたマリー・セレスト号
無人船と化したマリー・セレスト号ですが、痕跡から故意的に破棄されたものなのではないかと乗船した乗組員たちは考えました。理由としては六分儀(天体と地平線の角度を測る道具)と、クロノメーター(船の揺れに左右されない携帯用のぜんまい時計)がなくなっていたためです。

また救命ボートが無理矢理下ろされたというよりも意図的に下ろされていたり、船長室のベッドの下に刀剣が隠されたままであったりということも、マリー・セレスト号を故意的に破棄したものと推察される証拠だったようです。

積荷はそのままで船員だけが消失

さらにその推察を裏付けるかのように、船旅で重要な水と食料が約6ヶ月分もの量がそのままになっていることも、乗組員たちは発見しています。

そして積荷であるアルコールについても、もともと空だった樽以外全て手付かずで無事に船内に残っていたそうです。

積荷の1700樽のアルコールは後にジェノヴァで降ろされたとき9樽が空であった以外は無事で、6か月分の食料と水も残されていた。船内の書類は、船長の航海日誌以外は全く見つからなかった。日誌の最後は11月24日付で、アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいたと書かれており、11月25日にはアゾレスのサンタマリア島に到着できる位置である。結局船内には人は全くおらず、乗員10名は発見できなかった。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA... |

修復後のマリー・セレスト号

修復後のマリー・セレスト号
船体がびしょ濡れになってしまっていたマリー・セレスト号は、ほとんどのポンプが操作不能になってしまっていたことと、羅針盤が破壊されてしまっていたことを受けて修復されて複数の人物の元を渡り歩きます

そんなマリー・セレスト号は1885年、最後の船長だったギルマン・C・パーカーによって保険金詐欺の目的でロシュロワ・リーフで座礁させられて、そのまま放棄・廃船となりました。

メアリー・セレストの残骸は、2001年8月9日に海洋冒険作家クライブ・カッスラー(ナショナル・アンダーウォーター・アンド・マリーン・エージェンシー代表)とカナダの映画プロデューサーのジョン・デービス(カナダECO-NOVA Productions社長)が率いる調査隊によって発見された。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA... |

「朝食がそのまま…」様々な噂が都市伝説に

「朝食がそのまま…」様々な噂が都市伝説に
乗組員と乗客だけが忽然と姿を消したマリー・セレスト号ですが、人員だけがいなくなってしまったということで、現代では都市伝説としてよく聞くことが多いでしょう。

皆さんも「食べかけの温かい朝食がテーブルに残されており、スープやコーヒーからは湯気が立っていた。つい先ほどまで子供が遊んでいたようなおもちゃの散らばり方や、書きかけの航海日誌が放置されていた無人の船。」というようなオカルト話を、一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか?

船員達の部屋にも食べかけのチキンやシチューが残されていた。また、調理室には火にかけられたままの鍋が煮立っており、洗面所にはつい今しがたまで髭を剃っていた様な形跡があった。

出典: https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/... |

マリー・セレスト号が無人になった理由

さて、ここで気になる点といえばやはり乗組員と乗客10人が、どうしてマリー・セレスト号から忽然と姿を消してしまったのかでしょう。これは最大の謎となっていて、今現在も彼らの行方はわかっていません。

マリー・セレスト号事件については諸説あって、今回はそのさまざまな説をじっくりと確認していきましょう。

積荷のアルコールが原因説

積荷のアルコールが原因説
マリー・セレスト号は工業用アルコールの運搬航行中でした。その積荷のアルコール樽が船を放棄した原因であったのではないか、というのが有力な説とされています。

工業用アルコールということで、樽から漏れてしまえば船が燃えたり爆発してしまう危険性をはらんでいました。

大量のアルコールの樽

マリー・セレスト号に積まれていたアルコール樽は、合計で1700個もの量になります。イタリアで積荷が下ろされたとき、1700個の内9個の樽の中身は空になっていたそうです。そのため、その9個の樽の中身は船内で漏れ出してしまったのではないかと推察されています。

樽9個分のアルコール量が漏れ出てしまえば、船内は気化したアルコールに満たされてしまっていつ爆発してもおかしくないような状態になってしまうでしょう。

急ぐあまりに

危険だと判断したブリッグズ船長が救命ボートで避難するように呼びかけ、全員がマリー・セレスト号から離れることとなります。

しかしここで、マリー・セレスト号と救命ボートを繋ぐロープをしっかり結べなかったという、致命的な失敗を犯してしまったがために船とボートは離れ離れになりマリー・セレスト号は無人船と化した、という説です。

また、ロープは結びつけることはできたが直後に暴風雨に見舞われて、マリー・セレスト号と救命ボートを繋いでいたロープがちぎれてしまったという説もあるようです。

乗組員の暴動説

乗組員の暴動説
乗組員と乗客がマリー・セレスト号から脱出して戻って来れなかったという説が一番有力とはされていますが、その説以外にもさまざまな推察が行われています。その中でも、乗組員の暴動にあってブリッグズ船長の家族だけが救命ボートで逃れたという説です。

ただブリッグズ船長は公明正大な人柄で恨みを買うような人物ではなく、乗組員たちも評判の良い人物ばかりであったことからこの線は薄いのではないかと言われています。

自然災害説

自然災害説
ついで多いのが自然災害での失踪の説です。19世紀は現代よりも船は頑丈ではなく、大嵐に巻き込まれてしまえば簡単に海に放り出されてしまうような時代だからこそ、考えられる説ですよね。

竜巻や暴風雨

マリー・セレスト号が巨大な自然災害に遭遇してしまった場合、なすすべはありません。特に竜巻に巻き込まれてしまえば、脱出はほぼ不可能でしょう。

しかし竜巻や暴風雨にさらされた場合、船の損傷がもっと酷くなるはずですがマリー・セレスト号はほぼ無傷の状態で無人船となっていました。そのため、この説は可能性が薄いとされています。

地震が起きた

竜巻や暴風雨のみならず、地震が起きたことによりマリー・セレスト号を破棄して救命ボートで脱出を試みたのではないかという推察もされています。大きな地震は津波を起こしますから、考えられなくはないですね。

ただ当時の記録から地震が起きたという事実は確認できないため、この説も有力であるという線は薄いでしょう。

第三者に襲われた説

第三者に襲われた説
ここまではマリー・セレスト号の内部事情であったり、自然災害によって遺棄されたのではないかという説のご紹介でしたが、他にも考えられている説があるのです。

外部の第三者の手によって、マリー・セレスト号は無人と化したのではないかという説です。

海賊

第三者に襲われた説
現代でも問題になっている海賊に襲われてしまったのではないか、という説です。19世紀は今よりも海賊行為を行いやすかったでしょうから、この説が浮上しても不思議はありません。

海賊に襲われてマリー・セレスト号から救命ボートで脱出したまでは説明がつきますが、海賊が積荷や食料をそのままにして船から立ち去るとは考えずらいことですよね。そのことから、海賊に襲われたという線も薄いでしょう。

当初、船は積荷狙いの海賊の犠牲になったのだと考えられた。しかし積荷も船員の物資もそのまま残っていた。船長の航海日誌も残されていた。仮に船を放棄することになったとしても、それは日誌に記録されるはずであるから、突然起きた何かが船員を動揺させ、咄嗟の行動に出させたに違いなかった。

出典: https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52257411/?p=3 |

巨大生物

第三者に襲われた説
海賊の他に、海の巨大生物に襲われたのではないかという説もあります。当時の人たちにとって海はまだまだ未開拓ゾーンで、何があるかわからないとされていた区域ですから、こういった説が挙げられているのも不思議ではないですね。

その巨大生物として挙げられているのが、巨大タコやイカ、サメなどです。欧米でタコは「海の悪魔」「悪魔の魚」などと呼ばれ忌み嫌われている生き物ですし、ファンタジーの物語でもよく悪役として出てきますから納得できるでしょう。

しかしファンタジー要素が強く根拠に欠けるため、オカルト要素を増やすための説ではないかと言われています。

地球外生命体などの超常現象

第三者に襲われた説
巨大生物の説よりももっとオカルトじみているのが、宇宙人などの未確認飛行物体による誘拐という説です。マリー・セレスト号の乗組員・乗客失踪は現代の科学でも説明のつかないことですから、オカルトな説がでてきてもおかしくはないでしょう。

また、バミューダトライアングルのような超常現象に巻き込まれたのではないか、という説もあります。

そんなミステリースポットや怪事件に興味があるという方は、こちらの記事も確認してみてはいかがでしょうか?

マリー・セレスト号事件の真相

さまざまな説が提唱されていますが、そんな中で特に気になる項目というと「フォスダイク文書」でしょう。このフォスダイク文書というのは、マリー・セレスト号事件発覚から約40年後、アベル・フォスダイクという人物が書き記した文書のことを指します。

このフォスダイク文書というのは、フォスダイクが死亡後に彼の友人の手によって発表されたもので、1913年にストランド・マガジンに掲載されたようです。

フォスダイク文書

フォスダイク文書
文書を書いたフォスダイクは、アメリカを何らかの理由で早く立ち去りたいことから、友人であるブリッグズ船長に頼み込んでマリー・セレスト号に同乗させてもらっていたそうです。

そしてこのフォスダイク文書は日記形式で書かれていたもので、どうしてマリー・セレスト号から人が消えてしまったのかがわかるものとなっています。

奇妙な運命に導かれたストーリー

この文書では、マリー・セレスト号事件は奇妙な巡り合わせと事故が続いたものであると記載があったそうです。

これまでのアルコールが原因である説、乗組員の暴動にあった説、海賊に襲われた説などとは違った視点で描かれる内容に、当時の人たちは騒然となったことでしょう。

密乗者だったフォスダイク

前述したとおり、フォスダイクはブリッグズ船長に頼んでマリー・セレスト号に乗せてもらっていた、いわば密乗者です。乗組員や乗客の記録に残っていないことから、何かしらの事情を抱えていたのでしょう。

それでも港を出発したあとは、他の乗組員や乗客であるブリッグズ夫人や彼らの子供と仲良く船旅を楽しんでいたそうです。

のどかな船旅で起きた事故

ある日、ブリッグズ船長が「着衣水泳はできるのか」ということを乗組員たちに問いかけます。彼はそのままマリー・セレスト号から海へ飛び降り、証明のために辺りを泳ぎ回ったそうです。

そんなブリッグズ船長に続くように数人の乗組員も海へ飛び込み、泳いで楽しんでいる姿をフォスダイクとブリッグズ妻子、残りの乗組員たちはブリッグズ船長が増設させたという特別デッキから眺めていました

フォスダイク以外はサメの餌食に

しかし泳いでいた乗組員の一人が突然苦しみだし、何事かと注視しているとサメに襲われていることがわかったのです。マリー・セレスト号に残っていた全員がデッキの上から確認しようとしていたそのとき、重みに耐え切れなかったのかデッキが壊れ海に投げ出されてしまいました

フォスダイクは運よくデッキの破片の上に残ることができたのですが、他の人たちは全員サメに襲われてしまいました。そうこうしている間にマリー・セレスト号は離れていき、フォスダイクは数日間漂流したのちにアフリカへ漂着したというのです。

提出文書に残る謎

文書の内容として筋は通っているものの、ところどころ疑問点が残るのもこのフォスダイク文書の不思議なところです。

密乗者としてマリー・セレスト号に乗っていたというのは都合がよすぎるということ、乗組員全員が海に放り出されるとは考えにくいこと、羅針盤が破壊されていたことや六分儀とクロノメーターがなくなっていたことの説明がつかないことなどが、疑問点として残ります。

ただフォスダイクは死んでからこの文書を公開したということもあり、真偽は不確かなままとなっています。

都市伝説は後づけのお話

都市伝説は後づけのお話
そしてマリー・セレスト号事件はさまざまな推察や説が飛び交うために、都市伝説としてミステリー話の一角を担うまでに大きくなっています。

一番有名なのは「マリー・セレスト号が発見されたとき、直前まで人がいた気配が残っていた」というところでしょう。温かい朝食がそのまま残されていたり、航海日誌の書きかけがあったりといった具合です。

ただこれらは全て超常現象を匂わせる創作であって、真実とはかけはなれているあくまでも「都市伝説」でしかないのです。

マリー・セレスト号と似た船放棄例

マリー・セレスト号と似た船放棄例
船員が忽然と姿を消してしまったというのはマリー・セレスト号特有の事象ではありますが、船を遺棄したという事件はマリー・セレスト号以外にもいくつかあるのです。

今回は3つの船遺棄事件をご紹介します。

メデューズ号

このメデューズ号の事件があったのは1816年になります。フランス人画家のテオドール・ジェリコーが描いた絵画が有名でしょう。

この事件は指揮系統の不備からくるもので、軍人・民間人含め約400人を乗せたメデューズ号はアフリカの西海岸で座礁してしまいます。救命ボートが出されましたが全員を乗せることはできず、約150人は急ごしらえのイカダに乗せられることとなりました。

救命ボートにのった人たちはイカダの人たちを見捨てて逃亡、救助船がイカダを発見したときには15人の命しか救い出せなかったという事件です。

大人数だったからこそ救助活動がされましたが、少数の民間船であればマリー・セレスト号と同じように幽霊船として発見されていたかもしれませんね。

津軽海峡貨物船漂流事故

この事故は1950年12月30日に起きました。石炭積み込みのために北海道へ向かう4隻の貨物船の内、1隻は35年もの老朽船で残り3隻についても低性能船で、いずれも積荷は0に近い状態でした。

途中までは順調だったのですが強風に煽られ2隻が操舵不能状態に陥ってしまい、1951年1月5~10日の間にかけて救助にきた船に乗り移り貨物船を破棄、船長及び船員たちは脱出します。

無人船のうち1隻は5日後に巡視船によって発見されますが、残る1隻は1ヶ月半ほど経過してから日付変更線付近の太平洋上を漂っているところをアメリカ船によって発見されたのでした。

フェリーはやて遭難事故

こちらは2003年9月19日に起こった事故になります。

台風14号の影響を受けたフェリーはやてを修繕するため、糸満市のドックに向けて運航中だったのですが、運悪く台風15号による高波に襲われて浸水してしまったことから、船員たちを救助し船は放棄されることとなりました。

その後フェリーはやては2週間ほど漂流したのち、10月3日に石垣島の南方約130kmの海上にて海上保安庁が発見したのです。

今なお語り継がれるマリー・セレスト号事件

いかがだったでしょうか?マリー・セレスト号事件は結局のところ、現代でも解明することはできず未解決事件として扱われています。

そんな不可思議なミステリー事件として語り継がれていますが、人々の興味を引く題材であることから小説などのネタにもなっていますので、読んでみるのもおもしろいかもしれませんね。

また、マリー・セレスト号事件以外のミステリー事件に興味のある方は、こちらの記事もチェックしてみてはいかがでしょうか?

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