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三毛別羆事件とは?「史上最悪」人食いヒグマ事件の詳細
2019年08月16日

三毛別羆事件とは?「史上最悪」人食いヒグマ事件の詳細

日本史上最悪とまで言われる、ヒグマが起こした獣害事件について皆さんは知っているでしょうか?三毛別羆事件と呼ばれるその事件は、小説やドラマの題材にまでなっているのです!今回はその三毛別羆事件について詳しく触れていきたいと思います。

一匹のヒグマが起こした壮絶な事件

皆さんは「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」を知っていますか?今から約100年前に北海道で起きた、ヒグマによる獣害事件です。

何度かメディアでも取り上げられている事件ですから、三毛別羆事件という名称は聞いたことがあるという方もいるかもしれません。

今回はこの三毛別羆事件について詳しくお話していきたいと思います。また、ヒグマの生態や現代日本におけるヒグマの害などについても触れていきますよ。

三毛別羆事件とは

それでは最初に、三毛別羆事件の概要についてお話していきましょう。

まず三毛別羆事件とはエゾヒグマが開拓民の集落を襲い、複数人の死傷者を出したという獣害事件です。そのヒグマは銃殺され、事件は収束しました。

三毛別羆事件が起きた場所

三毛別羆事件の起きた場所ですが、事件名になっているとおり北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢となります。

苫前(とままえ)町は留萌(るもい)市よりも北に位置しており、札幌市から車で高速道路を使い約3時間半の距離にあたる場所です。

地名となっている苫前はアイヌ語で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」から取られているようです。

今は三毛別羆事件についての資料館や三毛別羆事件復元跡地などがあり、この悲惨な事件が二度と起きないことを願って後世まで伝えようとしているようです。

三毛別羆事件の起きた日

三毛別羆事件が起きたのは、今から約100年前に遡り1915年(大正4年)の冬のことであったと記録には残っています。

当時の六線沢はもともと無人の土地で、東北などから移住してきた人たちが開拓して集落を形成していたようです。

三毛別羆事件は、明治~大正時代にかけての北海道開拓時代に起きたヒグマ事件ということですね。

三毛別羆事件の別名

メディアで取り上げられるときの名前は三毛別羆事件が多いですが、この名称以外にもこの事件の呼び方があるようです。

いずれもなんの事件であったのかわかりやすく土地の名前が入っていて、「六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)」「苫前羆事件(とままえひぐまじけん)」「苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)」などの名称があります。

事件の原因となったヒグマ「袈裟懸け」

三毛別羆事件では、もちろん原因となったヒグマがいます。それが通称「袈裟懸け」と呼ばれるエゾヒグマです。

胸から背中にかけて弓状の白斑があったことから、お坊さんが着用する「袈裟」に見立てて袈裟懸けという名前がつけられたようです。

ヒグマの生態

ヒグマはホッキョクグマと並ぶクマ科最大の体長を誇ります。また日本に生息する陸上で生活する哺乳類の中でも最大の動物です。

食性は雑食ですが、日本に生息するツキノワグマと比べると肉食の傾向が強いようです。北海道ではエゾシカやネズミ、サケやマスなどを捕獲して食べる姿が写真に収められていますね。

また自分がとった獲物に対しての執着心が高く、ヒグマに取られた物を取り返すのは危険とされています。ヒグマの走行スピードは時速50~65kmにもなると言われているためです。

「穴持たず」というヒグマ

ヒグマは冬眠をするクマです。冬眠最中に子供を生んで育てるというのが、ヒグマの生態のひとつです。

ただ冬眠をせずに越冬する個体もいて、そのヒグマのことを「穴持たず」と呼びます。冬眠する穴を持たずに歩き回っているためですね。

この穴持たずはとても凶暴で人を襲うことがあります。シベリアでは、トラと獲物の取り合いになってヒグマがトラを殺して獲物を奪い取ったという事例があるようです。

三毛別羆事件のヒグマはこの穴持たずでした。

三毛別羆事件のヒグマの異常さ

食物連鎖の頂点に君臨するヒグマですが、三毛別羆事件のヒグマは特に異常が見られたと言われています。

ヒグマの雄の成獣は体長約2.0m、体重約150~400kg程の個体が多いようですが、三毛別羆事件のヒグマは体長約2.7m、体重は約340kgだったそうです。

三毛別羆事件のヒグマ袈裟懸けは推定7~8歳のヒグマの雄で、体に対して頭部が異常に大きくなっていました。脳の異常発達から、凶暴性が増したのではないかという意見もあったようです。

被害にあった太田家と明景家

ここからは、三毛別羆事件を時系列順にお話していきたいと思います。

三毛別羆事件の始まり

三毛別羆事件の予兆は1915年11月初旬でした。

明け方頃、六線沢にある池田家の近くに巨大なヒグマが出没したのです。飼い馬が騒いだことにより池田家は襲撃を免れましたが、11月20日にまたヒグマが現れました。

馬をやられてしまっては困ると、池田家主人である池田富蔵(いけだ とみぞう)さんは谷喜八(たに きはち)さんと金子富蔵(かねこ とみぞう)さんというマタギを呼んで待ち伏せます。

11月30日に三度ヒグマが現れましたが仕留めそこない、鬼鹿山方向へ続く足跡や血痕を確認しましたが地吹雪により捜索は断念となりました。

谷さんたちは、このヒグマは足跡の巨大さから体に見合う穴が見つからず、穴持たずになった凶暴なヒグマであろうと推測したそうです。

太田家が最初の犠牲者

三毛別羆事件で最初の犠牲者が出たのは太田家です。

12月9日、当主の太田三郎(おおた さぶろう、当時42歳)さんと寄宿していた長松要吉(ながまつ ようきち、当時59歳、通称オド)さんはそれぞれの仕事場へ向かい、家には三郎の内縁の妻である阿部マユ(あべ まゆ、当時34歳)さんと預けられていた少年の蓮見幹雄(はすみ みきお、当時6歳)さんの2人が留守を預かっていました

昼食をとりに帰ってきた要吉さんが土間の囲炉裏端に座る幹雄さんを見かけ、狸寝入りをしているのだろうと思い大きな声を出しながら近づいて肩に手を置き顔を覗き込みました。

事件の発覚

三毛別羆事件の始まり
しかし覗き込んだ顔には血液の塊が付着しており、抉られた喉元と側頭部には親指大の穴が開いていて既に亡くなっていたのです。

要吉さんはマユさんを呼ぶも返答はなく、居間の奥から異臭を感じて下流にある架橋現場に走り事の次第を伝えました。

そして駆けつけた人たちは現場を見て衝撃を受けますが、これはヒグマの仕業だろうと判断します。家の裏に干してあったトウモロコシを食べていたヒグマに驚いた2人が悲鳴を上げて刺激してしまい、襲われたのだろうと結論が出ました。

状況から、三毛別羆事件は午前10時半頃に始まったと推察されました。

被害と状況の確認がされる

家の中には幹雄さんの遺体しかなかったためマユさんの遺体はヒグマが持ち去ったのだろうとされました。

ヒグマの捜索とマユさんの遺体奪還が急がれましたが冬は陽が落ちるのが早く、太田家から500m程下流にある明景安太郎(みようけ やすたろう、当時40歳)さんの家に集まり、翌日以降の策を練るため話し合いをしました。

また各方面に連絡を取らなければならない状況でしたが、当時電話はないため直接出向くしかありませんでした。

太田家の近くに住んでいた男性が使者役に選ばれましたが怖がって拒否したため、代わりに斉藤石五郎(さいとう いしごろう、当時42歳)さんが引き受けました。

三毛別羆事件、次の被害者

斉藤家は太田家と近く、避難のため明景家に妊娠中の妻のタケ(当時34歳)さん、三男の巌(いわお、当時6歳)さん、四男の春義(はるよし、当時3歳)さんの家族3人を宿泊させ、長松さんも一緒に泊まることになりました。

そして翌日12月9日、ヒグマの討伐とマユさんの遺体回収のため約30人の捜索隊を結成し、ヒグマの足跡を追跡して森に入ります。

森に入って150m程進んだあたりで該当する巨大なヒグマと出くわし、鉄砲を持った5人が発砲を試みましたが弾丸が発射されたのは1丁だけでした。怒り狂ったヒグマは暴れましたがあっさりと逃げ出し、捜索隊に被害はなかったようです。

再度付近を捜索すると、膝下の脚と頭蓋のみとなったマユさんの遺体を発見し、太田家へと連れ帰ることになります。

太田家へ再度の襲撃

その日の夜、マユさんと幹雄さんの通夜が行われているときでした。ヒグマの襲撃に恐れた村民が多く、参列したのは9人だけでした。

午後8時半頃、突如大きな物音がしたかと思うと居間の壁が崩れてヒグマが室内に押し入ってきたのです。

暴れるヒグマによって棺桶はひっくり返され、混乱の中参列していた人たちは梁の上に逃げたり野菜置き場やトイレなどに隠れようとしました。

参列者の一人が持ち込んでいた銃をなんとか発砲し、ヒグマが逃げたことにより犠牲者はでませんでした

恐怖に叩き落された明景家

三毛別羆事件、次の被害者
明景家には安太郎さんの妻であるヤヨ(当時34歳)さん、長男の力蔵(りきぞう、当時10歳)さん、次男の勇次郎(ゆうじろう、当時8歳)さん、長女のヒサノ(当時6歳)さん、三男の金蔵(きんぞう、当時3歳)さん、四男の梅吉(うめきち、当時1歳)さんの6人と、斉藤家の3人と要吉さんの10人がいました。

タケさんのお腹には胎児がいましたから、正確には11人の人間が太田家で起きていることを知らず、巨大なヒグマの恐怖に怯えながら夜を過ごしていたことになるでしょう。

そんな彼らのもとに本当の恐怖が訪れたのは午後8時50分頃でした。

ヤヨさんが梅吉さんを背負いながら夜食の準備をしていたとき、太田家を襲ったヒグマが窓を突き破って家の中に侵入してきたのです。

ヒグマによる虐殺

囲炉裏にかけられていた鍋がひっくり返され火が消えて、ランプの明かりも消えてしまった暗闇の中ヒグマによる虐殺が始まりました。

外へ逃げようとしたヤヨさんに勇次郎さんがすがりつき、転倒したところにヒグマは襲い掛かります。背負っていた梅吉さんに噛みつき、続いてヤヨさんの頭にも噛みつきました。

その直後、逃げていく要吉さんに気を取られたヒグマの隙をついてヤヨさんは2人を連れて脱出に成功しました。

要吉さんは物陰に隠れようとしたところ、ヒグマの牙を腰に受けてしまいました。彼の悲鳴によってヒグマの目標は、室内に取り残されている人間へと移ります。

地獄絵図を作り出したヒグマ

ヒグマは金蔵さんと春義さんを強靭な前足で撲殺し、巌さんには噛みつきました。このとき、隠れていたタケさんが顔を出してしまってヒグマに気づかれてしまいます。

タケさんは「腹は破らないでくれ」「喉喰って殺してくれ」と、ヒグマにお腹の子の命乞いをしたそうです。しかし野生動物に願いが通じることはなく、タケさんは上半身からヒグマに食べられてしまいました。

騒動に気づいた住人達が明景家へ向かっているとき、ヤヨさんと合流して惨状を知ることとなります。

ヒグマ「袈裟懸け」の討伐まで

三毛別羆事件発生からたった二日で6人、胎児を含めると7人の命が一匹のヒグマによって奪われ、3人が重傷を負いました。

そして六線沢の村民は全員避難をして、怪我を負った人たちも下流にある病院へ入院することとなったのです。

討伐隊の編成がされる

12月12日、三毛別羆事件のことは北海道庁にも知らされることとなり、討伐隊の指示が出されました。

しかし成果は出ずに夕方となり、手ごたえが全くなかった討伐隊はヒグマをおびき寄せることにします。その方法とは、ヒグマが獲物を取り返そうとする習性を利用するものでした。

銃の扱いになれた7人が待ち伏せをしていました。そこへヒグマはやってきたものの、警戒してなのかすぐに討伐することはできず無人の人家が荒らされていきます。

討ち取られたヒグマ

12月13日、ヒグマの警戒心が薄れ始めた頃にようやく一発の銃弾が命中したのです。しかし討伐までは至らずまた森に逃げられてしまいます。

12月14日、討伐隊とは別に熊撃ちの山本兵吉(やまもと へいきち、当時57歳)さんが森に入ります。傷を負っているのであれば、仕留めるのは今のうちだという判断でした。

そして兵吉さんは見事、三毛別羆事件の犯人であるヒグマを討ち取ったのです。

三毛別羆事件の終結

ヒグマが討伐されたことにより三毛別羆事件は終結を迎えます。三毛別青年会館へと運び込まれたヒグマの死体は解剖され、犠牲者の遺物が取り出されました。

三毛別羆事件後、傷を負ったヤヨさんは順調に回復したものの、梅吉さんは噛み付かれた後遺症に苦しみ2年8ヶ月後に亡くなります。そのため、三毛別羆事件の死亡者数を梅吉さんを含め8人とする場合もあるようです。

当然生存していた村人たちの心にも恐怖は色濃く残り、六線沢からは人がいなくなって無人となりました。

ヒグマについて詳しく知りたいという方は、こちらの記事もチェックしてみてください。

伝説のマタギと呼ばれる男「山本兵吉」

三毛別羆事件にて問題のヒグマを討ち取ったマタギとして知られているのが、兵吉さんです。

当時彼は借金から愛用していた銃は質屋に入れてしまっていたようですが、討伐隊に加わって受け取った猟銃でヒグマを見事討ち取ることになります。

その腕前はやはり「伝説のマタギ」と呼ばれるにふさわしいでしょう。

「袈裟懸け」を討ち取ったマタギ

兵吉さんは三毛別羆事件のヒグマを討ち取ったとき、討伐隊のメンバーとは別のところから山に入り、頂上付近のミズナラの大木のところで体を休めていたヒグマを200m程手前で発見、20m程距離を縮めて発砲しました。

最初の弾丸は心臓付近に命中しましたが、ヒグマは倒れずに兵吉さんをにらみつけたそうです。その隙を逃さずもう一発を頭に命中させて、三毛別羆事件を終わらせたのです。

マタギとしての逸話

それは1915年(大正4年)のときの出来事だったそうです。

仲間の猟師達と林に入り獲物を探していたところ、クマの冬眠穴を見つけたのです。仲間達にクマが起きて出てこないかを見張らせながら杭を打ち込もうとしたとき、誤って足を滑らせて穴に落ちてしまったのです。

クマが兵吉さんを振り回そうとしましたが、必死に胸元にしがみついて仲間達に「撃て!」と叫びました。しかし仲間達は恐怖から逃げ出してしまいます。

そうするとクマも兵吉さんを放してどこかへと行ってしまい、兵吉さんは「このとき程大変だったことと、大物を逃して残念だと思ったことはない」と語ったそうです。

小説の題材にも

三毛別羆事件及び兵吉さんの武勇は小説の題材にもなっています。

「羆嵐」という小説内では「山岡銀四郎」という、荒くれではあるものの凄腕の猟師として登場します。

三毛別羆事件をモデルとした羆嵐ですが、小説だけではなくテレビドラマやラジオドラマとしても展開されています。

現代でのヒグマ被害

ヒグマの被害というのは、三毛別羆事件が最初で最後というわけではありません。現代でも問題となっていることのひとつです。

特に春や秋の山菜狩りのシーズンや夏の山林へのハイキングシーズンに、その被害のニュースを見たり聞いたりしたことはないでしょうか?

これは、ヒグマの生息地と人間の住む環境が近くなってしまったためではないかとも言われています。

住宅街に出没する

人間は自然を開拓して居住区を広げていきます。まさに三毛別羆事件が起きた時代も、開拓の真っ只中でした。

そしてヒグマは賢く、人間のいるところには食べ物があると学んでしまうと何度もその近辺をうろつくようになってしまいます。

三毛別羆事件では、人間の味を覚えたヒグマが何度も村を襲っていました。ヒグマからしてみれば、人間は足が遅く狩猟するのには格好の餌という認識になるのでしょう。

人を恐れない

動物とは人間を恐れるものである、という先入観がある方もいるかもしれません。

しかしそれはあくまで草食動物や小型の動物であり、ヒグマのような巨大で肉食を好む動物には適用されないのです。

また、ヒグマは火も恐れないということが三毛別羆事件で発覚しています。

さらにヒグマは逃げるものを追うという特徴や、クマに死んだ振りは意味がないということも三毛別羆事件にて認識が改められました。

ヒグマを寄せ付けないようにするには

自然と常に隣りあわせで生活していく以上、ヒグマといつ遭遇してしまうかはわかりません。ただ、寄せ付けないようにすることは可能です。

まず、臭いのするものは密閉容器などに入れて持ち歩いたり、ゴミ捨て場であれば頑丈なシェルターのようなカゴにするのが良いでしょう。

そしてヒグマは執着心が強い生き物ですので、一度ヒグマに取られてしまったものは取り返そうとしないことです。

自然と共存するということ

身近な娯楽としてハイキングや山菜狩りが行われている日本ですが、その山にはもともと住んでいる動物がいてその縄張りに侵入しているのだという危機感を持つことが必要でしょう。

そして三毛別羆事件のような悲惨な事件が二度と起きないように、ヒグマについての研究がさらに進んでくれると良いですね。

ヒグマの近縁種であるグリズリーの事件も気になるという方は、以下の記事もチェックしてみてください!

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