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【大崎事件とは】原口アヤ子さんは冤罪?真犯人など最新情報まとめ
2019年08月16日

【大崎事件とは】原口アヤ子さんは冤罪?真犯人など最新情報まとめ

40年前、鹿児島で発生した「大崎事件」の主犯とされた原口アヤ子さんは、自らの無罪を主張し、90歳を越えた現在も裁判のやり直しを求め続けています。この記事では「大崎事件」について、概要や経緯、冤罪を疑われている理由や想定される真犯人など、詳しく紹介します。

「大崎事件」とは?

「大崎事件」は1979年10月に鹿児島県、大隅半島の付け根あたりにある曽於郡大崎町で発生した事件です。既に殺人事件として有罪判決が確定していますが、主犯とされ10年服役した原口アヤ子さんは無罪を主張し、裁判のやり直し(再審)を求め続けています。

大崎事件(おおさきじけん)は、1979年10月、鹿児島県曽於郡大崎町で起こった事件。殺人事件として有罪が確定したが、死亡原因は殺人ではなく、転落による事故であるため殺人罪は冤罪である、との主張がある。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B4%8E%E4%BA%8B... |

「大崎事件」の概要

1979年10月15日、鹿児島県曽於郡大崎町で農家を営む男性Kさん(当時42歳)の遺体が、自宅に併設されている牛小屋内の堆肥置き場にて、埋まった状態で発見されました。

被害者Kさんの自宅は集落の奥まった所にあり、また2人の兄がそれぞれ同じ敷地の別宅に住んでいることなどから、警察は身内による殺人事件と判断して捜査を開始。その結果、Kさんの長兄(当時52歳)と次兄(当時50歳)、長兄の妻だった原口アヤ子さん(当時52歳)が殺人・死体遺棄容疑で、甥(次兄の息子、当時25歳)が死体遺棄容疑で逮捕、起訴されました。

「大崎事件」は冤罪事件?

原口さん以外の3人は容疑を認め、長兄は懲役8年、次兄は懲役7年、甥は懲役1年の判決が下り、3人とも受け入れました。ところが捜査段階から一貫して容疑を否認していた原口さんだけは、最高裁まで争います。

しかし結果は覆らず、81年に懲役10年の判決が確定し、服役しました。

原口さんは満期服役して出所した後も、まったく身に覚えがないとして無罪を主張し続けています。大崎事件発生から40年が経った2019年4月現在、3回目の再審請求が行われていて、最高裁の判断を待っている状態です。

原口さんは既に91歳となっており、弁護団は原口さんが生きている間に無罪判決を得るために、最高裁に対して早期の再審開始を求めています。

「大崎事件」容疑者逮捕までの経緯

主犯とされた原口さんが、40年もの間ずっと無罪を主張し続けている「大崎事件」。ここからはその大崎事件の経緯を、流れに沿って見ていきましょう。

事件3日前、被害者が所在不明に

事の起こりは、大崎事件が発生する3日前になります。

その日は街でKさんの親類の結婚式があり、Kさんも出席予定でした。しかし酒乱だったKさんは当日朝になって酒を飲み始め、長兄が迎えに来ても「行かない」とごね出します。仕方なく長兄たちはKさん1人を残し、結婚式に向かいました。

被害者Kさんの行動(79年10月12日)

  • 09:00 頃、自宅で飲酒をはじめ、その日に街で行われる親類の結婚式を欠席
  • 15:00 頃、近所の店で焼酎を2本購入
  • 15:30 頃、軽トラックを運転中、酒気帯びを理由に警官に止められる
  • 17:00 頃、自宅近くの農道を、自転車に乗って走っている姿が目撃される
  • 17:30 頃、15時と同じ店で再び焼酎を2本購入
  • 20:00 頃、自宅から約1キロ離れた道路上にて、泥酔した状態で倒れているのを知人に発見される

知人に自宅まで運ばれた後、所在不明に

発見されたKさんは酩酊していた上に下半身裸で、服は濡れた状態でした。またKさんのすぐ近くには自転車があったため、Kさんは自転車に乗っていたところ、道の傍らにある用水路に落ちて、その後に誰かに助け出されて道に寝かされたものと考えられています。

なお用水路の中には2本の焼酎の瓶があり、そのうち1本は中身がほとんど無くなっていました

発見した知人は近所の人の手を借りて、2人でKさんを自分の軽トラックに乗せます。そしてそのままKさん宅まで送り届け、玄関の土間に置いて帰りました

その後、結婚式から帰宅した原口さんが電話で連絡を受け、Kさんの様子を見るために自宅に向かいます。しかし玄関の土間にはKさんの姿は無く、身を乗り出して奥の部屋を見てみたところ、既に布団で寝ている様子でした。

それを最後にKさんは所在不明となり、捜索願が出されることになります。

被害者が遺体として発見される

Kさんが行方知れずとなってから3日後の15日、Kさんは探していた親族によって、遺体で発見されました。見つかった場所は自宅に併設されている牛小屋の、堆肥置き場です。

遺体は堆肥の中に埋もれていて、既に腐乱していました

遺体の上から20~40cmほどの堆肥がかぶせられている状態だったので、単純な事故で埋もれたとは考えにくく、また遺体の鑑定結果が「頸椎の前面に出血があるため、首に外力が働いたことにより窒息死したと想像する」とされたこともあり、警察は「絞殺された後、遺棄された」として捜査を開始しました。

容疑者の逮捕、身内4人による犯行

容疑者の逮捕、身内4人による犯行
Kさん宅の立地から、身内による犯行だと考えた警察は、同一敷地内の別宅に住む長兄と次兄を任意で取調べはじめました。その結果、2人がKさんの殺害と遺棄を自白。警察は2人を殺人・死体遺棄容疑で逮捕しました。

逮捕後しばらくして、2人は「アヤ子が首謀者だった」「甥も死体遺棄に加わった」と話を付け加えて、自白の内容を変化させます。警察はその自白を元に、27日に次兄の息子であるKさんの甥を死体遺棄容疑で、30日には長兄の妻であった原口アヤ子さんを殺人・死体遺棄容疑で逮捕しました。

大崎事件の関係者

大崎事件において重要な人物は、全て被害者であるKさんの身内となっています。後の再審請求で注目される目撃証言をしたのも、次兄の妻(甥の母)でした。

ここでは大崎事件の関係者について、1人ずつ詳しく紹介していきます。

被害者・Kさん

大崎事件にて被害者となったKさん(当時42歳)は非常に酒癖の悪い、いわゆる酒乱と呼ばれるタイプの人でした。

Kさんは事件当時、離婚していて一人暮らしでしたが、離婚の原因は酒に酔っての暴力で、兄弟にもたびたび迷惑を掛けています。そのため警察は、そういった事の積み重ねがKさん殺害の動機の一つだと考えました。

遺体からは死因となるような外傷は発見されませんでしたが、頸椎前面に縦長の出血があるのが見つかっています。そのため外から首回りに何かしらの力が掛かって窒息したのではないか、と鑑定されました。また遺体の肺に堆肥の粉末が入っていなかったことから、死亡してから堆肥に埋められたことが判明しています。

警察はこの鑑定から、Kさんが絞殺されたとして捜査を行いました。

主犯・長兄の妻(原口アヤ子さん)

Kさん殺害を計画した主犯として逮捕されたのが、長兄の妻だった原口アヤ子さん(当時52歳)です。Kさんが殺害されたとされる12日は親類の結婚式に出席していましたが、帰宅後の21時頃、Kさんが泥酔して道で寝ていたとの連絡を受けて様子を見に行っています。

なお逮捕された4名のうち、自白せず無罪を主張し続けたのは原口さんだけでした。

共犯・長兄

原口さんの当時の夫だった長兄(当時52歳)は、殺人・死体遺棄の共犯として逮捕されました。過去に遭った交通事故が原因で知的能力が低かったことが、親戚や近所の住民による証言から分かっています。

12日は親類の結婚式に出席して酒を飲んだため、帰宅してすぐに就寝しました

任意の取調べでKさんの殺害と遺棄を自白しましたが、妻である原口さんの指図だった、甥が死体遺棄を手伝った、と後から供述を変化させています。

共犯・次兄

次兄(当時50歳)は長兄と共に、原口さんの共犯として殺人・死体遺棄容疑で逮捕されました。知的障害を持っていたことが知られています。刑務所での分類検査の結果では、知的障害者の等級である「AMx」とされました。

12日は長兄同様、出席した親類の結婚式で酒を飲み、帰宅後すぐに就寝しています

長兄と共に、取調べでKさんの殺害と死体遺棄を自白し、また後から原口さんが主犯であること、息子が死体遺棄に協力したことを自白しました。

共犯・甥(次兄の息子)

甥(当時25歳)は死体遺棄容疑で逮捕されました。父の次兄同様、知的障害を持っていたことが分かっています。記録によると知能指数は64で、小学校の計算ができるかどうか、という程度でした。

12日は親類の結婚式で酒を飲んだため、帰宅後すぐに就寝しています

Kさんの死体の遺棄を手伝ったとして27日に逮捕され、犯行を自白しました。

目撃証人・次兄の妻(甥の母)

次兄の妻は容疑者ではなく、証人として警察に情報を提供しています。彼女の証言は長兄・次兄・甥の自白を裏付けるものとして採用されました

以下は、その内容の要約です。

次兄の妻の供述内容

  1. 10月12日の夜、屋外にあるトイレに向かい外に出たところ、原口さんが夫(次兄)に「こういう時じゃないとKを殺せない」というように、Kさんの殺害を持ちかけていたのを目撃。その後はトイレを済ませ、寝室に戻り就寝。
  2. それからしばらくしてうとうとしていたところ、夫(次兄)が寝室に戻ってきて「うっ殺してきた」と独り言のように発言。
  3. 更に少し時間がたった後、今度は息子(甥)が戻ってきて「加勢してきた、黙っちょらんや」と発言。

裁判の結果とその後

裁判の結果とその後
逮捕された原口さんら4人は共犯関係にありましたが、原口さんは容疑を否認、他3人は容疑を認めています。そのため公判の手続きが異なってくる等の理由で、それぞれ別々に起訴されて裁判を行うことになりました。

これにより確かに手続き上は別の裁判になりましたが、実際は4人共、同じ裁判官によって審理されています

裁判は容疑を認めていて争いがない3人が先行して進み、それに比べて争っている原口さんの審理は遅れてしまう、という形になりました。そのため裁判官は、有罪前提でどんどん進んでいく裁判を審理しながら、原口さんの審理も行うという、ある意味予断を含んだ状態で審理をしていたことになります。

裁判の結果は、全員有罪

原口さんの弁護人は、長兄ら3人が犯人であるという前提で原口さんの弁護を行い、原口さんが事件に関与していないという主張を展開します。そのため「本当に原口さんは事件に関与したのか?」、という点が主に争われ、結果として基本的な部分は考慮されませんでした

基本的な部分とは「本当に原口さんがKさんを殺害したのか」についての審理で、例えば自白の信用性や、殺害方法が死因と矛盾していないか、などの検討です。

そういった問題を含んだまま、鹿児島地裁は原口さんの判決を下します。審理中に立証できなくなった「保険金目当て」という動機こそ認めなかったものの、結果は懲役10年の有罪判決でした。

なお長兄は懲役8年、次兄は懲役7年、甥は懲役1年となっています。

裁判所が認めた犯行の事実

この判決により、以下の犯行が事実とされました。
  • 12日23時頃、原口さんは長兄・次兄とKさん殺害を計画し、自宅の土間で寝ていたKさんを、3人で六畳間まで運んだ
  • 原口さんは首を締めるために用意したタオルを長兄に渡して、寝かせたKさんの両足を押さえつけた
  • 次兄はKさんに馬乗りになって、両腕を押さえつけた
  • 長兄は渡されたタオルをKさんの首に1回巻いて交差させ、両腕で力いっぱい引いて窒息させた
  • 次兄は一旦家に帰り、息子(甥)に死体を遺棄する手伝いを頼み、承諾を得る
  • 13日4時頃、原口さんが懐中電灯を持ち、長兄・次兄・甥がKさんの遺体を牛小屋まで運んだ
  • 原口さんの指図により、3人がスコップかホークで堆肥に50cmの穴を掘り、そこにKさんの遺体を埋めた

判決後、原口さんは満期まで服役

判決後、原口さんは満期まで服役
無実を主張している原口さんは、判決を不服として最高裁まで争います。しかし結果は覆らずに判決が確定しました。長兄・次兄・甥は控訴せず、地裁判決を受け入れています。

刑務所での原口さんは素行も良く優秀で、そのため仮釈放の誘いを3度受けます。しかしそれには条件が付いていて、事件に対する反省文の提出が必要でした。

そのため原口さんは「やっていないことは反省できない」と、その誘いを全て断ります。結果として原口さんは、満期まで服役することになりました。

「大崎事件」が冤罪として疑われる理由とは?

「大崎事件」が冤罪として疑われる理由とは?
裁判に問題があった大崎事件ですが、そもそも警察の捜査にも問題がありました。冤罪が疑われる理由となっている大崎事件における問題点とは、一体どんなものなのかを見てみましょう。

他殺だとは断定できない

Kさんの遺体の鑑定結果は「頸椎の前面に出血があるため、首に外力が働いたことにより窒息死したと想像する」というもので、絞殺と断定している訳ではありませんし、そもそも他殺であるとは言っていませんでした。

つまり警察は、「遺体が埋められていたのだから殺人だろう」「外からの力で窒息したなら絞殺だろう」という憶測で捜査をしていたということになります。

これについて裁判所は絞殺と矛盾しないと判断しましたが、後にその鑑定をした本人が「タオルによる絞殺では頸椎前面の出血は発生しない」と、タオルでの絞殺をはっきり否定しています

自白の信憑性

「タオルによる絞殺」という殺害方法が事実とされた根拠は、自白でした。しかしその自白をした3人は、いずれも知的障害というハンデを抱えています

知的障害者は相手が怒った場合、単純にその怒りを無くすことを目的として行動することが多く、例えやってもいない悪事を責められたとしても、とにかく謝って怒りを鎮めようとする傾向があります。従って怒鳴るなどして自白を強要されたとしたら、言われるがままに自白してしまった可能性があるのです

大崎事件においては長兄と次兄が、当初は2人でKさんを殺害し、遺棄したと自白していましたが、あとになって原口さんと甥も一緒にやったと内容を変化させました。この変化は警察が誘導したのが理由ではないかと疑われています。

一般的な職場への就労はハードルが高く、障害者雇用での就労や就労継続支援事業所・就労移行支援事業所等での福祉的就労を行う事が多い。また、日常的でない判断(高額な契約など)が難しく、時に判断を誤ることや、悪意の接触にだまされることがある。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E7%9A%84%E9%9A%9C... |

決定的な証拠がない

殺人事件では、凶器などの動かぬ証拠が必要になりますが、大崎事件では凶器となったタオルが見つかっていません。またそれだけではなく、遺体が発見された牛小屋からは、原口さんらの足跡や指紋、毛髪も発見されておらず、遺体を埋めるのに使ったとされるスコップやホークからも、指紋は採取されませんでした。

つまり証拠らしい証拠は、原口さん以外の3人による自白のみ、ということになります。

目撃証言は「話をしているのを聞いただけ」

次兄の妻の証言が証拠として採用されていますが、彼女の証言は、Kさんを殺す相談をしているのを聞いただけです。当然、実際に犯行に及んだ場面を目撃した訳ではないので、本来は決定的な証拠にはなりません。

しかし裁判所は、この証言が自白を裏付ける形となっているため、重要視していました。

第3次再審請求では弁護団から、この証言の信憑性が疑われる証拠が提出されています。

再審請求ーー20年以上に渡る、無罪を求める戦い

満期まで服役した原口さんは、1990年7月に出所しました。他の3人は既に刑期を終えていましたが、再審請求を頼める弁護士を探していた次兄は87年4月25日に自殺してしまっています。

原口さんは服役直後から再審請求を行うことを決意していて、出所後すぐに弁護士に依頼をしました。そのとき原口さんは、夫である長兄を再審請求に誘いましたが、長兄は穏やかな暮らしを望み「もう裁判は終わった」と、再審請求には参加しませんでした。そのため原口さんは長兄との離婚を決断します。長兄はその3年後の93年10月2日、病気で亡くなりました。

こうして原口さんは、20年以上に渡り続くことになる大崎事件の再審請求に挑みはじめます。

第1次再審請求(1995~2006年)

1995年4月19日、原口さんは鹿児島地裁に対し、自分を含む犯人とされた4人全員の無罪を主張し、再審請求を行いました。97年9月には甥も再審請求に合流しますが、2001年5月27日に自殺してしまい、甥の母(次兄の妻)が再審請求を引き継いでいます。

2002年3月26日に鹿児島地裁は再審開始を認めましたが、検察がこれを不服として即時抗告しました。これにより福岡高裁宮崎支部が2004年12月9日、再審開始の決定を取り消します。原口さんの弁護団は特別抗告しましたが、2006年1月30日に最高裁が特別抗告を棄却しました。

なお甥の母は2004年1月に亡くなってしまい、甥の再審請求権を持つ人がいなくなってしまいました。

第2次再審請求(2010~2015年)

第1次再審請求から4年後の2010年8月30日、2回目の再審請求が行われました。翌年の8月30日には、亡くなった長兄の再審請求権を持っていた長女が合流しました。

弁護団は3人の自白の信憑性に疑問を投げかけるため、幾つかの新証拠(精神科医の意見書や、心理分析の鑑定書など)を提出し、また検察が作成した「未開示の証拠リスト」の開示を求めました

これは検察が裁判所に提出していない証拠の中に、無罪を示す証拠がないかを確認するために行われた要求でしたが、鹿児島地裁はこれを認めず、開示を命じないまま13年3月6日に再審請求を棄却します。

弁護団は即時抗告しましたが、福岡高裁宮崎支部も14年7月15日に請求を棄却。特別抗告も行いましたが15年2月2日、最高裁も棄却しました。

証拠開示に詳しい成城大の指宿信教授(刑訴法)は「確定審の公判で提出されなかった証拠を基に、再審無罪が次々と出ている。冤罪(えんざい)かどうかを確かめるために証拠を開示することの重要性は明らかだ」と指摘する。

大崎事件の弁護側も積極的に開示を求めた。しかし、中牟田裁判長は今年10月、鹿児島地検が作成した未開示証拠のリストについて「開示を求めるつもりはない」と述べ、近く決定を出すことを示唆した。

森雅美弁護団長は「リストぐらいなぜ出させないのか」と憤りを隠さない。

出典: https://www.nikkei.com/article/DGXNASJC25007_V21C12A1ACY000/ |

第3次再審請求(2015年~)

第2次再審請求では、長兄と次兄の自白については信憑性を揺るがすことができましたが、甥の自白と次兄の妻の証言は信用できるとして、再審が認められませんでした。

そこで弁護団は、被害者の死因が窒息ではないことを証明する法医学鑑定書、次兄の妻の証言の信憑性が低いことを示す供述心理分析鑑定書を用意し、わずか5ヶ月後の15年7月8日に第3次再審請求を行います。この時点で原口さんは88歳になっていました。

17年06月28日、鹿児島地裁はようやく再審開始を認めました。弁護団は原口さんの年齢を考え、すぐさま最高検察庁に対し、即時抗告をしないよう要請をします。しかし残念なことに7月3日、検察は即時抗告を行い、再び福岡高裁宮崎支部にて審理されることになりました。

冨田裁判長は決定理由で、弁護側主張を認め「親族の供述の信用性は慎重に評価する必要がある」と判断。共犯者の自白についても「不合理な点があり、捜査機関の誘導や迎合により供述が変遷した疑いがある」と述べた。

確定判決で窒息死とされた死因についても、弁護側は「窒息死ではなく事故による失血死だ」と主張する法医学鑑定を提出。冨田裁判長は「窒息死を示す積極的所見はない」として、確定判決での死因鑑定を「脆弱なもの」とした。

出典: https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28H6T_Y7A620C1CC1000/ |

第3次再審請求の現状は?

鹿児島地裁から再審開始を認める決定が出た大崎事件の第3次再審請求ですが、2019年4月現在、いまだに最終的な結果が出ていません。ここからは2018年以降の第3次再審請求がどうなったのか、確認してみましょう。

福岡高裁宮崎支部の判断は「再審開始」

18年03月12日、福岡高裁宮崎支部が即時抗告を棄却し、再審開始の決定を支持しました。裁判所は弁護団が新たに提出した証拠を認めて、Kさんは自転車で溝に転落した時に死亡していた、あるいは瀕死だった可能性があると指摘しています。

弁護団は再び検察に対し、特別抗告をしないように要請しますが、またも検察はこれを受け入れず、3月19日に特別抗告をしました。

特別抗告は、高裁決定が憲法や判例に違反している場合に申し立てることができる。再審開始の要件は「無罪を言い渡すべき『明らか』で『新たな』証拠が見つかったとき」とされており、検察側が今回の高裁の判断がこれに反していると判断するかどうかが鍵となる。

出典: https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/400737/ |

特別抗告は検察の悪あがき?

弁護団の要請を無視して行われた特別抗告

弁護団は検察に対して特別抗告をしないように要請しましたが、検察はこれを受け入れず、3月19日に特別抗告をしました。これにより最高裁で最終的な判断が下されることになります。

既に高裁が示したように、もはや殺人ではなく事故だった可能性まで出てきた中で行われた検察の特別抗告には、多くの疑問の声が上がりました。


検察による時間稼ぎ

2019年1月17日、検察が最高裁に意見書を提出しました。その内容は「死因に関する法医学鑑定には信用性がない」というものです。

そろそろ最高裁の判断が出るだろうと考えられていたタイミングでの、いまさら話を蒸し返すような内容に、弁護団は「時間稼ぎだ」と強く批判しました。

検察は特別抗告から意見書提出までに10ヶ月を掛けましたが、弁護団は14日後の31日、「検察の批判は事実誤認」という反論書を最高裁に郵送しています。

無実を訴えている原口アヤ子さん(91)は高齢で、弁護団は早期決着を求めていた。特別抗告から約10カ月が過ぎてからの意見書提出に「論点の蒸し返しで、審理の遅延が目的だ」と批判した。

出典: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40203420Y9A110C1ACYZ00/ |

「大崎事件」の真犯人は?

「大崎事件」の真犯人は?
弁護団が提出した新証拠が認められた結果、Kさんは殺されたのではなく、事故で亡くなった可能性があることが指摘されました。仮にこの可能性が事実だとしたら、大崎事件はそもそも殺人事件ではなかったことになります。

では大崎事件に真犯人は存在しないのでしょうか?

確かにKさんを殺した犯人は存在しない可能性がありますが、Kさんの遺体は堆肥の中に埋もれた状態で発見されました。そして鑑定の結果、Kさんの肺には堆肥の粉がなかったため、死亡後に埋められたことが証明されています

従って真犯人がいるとすれば、それはKさんの遺体を埋めた人物になるのではないでしょうか。

しかし死体遺棄の時効は3年で、既に時効が成立しています。また原口さんの無罪を証明するのに必要な情報でもないため、残念ながら解明は期待できないでしょう。

再審制度に関する問題点

再審制度に関する問題点
そもそも再審制度は、無実の罪で有罪になった人を救済するためにあります。しかし大崎事件の再審請求の過程を見ても、現行の再審制度が問題を抱えているのは明らかです。

具体的に問題点を見て行きましょう。

再審請求は、刑を確定判決した裁判所に対して行う

再審請求を行う裁判所は決められていて、確定判決を出した裁判所に対して行うことになっています。大崎事件の場合は、鹿児島地裁です。

裁判所から見ると、再審請求は「あなたの先輩がこういう間違いをしたので、やり直して欲しい」と頼まれるのと同じになります。裁判官も人間ですから、そう簡単に先輩の判断が誤りであったと認めることはできません。

また再審に関する決定は、裁判所内での自分の立場に影響しかねません。あるテレビ番組が、裁判官が再審開始の決定を下すことができない理由を取り上げたことがあります。再審開始の決定をした場合、その裁判官は出世コースから外れてしまう、という内容でした。

これらの人事はすべて最高裁が握る。出世コースから外れた裁判官は地方の支部を転々と異動し、給料でも差がつく。そのため、一度、最高裁で確定した判決を覆してまで、再審決定を決断する裁判官が少ないのが実情だと話す。

出典: https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/15th/06-204.html |

事件に関する証拠は、捜査機関が握っている

事件に関する証拠品は警察が集め、容疑者の身柄と共に検察に送ります。検察は送られた証拠品や容疑者の取調べを行い、起訴するかどうかを決めます。

起訴した場合、検察官が裁判で容疑者の有罪を証明するために活動しますが、かつてはその有罪を立証するために裁判所に提出する証拠は、検察が自由に選ぶことができました

なお現在ではすべての証拠のリストを弁護側に示す必要があります。ただし再審制度は対象外なので、検察は不利な証拠を隠すことができるのです。大崎事件の第2次再審請求では、弁護団が検察作成の「未開示の証拠リスト」の開示を求めていますが、これは検察が不利になる証拠を出していない可能性を考慮しての求めでした。

また警察が証拠を隠し持っている例も実際にあります。大崎事件の第3次再審請求で行われた証拠開示で、捜査を担当した志布志警察署から17本の写真のネガが開示されました。これは初めて公にされた証拠です。

再審開始が認められるまで時間が掛かりすぎる

大崎事件は事件発生から今日(2019年4月現在)まで40年が経過していますが、いまだに再審開始が認められていません。

他の冤罪が疑われている事件も大崎事件と同様に、かなりの時間が掛かっています。例えば50年前に発生した「袴田事件」は、2014年3月にようやく地裁で再審開始が認められましたが高裁で棄却され、現在は最高裁の判断を待っている状態です。

また実際に再審無罪を勝ち取った例として、1990年に発生した「足利事件」の菅家利和さんは、17年半もの時間を掛かけてようやく無罪となりました。

検察が抗告できる

検察は再審開始が決定されると、ほぼ間違いなく抗告します。大崎事件もその例にもれず、検察は例外なく抗告しています。その理由が正当なものであれば良いのですが、実際は言いがかりと言っても差し支えない理由で抗告されているのが実情です。

大崎事件の第3次再審請求で、弁護団は新証拠として「死因は出血性ショックの可能性が高い」という内容の鑑定書を提出しました。福岡高裁宮崎支部はこれを「十分に信用性がある」として認めましたが、検察は「無罪と言える新しい証拠とは言えない」として、最高裁に特別抗告しています。

認められるのが稀

今まで挙げた理由の全てが障害となるため、再審請求が認められることは極めて稀です。そのため再審請求は「開かずの扉」であると言われています。大崎事件の場合、再審請求を開始してから2回棄却され、既に24年が経過してしまいました。

無実の罪からの救済を目的としている制度にもかかわらず、何十年にも渡って証拠を隠されたり難癖を付けられた結果、ほとんど認められないというのは、さすがに問題があると言わざるをえません。

また、日本の裁判所においては再審請求が認められる事件は年平均わずか2 - 3件程度と極めて稀であり、日本の再審制度は俗に「開かずの扉」と言われている。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E5%AF%A9 |

「開かずの扉」と言われる再審制度の意味とは?

再審制度は冤罪被害に遭った方のためにある、唯一の救済手段です。

大崎事件の他にも、大きく取り上げられている冤罪事件はいくつもあります。それらの事件に共通しているのは、先入観や思い込みで作り上げた事件のストーリに基づいて捜査が行われていた、という点です。

大崎事件でいえば長兄・次兄・甥が、ストーリーに沿った内容の自白を強制・誘導された可能性があります。

こういった、冤罪を生み出す原因を正すのはもちろんですが、救済に何十年も必要になってしまう現在の再審制度についても、考えていく必要があるのではないでしょうか。

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