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【三鷹ストーカー殺人】池永チャールストーマス・リベンジポルノの詳細
2019年08月08日

【三鷹ストーカー殺人】池永チャールストーマス・リベンジポルノの詳細

2013年に起こった三鷹ストーカー殺人事件では、美しく才能あふれる女子高校生の尊い命が奪われました。この記事では、犯人・池永チャールストーマスの知られざる人物像や、彼が行った卑劣なリベンジポルノの詳細について特集しています。

社会を変えた凶悪な三鷹ストーカー殺人事件とは?

2013年に起こった三鷹ストーカー殺人を覚えている方も多いのではないでしょうか。おぞましいストーカによって、未来ある美しい女子高生が無残にも命を奪われたこの事件は、人々に強い衝撃を与え、数あるストーカー犯罪の中でも特に世間の大きな関心を集めました。

また、これがきっかけになってリベンジポルノ法が成立するなど、社会に大きな影響をもたらした事件でもあります。

事件から時間が経ち、一連の捜査も裁判も終結したからこ現在だからこそ、ようやく明らかになった事実も多くあるのです。そこでこの記事では、三鷹ストーカー殺人事件の知られざる真相を徹底解剖していきます。

三鷹ストーカー殺人事件の詳細

まずは、三鷹ストーカー殺人事件の詳細について確認しておきましょう。三鷹ストーカー殺人事件が起こったのは2013年10月8日のことです。

東京都三鷹市に住む女子高校生が、トラック運転手・池永チャールストーマスによって自宅で襲撃され、刺殺されたというとても痛ましい事件です。

犯人は被害者の元交際相手でした。被害者から別れを告げられてストーカーになり、事件を起こすまで、脅迫やリベンジポルノによる嫌がらせなど、卑劣な行為を継続して行っていました。

そのストーカー行為は止むことなく、どんどんエスカレートしていった結果、若く未来ある女子高校生の命を奪うという凶行へ至ってしまったのです。

事件の起こった現場・三鷹の場所をチェック

ここで、事件のあった場所を確認しておきましょう。下の地図画像からもわかるように、現場となった三鷹は閑静な住宅街で、それまでは事件や事故とは無縁の平和な街でした。

犯人の池永チャールストーマスは、被害者を殺すために自宅のある関西からわざわざ東京までやってきます。そして三鷹にある被害者の自室に侵入し、被害者が帰宅したところを、あらかじめ用意しておいた刃物で襲い掛かったのです。

被害者は自宅前の道路まで何とか逃げ出そうとしたものの、途中で池永チャールストーマスに追いつかれ、首や腹部を刺されて、その尊い命を奪われてしまいます。

池永チャールストーマスの犯行直前の行動とは?

三鷹ストーカー殺人事件に関する一連の報道では、犯人・池永チャールストーマスが事件直前に信じられない行動を取っていたことも注目されました。

被害者の女子高校生の自室に侵入し、クローゼットの中にこもって彼女の帰宅を待ち伏せしている最中に、なんと友人に犯行をほのめかすLINEのメッセージを送っていたのです。

1時間になんと56件ものメッセージを立て続けに送るという異常さ。その中には、被害者へに別れを告げられても「ふんぎりがつかない」ため、「ストーカーじみたことをしている」ことを赤裸々に打ち明けていました。

この異常な数と内容のメッセージからは、被害者を殺すことを決意して自宅にまで侵入したものの、感情が高ぶって本人の中でも葛藤していたことがうかがえるでしょう。

三鷹ストーカー事件の被害者女子高生とは?

では、池永チャールストーマスの凶刃の犠牲になった被害者の女子高校生とは、どのような人物だったのでしょうか。

ここからは、三鷹ストーカー殺人事件の被害者の人物像に迫っていきます。

被害者の経歴

三鷹ストーカー殺人事件の被害者は、東京都内の私立高校に通っていた鈴木沙彩さんです。当時、高校3年生でした。英語が堪能で、事件直前まで高校の制度を通じてカナダに短期留学をしていたほどです。

また、成績優秀な鈴木さんは高校から推薦をもらい、都内の大学の入試を受けることが決まっていました。前途有望で輝かしい未来が待っていたにも関わらず、池永チャールストーマスによって無残にも命を奪われてしまったのは、言葉にできないほど残念で悲しいことです。

芸能活動をするほどの美貌の持ち主

三鷹ストーカー殺人事件が起こった直後から連日メディアで取り上げられたことのひとつが、鈴木さんの美貌でした。

写真を見てわかるように、鈴木さんはかなりの美貌の持ち主でした。どの写真を見ても、大人っぽくて上品な正統派美少女という印象を受けるでしょう。

実際、鈴木さんは小学校5年生の時に芸能関係者にその美貌を見出され、スカウトを受けて芸能界活動をしていたのです。

学業を優先していたのか、あまりメジャーな活躍はしてなかったようですが、それでも出演した映画やドラマを観ると、輝くような存在感を放っていたことがわかります。

親族には有名脚本家も

学業優秀であるだけでなく美貌の持ち主でもあり、高校生と女優の二束のわらじを履いていた鈴木さんは、まさに誰もが憧れる存在だったことでしょう。

実は、そんな鈴木さんの家族や親類も華やかな経歴の人が多くいます。鈴木さんの母親は名の知れた画家で、ドラマ「北の国から」で有名な日本を代表する脚本家・倉本聰さんの姪っ子でした。

そんな母親から生まれた鈴木さんにとっては、倉本聰さんは大伯父にあたるんです。まさに、「華やかなる一族」という言葉がふさわしいでしょう。

犯人・池永チャールストーマスとはどんな人物か?

才色兼備で家族にも恵まれ、幸せそのものの人生を送っていた鈴木さん。そんな彼女の命を無残にも奪った三鷹ストーカー事件の犯人・池永チャールストーマスとはいったいどんな人物なのでしょうか。

ここからは、知られざる池永チャールストーマスの人物像を徹底解剖していきます。

池永チャールストーマスのプロフィール

池永チャールストーマスという名前と彼の顔写真からわかるように、彼は純日本人ではありません。フィリピン人の母親と日本人の父親を持つハーフとして、フィリピンのマニラで生まれたのです。

池永チャールストーマスはわずか1歳10か月の時に、母親に連れられて大阪府に住む父親のもとで生活をするようになります。

その後日本国籍を取得し、関西の高校を卒業後は進学も就職もせず、フリーターとして職を転々としていました。

池永チャールストーマスが被害者の鈴木さんと出会ったのはトラック運転手として働いていた19歳の時で、その2年後の21歳の時に、三鷹ストーカー殺人事件を起こすことになります。

池永チャールストーマスの過酷な生育環境とは?

池永チャールストーマスの過酷な生育環境とは?
なぜ池永チャールストーマスは三鷹ストーカー殺人事件という凶悪な犯罪に走ってしまったのでしょうか。その背景を知るために、ここではまず池永チャールストーマスのプロフィールを確認しておきましょう。

池永チャールストーマスが三鷹ストーカー殺人事件を起こした背景として、裁判では彼が幼少期から過酷な生育環境にあったことにスポットライトが当てられました。両親とも、池永チャールストーマスが赤ちゃんの頃から育児放棄のみならず虐待をし、まともに愛情をかけられたことはありませんでした。

4歳の頃には両親が離婚し、母親が恋人を自宅に連れ込む形で同棲生活がスタートしますが、この恋人も池永チャールストーマスにひどい虐待を行ったというのです。

食べ物もろくに与えられず、体をライダーの火であぶられたり水風呂に沈められたりと、その虐待は想像を絶するものだったと言います。

石井氏は「まるで映画のような残虐な虐待を受け続けていた。かいつまんで言えば火あぶりだとか、頭から水漬けだとか。中学生のときはお母さんが家に帰ってこないので、ずっと水も電気も止まった部屋の中に一人で暮らしていた。ご飯は近くのコンビニに行って店長に分けてもらっていた」と池永被告の過去の暮らしを語った。石井氏によると「虐待を受けた人というのは、愛された経験などが一切ない。だから逆に言うと『愛してるよ』などと言われても信じることができない」という。

「今回はこれがストーカー事件という形になったが、あと10年20年30年先に、あるいは10年前に彼が持っていた爆弾が違う形で爆発することもある。だからストーカー事件として捉えるよりも、彼が持っている環境などもっと大きな目線で見ていかないとなかなか問題は解決には繋がらないと思う」(石井氏)

出典: https://abematimes.com/posts/1926573 |

世間ではその生い立ちに同情の声も…

世間ではその生い立ちに同情の声も…

池永チャールストーマスの母親は、彼が思春期の時には暴力団員と交際していたことも裁判の中で明らかになっています。この暴力団員の男は池永チャールストーマスのみならず母親に対してもDVを行い、その暴力から逃げるために母子は何度も引っ越しを余儀なくされています。

このような池永チャールストーマスの過酷な生い立ちが明らかになるにつれて、世間では同情の声もちらほらと聞かれました。

愛情を知らずに育てられたからこそ、人の愛し方がわからないまま成長し、被害者の鈴木さんとも上手く関係が構築できなかったのでしょう。

ですが、池永チャールストーマスの生い立ちが同情すべきものだったとしても、だからと言って何の罪も落ち度もない鈴木さんを殺してよい理由はどこにもありません。池永チャールストーマスの生育歴は確かにかわいそうだけれど、彼がしたことは絶対に許せないという声も同時に多く聞かれます。


池永チャールストーマスは特殊性癖の持ち主?

三鷹ストーカー殺人事件をめぐる一連の報道で注目されたのは、池永チャールストーマスの性癖です。

池永チャールストーマスの高校時代の同級生たちは、口を揃えて彼が「変なやつだった」と証言しています。萌え系アニメにのめりこみ、アニメキャラの女の子に夢中になっていたそうです。

ですが、これだけならばただのオタクで、特殊性辟とは言えません。「オタク=性犯罪者」というメディアの印象操作とも言えます。彼の歪んだ性癖はアニメ好きよりもむしろ、交際相手との性行為を撮影するという、いわゆる「ハメ撮り」に見て取れます。

池永チャールストーマスはなんと、被害者と交際中に頻繁にハメ撮りを強要していたのです。性的な興奮や関心とういよりもむしろ、被害者のことを性的に支配したいといういびつな欲求を抱いていたのでしょう。

このハメ撮りは、後述する池永チャールストーマスによるリベンジポルノの「手段」となってしまうのです。

被害者と加害者との関係性とは?

三鷹ストーカー殺人事件の被害者である鈴木さんと、犯人の池永チャールストーマスはどのような関係性にあったのでしょうか。

東京在住の女子高校生の鈴木さんと、かたや関西でトラック運転手をするフリーターの池永チャールストーマスとでは、一見全く接点がないように思えます。

ここからは、気になる二人の関係性について詳しく見ていきましょう。

二人は元恋人だった!意外な出会いのきっかけとは?

犯人の池永チャールストーマスと被害者の鈴木さんは、もともとは恋人同士でした。二人が出会ったのは、フェイスブックがきっかけだったと言います。

三鷹ストーカー殺人事件が起こる約2年前の2011年10月に、二人はフェイスブックを通じてコンタクトを取るようになり、その2か月後には交際をスタートさせます。

鈴木さんは東京に、池永チャールストーマスは関西に住んでいたため、遠距離恋愛をしながら、たまに大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどでデートをして、関係を深めていきました。

池永チャールストーマスのとんでもない嘘とは?

フェイスブックで知り合い、交際に至った二人ですが、実は池永チャールストーマスは鈴木さんに対してとんでもない嘘をついていたのです。

その嘘とは、自分は立命館大学に通う大学生であるということ。立命館というと、関西有数の名門大学です。また、本当はフィリピンとのハーフなのに、南米のハーフだという嘘まで重ねていました。

自分の生い立ちやフリーターとしての現状に恥ずかしさや不満を感じていたからこそ、自分をよりよく見せるために、こんな嘘をついたのでしょう。

鈴木さんはその嘘に騙され、身元のしっかりとした素敵な男性と思って、池永チャールストーマスとの交際をスタートさせたのです。

池永と被害者女性Sさんとの出会いは、2011年7月、フェイスブック上でだった。

池永は高校卒業後にフリーターとして京都で暮らしていたが、フェイスブックでは立命館大学の大学生だと偽り、「ハーフで英語が堪能」だと誇示していた。高校1年だったSさんはそれを鵜呑みにしてメッセージの交換を開始。その年のクリスマスに、池永が東京に会いに行き、交際がはじまった。

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287 |

被害者に過剰な依存も

被害者に過剰な依存も

池永はSさんに愛情を抱いたきっかけを次のように語る。
「彼女に私の恵まれない家庭のことを話したことがありました。そしたら、家族が愛してくれないなら、私が(あなたに)欠けている愛情を満たしてあげると言われたのでございます」

池永は幼い頃から親の愛情を知らずに育ってきた。Sさんは、それを代わりに担ってくれる存在だったのだろう。

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287 |
2011年12月頃から付き合い始めた二人ですが、その交際は必ずしも順調なものではありませんでした。

彼女からの愛情を試すように浮気をしたり、裸の写真を送るよう強要し、鈴木さんを精神的に追い詰めていったのです。池永チャールストーマスからの過剰な束縛や嫉妬に嫌気がさした鈴木さんは、交際から約1年後に別れを切り出し、彼から逃げるようにして短期留学でカナダに渡ります。

池永チャールストーマスは別れを受け入れようとはせず、鈴木さんが恐怖を感じるほど異様な方法で復縁を求め、彼女が再度別れ話をしようと自宅までやってきた際に、レイプまでしているのです。

自分に自信がないために彼女の愛を信じられず、彼女をわざと傷つけ悲しませることで、どこまで自分を許してくれるのか試していたのでしょう。

アメリカ滞在中、池永はSさんの別れを惜しむ気持ちにつけ込み、裸の写真を何枚も送らせる一方で、彼女に冷たく当たった。

現地で知り合った女性と交際し、スカイプでSさんにそのことを話したり、パソコンを通して彼女に挨拶をさせたりしたのだ。たった3カ月で帰国したにもかかわらず「一時帰国」と偽ってSさんと会い、「別れよう」と切り出したこともあった。

この池永の言動は、幼児が母親の愛情を確かめるために悪戯をするのと同じ「愛情のためし行動」だったのだろう。Sさんの気持ちはそれらの行為によって冷めていく。

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287?page=2 |

池永チャールストーマスによるリベンジポルノとは?

池永チャールストーマスによるリベンジポルノとは?
三鷹ストーカー殺人事件が世間を賑わせたのは、その残虐さだけでなく、池永チャールストーマスが行った「リベンジポルノ」にも原因がありました。

ここからは、池永チャールストーマスが行った卑劣なリベンジポルノの概要について見ていきましょう。

リベンジポルノとは?

リベンジポルノとは、別れた相手に対する腹いせや復讐として、交際中に撮影した相手の性的な写真や動画をネットなどに拡散する行為を意味する言葉です。

一度ネットに流布してしまうとどんどん拡散され、永遠に消し去ることができないと言われています。リベンジポルノは、最も知られたくない性的でプライベートなものを、全世界に永遠にさらされてしまうということなので、最も卑劣で恥ずべき行為と言っても過言ではありません。

池永チャールストーマスは、鈴木さんへの歪んだ愛情と復讐心から、わざと世間に知らしめる形でリベンジポルノを行い、彼女を幾重にも傷つけていったのです。

リベンジポルノ①アダルト動画サイトへの投稿

リベンジポルノ①アダルト動画サイトへの投稿
2012年秋ごろに鈴木さんに別れを告げられ、ストーカーと化した池永チャールストーマスは、彼女への執拗な嫌がらせを行っていきます。

三鷹ストーカー殺人事件を起こす約1週間前の2013年10月には、交際中に得た鈴木さんの性的な写真や動画をアダルト動画サイトのXvideosに投稿し、世界中の人の目に触れる形でさらしたのです。

鈴木さんはその事実を知り、大きなショックを受けたものの、親をこれ以上悲しませまいと無理をして、明るく前向きに振る舞ったそうです。

Sさんの父親は、娘のポルノ画像が流出されたのを知った時、女優の夢が絶たれたばかりか、もう娘は日本で普通に暮らすことはできない、と思ったという。Sさんはそんな父親を心配させまいとしたのか、こう言った。

「もうこれ以上のことはしないだろうから、せいせいした」

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287?page=2 |

リベンジポルノ②2chでの情報拡散

Xvideosを通じてリベンジポルノを行った池永チャールストーマスは、それだけでは十分に動画が閲覧されず彼女への復讐として足らないと考えたのか、事件の3日前から「2ちゃんねる」の複数のスレッド上で、その情報を拡散します。

また事件当日、彼女を刺した直後から警察に身柄を確保されて逮捕されるまで、この卑劣な投稿を続けています。ただ情報を拡散するだけでは飽き足らず、鈴木さんへの一方的な恨みも書きつのってもいました。

女子高校生が三鷹で刺されたという速報がニュースで流れたことによって、2ちゃんねるの閲覧者たちは、池永チャールストーマスの書き込みから、彼が拡散した動画や写真が鈴木さんのものだと気づき、さらに拡散させていきます。

池永チャールストーマスは、2ちゃんねるの閲覧者が面白おかしく情報を拡散し、自分のリベンジポルノに加担することを予想していたのでしょう。

事件以前にもリベンジポルノを…

事件以前にもリベンジポルノを…
池永チャールストーマスの卑劣なリベンジポルノの被害者になったのは、鈴木さんだけではありませんでした。

後の報道で明らかになったことですが、実は鈴木さんと交際する以前に関係のあった女性に対しても、池永チャールストーマスはリベンジポルノをしていたことが明らかになっています。

付き合った女性の性的な写真や動画を自分の手元に確保しておき、女性が自分から離れていくと、それを防ぐための「切り札」としてリベンジポルノを匂わせる。その恐怖心によって女性を支配し、自分のもとに引き留めておこうとしたのでしょう。

池永チャールストーマスは、鈴木さんに対してだけでなく他の女性たちにも対しても同様に、リベンジポルノを通じて歪な関係を維持しようとしていたことがうかがえます。

池永は沙彩さん以外の女性にも「卑劣な腹いせ行為」をしていたというのである。被害者は兵庫県在住のB子さん(24)。B子さん本人とその家族から事情を聞いた人物がこう打ち明けている。<「一昨年の秋頃、出会い系のチャットで知り合ったのが池永でした。ハーフで英語が得意だといい、モデルのようなイケけてる写真を送ってきたそうです。会うようになって何度か体を重ねたが、行為中に携帯で動画を撮られた自覚があったとのことでした。」>

しばらくして、 B子さんのもとに池永から『恨みのメール』が送られてきた。<「そこにはURLが貼られていて、リンク先に以前撮られた動画がアップされていた。女性は友人男性に相談し、池永に削除するようかなり強い口調で電話をしてもらった。池永はその際はあっさり謝罪して引き下がっている。今回の事件後、B子さんの家族に警視庁から電話があり、事情を聞かれたそうです」>

出典: https://www.j-cast.com/tv/2013/10/17186491.html?p=all |

リベンジポルノの動機とは?

リベンジポルノの動機とは?
池永チャールストーマスは、なぜ卑劣にもリベンジポルノを行ったのでしょうか。裁判で彼は、鈴木さんの性的な動画や写真を公開することで、自分と彼女が本当に付き合っていたことを誇示したかったと述べています。

リベンジポルノを通じて、被害者を死後も性的に支配し続けたいという歪んだ欲望の表れだったのかもしれません。

また、物理的に被害者の命を奪うだけではなく、最もプライベートで人に知られたくない性的なものをさらすことで、死後も被害者の名誉を貶めたかったのでしょう。

池永被告は、被害者のわいせつな写真をインターネットに投稿した理由について「普通の写真では、交際した事実はないと反論されると思い、親密な関係であるという証拠になる裸の写真であれば、その余地を消すことができると思った」と述べていた。

出典: https://abematimes.com/posts/1926573 |

三鷹の事件がリベンジポルノ議論のきっかけに…

三鷹ストーカー殺人事件に関する報道では、池永チャールストーマスの卑劣極まりないリベンジポルノの実態についても詳細かつ頻繁に報じられました。

それによって「リベンジポルノ」という言葉やその卑劣さが世間に浸透し、リベンジポルノに関する社会的な議論が活発に行われるようになったのです。

事件当時、まだリベンジポルノそのものを罰したり規制する法律はありませんでした。皮肉にも、三鷹ストーカー殺人事件がきっかけとなって、リベンジポルノが社会問題として認識されるきっかけになったと言えるでしょう。

リベンジポルノ被害防止法が成立!

三鷹ストーカー殺人事件によってリベンジポルノ問題が深刻に捉えられ、国会でもリベンジポルノを規制する法案について審議されるようになりました。

そして事件から約1年後の2014年11月に、「私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律」、通称「リベンジポルノ被害防止法」が成立したのです。

そして、リベンジポルノを行うと「3年以下の懲役又は50万円以下の罰金」という罰則が定められました。

それまではリベンジポルノは刑事ではなく民事としてしか扱えなかったのですが、この法律によって初めてリベンジポルノは犯罪であるということが定義されたのです。

元交際相手の性的な画像などをネット上に流出させる「リベンジポルノ」に罰則を設ける「私事性的画像記録の提供被害防止法」が11月19日、参院本会議で可決・成立した。

撮影対象者を特定することができる方法で、「私事性的画像記録(物)」を不特定多数に公開した場合に3年以下の懲役または50万円以下の罰金とする刑事罰を盛り込む内容。被害者が告訴などを行いやすくする支援体制の充実なども定めている。

元交際相手への嫌がらせを目的に、インターネット上に性的な画像を公開する例が相次いだのを受け、議員立法で提案されていた。

出典: https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1411/19/news104.html |

三鷹ストーカー殺人事件前の警察の対応とは?

三鷹ストーカー殺人事件前の警察の対応とは?
ストーカー殺人事件が起こるたびにメディアで指摘されるのが、警察の初動対応のまずさです。桶狭間ストーカー殺人事件や逗子ストーカー殺人事件のように、被害者が何度も警察に被害を相談をしていながらも、警察が適切に対応せずに殺人事件まで発展してしまったというケースも少なくありません。

では、三鷹ストーカー殺人事件の場合はどうだったのでしょうか。

被害者は事件前に警察に相談していた

被害者は事件前に警察に相談していた
実は、三鷹ストーカー殺人事件の場合も、被害者は事前に警察に相談をしていました。事件が起こる4日前に、被害者の鈴木さんは池永チャールストーマスが自宅周辺まで来ていることを知り、強い危機感を抱きます。

そして事件当日の2013年10月8日の午前には、両親と一緒に三鷹警察署に行き、ストーカーの相談をしているのです。

そしてその数時間後、鈴木さんは自宅に侵入した池永チャールストーマスによって襲われ、尊い命を落としてしまいます。

2013年初頭、Sさんは告げる。「私、気になる男性ができたの」池永は激しく動揺し、Sさんを思い留まらせるために、ポルノ画像をつかって恐喝をはじめた。バラまかれたくなければ自分と会え、と。話し合えばやり直せると考えていたのである。

3月、Sさんはクッキーを持って大阪の池永のアパートを訪れた。だが、池永は彼女のよそよそしい態度に不安になり、映像を削除するふりだけして、Sさんに手錠をはめてレイプをする。

この一件後、Sさんは二度と会わないと池永に告げた。池永はフラれた怒りから、SNSを通してSさんの動向を調べ、新たな恋人ができたことを知って殺意を抱くようになる。

Sさんはその後も池永から脅しを受けつづけたことで、6月には両親に相談。両親は電話で池永に近づかぬよう告げた上で、警察に通報。登下校も同行するなどしていた。

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287?page=2 |

警察の対応とは?

警察の対応とは?

警察は池永チャールストーマスに警告をするために彼に電話をかけましたが、通じず、それ以外に具体的な対策を取ることはありませんでした。

ストーカー対策の第一人者である小早川明子氏は、その著書『「ストーカー」は何を考えているか』の中で、被害者に差し迫った危険があることを十分に予見できたのだから、警察は彼女の身柄を保護するなど、もっと積極的な処置を講ずるべきだったと、その対応のまずさを指摘しています。

SNS上でも、「警察がもっとちゃんと対応していれば鈴木さんの命を救えたのではないか」と指摘する声が多く聞かれます。


事件の社会的影響とは?

被害者の鈴木さんは、警察にストーカー相談をしたその日にストーカーの犠牲になってしまいました。警察は、尊い命を救うことができなかったのです。

三鷹ストーカー殺人事件を防ぐことのできなかった反省から、警視庁ではストーカー問題に特化した専門部署である「ストーカー・DV総合対策本部」を設置しました。

各警察署へのストーカー相談は全て対策本部に報告され、ストーカー専門の警察官がその危険性を判断し、的確な対処法を各警察署に指示します。

また、三鷹ストーカー殺人事件のようなことが起きないように、危険性が明白でなくとも、被害者の身柄保護をするようになったのです。

ストーカー被害の情報を共有し、加害者の摘発や被害者保護などの対応を迅速に進めるため、新たに総合対策本部を設置すると発表した。

警視庁によると、新組織は「ストーカー・DV総合対策本部」。生活安全部のストーカー対策室に刑事部の捜査員らを加え、人員を80人規模に倍増させる。

三鷹市の事件では、被害者が初めて警察署に相談した日に殺害された。このため警視庁は、警察署に相談があった時点で、危険性や切迫性を的確に見極めることが不可欠と判断。対策本部と警察署で情報を共有し、被害者保護や摘発を迅速に進める。警備事業者やNPO法人との連携も強化し、保護施設の整備などを急ぐ。

三鷹市の事件について警視庁幹部は「切迫感を把握できなかったことが事件につながった可能性が高い。今後は迅速な対応で被害を食い止めたい」と話している。

出典: https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0604F_W3A201C1CC1000/ |

三鷹ストーカー事件の裁判とその判決

三鷹ストーカー事件の裁判とその判決
池永チャールストーマスは事件後数時間で警察に身柄を確保され、逮捕されます。そして2013年10月29日には殺人罪や住居侵入罪などの罪で起訴され、翌年7月から裁判員裁判が行われることになりました。

ここからは、気になる裁判の過程やその判決について見ていきましょう。

何を語った?池永チャールストーマスの供述

池永被告は「被害者は私の苦痛源でありました。殺せば(苦痛が)断ち切れると思いました」「もし時間を取り戻すことが出来ても被害者を殺すと思います」とも話している。石井氏によると、虐待されて育った被告の心境は「誰一人として自分を信用してくれた人がいない、心を開いた相手がいないという状態で育った。その中で、虐待の過去も含めて告白した相手というのが被害者の女性だった。だから、その女性が自分の全てを受け入れてくれるという気持ちだった」という。

出典: https://abematimes.com/posts/1926573 |
池永チャールストーマスは裁判の中で、自分が愛を知らずに育ったこと、虐待を受けて育ってきた自分にとっては、被害者の鈴木さんが唯一心を許せる存在だったと述べています。

そして、そんな彼女を失うことが耐えられず、別れ話を受け入れずにストーカー行為へと走ったのだと言うのです。

また、リベンジポルノの動機については、彼女への復讐心というよりも二人の親密な関係を世間に知らしめたかったと主張しています。

被害者家族の悲痛な訴えも…

被害者家族の悲痛な訴えも…

法廷での母親の言葉だ。「娘(Sさん)は刺殺後も写真を流され、今なお尊厳が傷つけられています。娘ではない写真まで、ネットで娘だと言われています。被告(池永)は(娘を)2回殺し、親も殺し、今も(私たちは)苦しみつづけているのです」

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287?page=3 |
法廷では、被害者の家族が意見陳述を行い、池永チャールストーマスに重い量刑を課すように求めています。

鈴木さんの両親は、愛する娘を殺されただけでなく、娘の名誉をリベンジポルノという卑劣な行為によって乏しめられ続けているのです。

池永チャールストーマスは、娘と自分たち家族を「2回殺した」という表現からは、ご遺族の想像を絶するほどの強い悲しみと怒りが痛いほど伝わってくることでしょう。

遺族である女子高生の両親は裁判でこう語った。

「(夫婦は)2人とも精神科に通っています。しかし、今は裁判を闘うために治療を延期しています。怒りを抑えないためです」

両親は加害者への怒りを持って裁判に臨むため、精神科での治療さえ延ばしている。にもかかわらず、裁判は3年以上過ぎた今なお、二審での審議に留まっており、インターネット上には被害者のポルノ画像が大量に残されている。

出典: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50287 |

気になる判決とは…

裁判は事件から約2年半たった2016年3月16日に終結します。池永チャールストーマスに下された判決は懲役22年でした。

殺人だけでなくリベンジポルノの罪も加味されたのに、反省の言葉を述べていること、まだ若く更生の余地があることを理由に、たったの22年になったのです。

ご遺族からすると、大切な娘を殺し、死後もリベンジポルノで苦しめ続けているのに、「たった22年で刑務所から出られるのか」と到底納得できないことでしょう。

判決は2017年7月に確定し、池永チャールストーマスは現在、刑務所で刑に服しています。

東京都三鷹市で2013年、元交際相手の女子高校生(当時18歳)を殺害したとして殺人罪などに問われ、差し戻し審の東京高裁が懲役22年とした無職、池永チャールストーマス被告(24)について、検察、被告側はともに上告せず、8日に判決が確定した。

出典: https://mainichi.jp/articles/20170209/k00/00m/040/087000c |

軽すぎる!判決に対する世間の声

軽すぎる!判決に対する世間の声

何の落ち度もない鈴木さんを執拗に苦しめ、その命を奪ったにもかかわらず、懲役がたったの22年であることに対し、世間では「軽すぎる」と怒りの声が上がっています。

ご遺族が法廷で語ったように、池永チャールストーマスはリベンジポルノによって鈴木さんを社会的にも殺したのです。

リベンジポルノの卑劣さがもっと深刻に受け止められ、量刑に加味されるべきだったとの声も多く聞かれます。


三鷹ストーカー殺人事件を風化させてはいけない

三鷹ストーカー殺人事件を風化させてはいけない
今回は、2013年に起こった三鷹ストーカー殺人事件について特集してきました。

三鷹ストーカー殺人事件では、美しく才能あふれる女子高校生の尊い命が無残にも奪われ、死後もリベンジポルノによってその名誉が踏みにじられ続けています。被害者やご遺族の気持ちを思うと、言葉もありません。

また、警察に相談をしていたにも関わらず、事件を未然に防ぐことはできませんでした。警察の対応次第では、防ぐことが可能だったのです。

二度とこのような悲しい事件が起きないように、三鷹ストーカー殺人事件の記憶を風化させてはいけないのです。この事件の教訓が、今後のストーカー対策に活かされることを願ってやみません。

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