土浦連続殺傷事件とは?
死刑を望んでいたと証言している金川真大は、本人の望み通り2013年2月21日に死刑が執行され、もうこの世にはいませんが起こした悲劇は消えることはありません。この記事ではそんな土浦連続殺傷事件や金川真大について、情報をまとめていきます。
犯人の金川真大の父親や母親について
金川真大の家族構成について
金川真大の父親について
しかし金川真大死刑囚が成長するにつれ、期待と現実のギャップに悩むようになり、結果を残せなかった金川真大死刑囚は最終的に見捨てられました。
その悩みの中で徐々に仕事が多忙を極めるようになり、金川真大死刑囚が小学生に進んだ頃には育児は母親に任せきりとなっていき、徐々に家庭に非協力的に。その接し方は土浦連続殺傷事件直前でも変わっていませんでした。
金川真大の母親について
幼少時から対人関係を苦手としていた金川真大死刑囚ですが、この母親の育成方針が功を奏し人間的にも成長していくこととなります。
しかし後に妹や弟も不登校となり、金川真大死刑囚も人間的な問題は徐々に露呈。土浦連続殺傷事件直前は子育てに迷う日々が続いていたと言われています。
金川真大の生い立ちや経歴は?
金川真大の幼少期について
その要領の悪さは小学生の時の金川真大死刑囚に対する学習評価である「真面目に取り組むが、限られた時間内での学習が苦手」という評価に現れていますね。
中学時代の情報は非常少なく、おとなしく控えめで反抗期はなかったと言われています。
金川真大の高校時代について

真面目ではあるが頑固で人付き合いが悪かった?
また、人付き合いは当時も非常に悪かったと言われています。
金川真大の人生観を確定させた書籍とは?
「世の中がきみに与えることができるいちばん重い罰は死刑だね?死刑以上の重罰はないだろ?ということはつまり、世の中は、死ぬつもりならなにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。認めざるをえないのさ」
この文言を金川真大死刑囚は自分の都合よく解釈し、死ぬつもりなら何をしてもいいと捉えるようになりました。
金川真大は徐々に歪んでいく
高校2年生の時に金川真大死刑囚は修学旅行で沖縄に訪れていますが、その時の感想文で人間に対する憎悪をむき出しにした内容で、担任から再提出を命じられるような内容を担任に提出しており、前途の哲学書の影響が大きかったと言われています。
この年の沖縄での修学旅行の感想文では(戦争に限らず)人類への敵意をむき出しにした内容であったため、担任からは書き直しを命じられるが、書き直しの文章でも中傷は半分までしか減らなかった。Kは担任に注意された時、「心のままに書いただけ」と答えた。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3... |
土浦連続殺傷事件の本を読んだのですが。犯人が自分を、王様を騙す仕立て屋だと評価したのに対し、著者は『君は裸の王様だよ』と看破する。妙な自己評価の高さを持ってしまうのは何でだろう。
— カイト(左党靖) (@ryuryu444) 2018年11月12日
『仕立て屋であり、堂々と王様は裸だと指摘する子供』でもあるという、恐ろしく高い評価をしていた親だった
金川真大の高校卒業後について

卒業後はフリーターに
また、この頃から家族とのコミュニケーションも会話がほぼなくなり、会話は筆談で行うようになったと言われています。
確実に死ぬために、人を殺した。
— holy job (@holy_job) 2014年5月5日
極刑になるために人を殺した金川 真大。
死刑がなかったら人を殺したりはしなかったということか。なぜ、こんな恐ろしい事考えるようになったのか。家族の会話は筆談だったそう。イビツな家族。だからといって言い訳にもならないけれど、何か原因があったと思いたい
土浦連続殺傷事件の事件当時の経緯
土浦連続殺傷事件の被害者は金川真大死刑囚とは全く面識がない方々ばかりで、たまたまターゲットして選定された人や通りすがりの人々ばかりでした。
「死刑を望んでいた」と公言していた金川真大死刑囚について、明らかになっている事件の足取りを追ってみましょう。
金川真大の動機は?
つまり動機は誰かを恨んでいたわけでもなく、自分が死にたいがために土浦連続殺傷事件を起こしたと言えます。
通り魔系死刑囚は死刑になりたくてやる人多いよね。
— 激辛ポテチ (@momuri5) 2018年7月7日
その場合執行は死刑囚の希望を叶えただけになり罪を償わせたとは言えないかも。
宅間守とか金川真大は早期執行を望んでたしね
金川真大の3月19日の動き

金川真大は小学校襲撃を計画していた
金川真大はターゲットを老人へ

住宅街のうちの一軒のチャイムを押し「空気入れを借りたい」と要請。その要請を快く引き受けた三浦芳一さんが背を向けた瞬間に、首筋に包丁を突き刺しそのまま逃亡しました。
最初の殺人が起きた3月19日から3月23日までは金川真大死刑囚はしばらくビジネスホテルに潜伏することになります。
金川真大の3月23日の動きは?
3月19日に殺人を犯し、数々の証拠から既に警察から指名手配をされて、残された時間が短いことを察した金川真大死刑囚が、自分が「死刑になりたい」がために大量殺人を行うこととなりました。
荒川沖駅での金川真大の犯行について
潜伏先から移動し、同日11時に同駅で下車した金川真大死刑囚は西口から東口にかけて、無差別に通行人の首をナイフで次々と襲い、無差別に犯行を重ねていきました。この時の被害者は最終的に7人が重傷で1人が死亡という結果に終わりました。
最終的に金川真大死刑囚は荒川沖地区交番へ駆け込み、不在だった交番から自ら電話をかけ自ら犯人であると自首をしています。
猫の住処と化している廃墟2年ぐらいなにも店入らないのが飛び降り自殺2件と自殺未遂が数件起きているからというのを最近知った
— よし[SS]おじ (@slot_poisoning_) 2016年12月19日
土浦連続殺傷事件といい荒川沖駅呪われているのでは…
事件当時の警察の危機意識の低さが話題に

この2点から未然に防ぐこともできたのではないかと、当時はかなりマスコミから叩かれています。
茨城県警のずさんな対応とは?
・荒川沖駅の捜査員は、重点的に配置したはずだったが、互いに連絡を取り合う手段が用意されていなかった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3... |
・同駅で警戒していた捜査員は、犯人の写真を持っていなかった。
・駅側に対し、警戒に当たっていることを、まったく連絡していなかった。
・被害者の中には、管轄である土浦警察署の29歳の巡査も含まれていた。
・犯行後、Kが自首した交番は空き交番だった。K自らの通報で駆けつけた警察官がようやくKを現行犯逮捕した。
警察の大黒星だった土浦連続殺傷事件なんて、判ってて警戒してて、それでも防げなかった訳で。いくら日本警察が度し難いほどに無能といっても、事前に警戒しててすら、自暴自棄で自らの保身を考えない類の犯罪、というのは防ぐのが難しい。
— 24-589 表現の自由戦士@公共の敵 (@24_589) 2014年7月15日
土浦連続殺傷事件の裁判の行方

精神鑑定では「自己愛性人格障害」と診断され、金川真大死刑囚の刑事責任は証明されています。
金川真大は秋葉原通り魔事件を参考にした?
金川真大は早く死刑になりたがっていた
金川真大の死刑が確定へ
2009年12月18日に判決公判が開かれ、水戸地裁は検察側の求刑通り被告人Kに死刑判決を言い渡した。判決理由の趣旨は以下。
・「人を殺すのは悪ではない」という信念は被告人が主体的に構築したものであり、責任能力の判断に影響しない。
・「生きがいがない」のは被告人の自尊心のせいで人間関係が築けなかったためであり、生きがいを見つける機会を自ら放棄したといえる。
・被告人と同じ家庭環境にある妹や弟はそれぞれの生きがいを見出しており、原因は家庭ではなく被告人本人にある。
・高校卒業後の自堕落な生活からすれば生きがいを見出せないのは自業自得である。
本件においては、犯行動機が非常に特殊であるが、その動機は刑を荷重する要因であり、軽減する要因ではない。また、被告人は死刑に関する法制度や実態に明るくない。絞首刑は苦痛を伴わない刑死手法とは言えず、慣例的に早期執行はありえない。
・被告人の信念は子供向けの哲学書からの引き写しであり、文字面しか読めない被告人に更生の余地があるとは考えられない。最後に裁判長は、「人の気持ちを理解するのは基本的なことなのに、なぜあなたは他人のことを考える余裕がないのか。よく考えてほしい」と語った[23]。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3... |
結果として金川真大死刑囚は一番望んでいたものを手に入れる結果となりました。
2013年に死刑執行された土浦連続殺傷事件の加害者は、ちょっとしたいわくつきというか、今でも思い返すと鳥肌モノ。゚:(´◦ω◦`):ブルブルブル
— ビビ@Crazy(山本太郎を総理大臣に) (@amyurnt) 2017年9月26日
土浦連続殺傷事件のその後は?

金川真大の判決後の動きとは?
独房に収監されていますが両隣は空室で、私物の持ち込みも暴れる恐れから最大限の制限かつ、運動や入浴も周囲との軋轢を警戒し最後に回されるなど問題児扱いとなっていたようです。
最終的に信頼が置ける刑務官が担当となったことから、少しずつ金川真大死刑囚の反抗は収まる形になりました。
金川真大の独房での生活は?
「浅はかだったと思わないのか」「被害者に対してどう思うのか」と金川を問い詰めて、反省の言葉を引き出そうと試み、学生時代の友人を連れて行った面会では、金川が涙目になったことから、その人間性が取り戻せるのではないかと期待した。だが、小林らがどんなに理解しようと近づいたところで、金川の心が揺れ動くことはなかった。教誨師も付けず、再審請求をすることもない。それどころか、金川は「なんで殺さない?」「6カ月以内に(刑を)執行しないのは法律違反だ」と、法務大臣に手紙を送り続けていたのだった。
出典: https://news.infoseek.co.jp/article/cyzo_20140629_551571/ |
金川真大死刑囚は最後まで自らの死刑執行を望み、時には死刑執行を早める嘆願の投書なども行っていたそうです。最終的に事件を起こした2008年から5年後となった2013年に死刑執行により金川真大死刑囚は29歳でその生を終えることとなりました。
土浦連続殺傷事件が残した傷跡と今

女子大生殺人事件の廣瀬晃一容疑者と土浦連続殺傷事件の金川真大死刑囚は中学の同級生。
— さとう。 (@satooo1919) 2019年2月13日
ただ、この痛ましい事件を思い起こさせるきっかけとなり、また事件が風化をしていないことが伺えます。
最後に、この土浦連続殺傷事件で犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、このようなことが繰り返されないように住みやすく、生きやすい世の中になればいいですね。