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【土浦連続殺傷事件とは?】犯人・金川死刑囚の人物像|通り魔事件の詳細
2019年03月24日

【土浦連続殺傷事件とは?】犯人・金川死刑囚の人物像|通り魔事件の詳細

秋葉原通り魔事件の影響で通り魔事件が多かったとされる2008年。その類似反の中でも特に有名なのがこの土浦連続殺傷事件となります。犯行の動機から手口、はたまた犯人である金川真大死刑囚の家庭環境や警察の対応まですべてが大きく話題となった事件をまとめていきます。

土浦連続殺傷事件とは?

土浦連続殺傷事件は2008年(平成20年)に起きた通り魔事件です。同年の3月19日と3月23日に、茨城県土浦市で犯人である金川真大が持っていた刃物で通りすがりの通行人を次々と刺し、2人が死亡し7人が重症を負った平成史に残る「死刑のための殺人」とされた陰惨な事件です。

死刑を望んでいたと証言している金川真大は、本人の望み通り2013年2月21日に死刑が執行され、もうこの世にはいませんが起こした悲劇は消えることはありません。この記事ではそんな土浦連続殺傷事件や金川真大について、情報をまとめていきます。

犯人の金川真大の父親や母親について

土浦連続殺傷事件については、金川真大死刑囚の生い立ちや生活環境が大きく影響しています。この無差別連続殺人事件についての詳細をの前にまずはこの金川真大死刑囚のご両親についての情報を提供していきます。

金川真大の家族構成について

金川真大死刑囚は1983年の10月13日生まれ。ご家族はノンキャリアの外務官僚である父と、パート勤務の母親。更には妹2人と弟1人の環境で、当時としても兄弟姉妹が多い環境に当たります。金川真大死刑囚はこの中の長男となりますね。

金川真大の父親について

父親は幼少期はかなり金川真大死刑囚を可愛がっていました。土日の休みは必ず子供と触れ合う時間を取るほどに、子供に対して熱心だったと言われています。ただその反面、しつけに関しては非常に厳しく「頭の良さを追求」。

しかし金川真大死刑囚が成長するにつれ、期待と現実のギャップに悩むようになり、結果を残せなかった金川真大死刑囚は最終的に見捨てられました

その悩みの中で徐々に仕事が多忙を極めるようになり、金川真大死刑囚が小学生に進んだ頃には育児は母親に任せきりとなっていき、徐々に家庭に非協力的に。その接し方は土浦連続殺傷事件直前でも変わっていませんでした。

金川真大の母親について

父親は勉強や頭の良さを金川真大死刑囚に追求しましたが、母親は父親とは異なり、金川真大死刑囚に対し人間力を重視した子育てをしていました。

幼少時から対人関係を苦手としていた金川真大死刑囚ですが、この母親の育成方針が功を奏し人間的にも成長していくこととなります。

しかし後に妹や弟も不登校となり、金川真大死刑囚も人間的な問題は徐々に露呈。土浦連続殺傷事件直前は子育てに迷う日々が続いていたと言われています。

金川真大の生い立ちや経歴は?

次に金川真大死刑囚が歪み、土浦連続殺傷事件までの生い立ちについて詰めていきます。複雑な家庭環境と思春期であったとは言われていますが、一体、土浦連続殺傷事件を決行するに至るまで、どのような経緯があったのでしょうか?

金川真大の幼少期について

幼少期は外務官僚である父親の影響下、海外を転々と。上海やニューオリンズを経由し、小学校時代に横浜市内に落ち着きます。父親の項で触れましたとおりに、この頃から父親の期待通りとは行かずに、少し要領の悪さを見せていました。

その要領の悪さは小学生の時の金川真大死刑囚に対する学習評価である「真面目に取り組むが、限られた時間内での学習が苦手」という評価に現れていますね。

中学時代の情報は非常少なく、おとなしく控えめで反抗期はなかったと言われています。

金川真大の高校時代について

金川真大の高校時代について
要領は悪いものの反抗期もなく、真面目と言われた中学時代が終わり、金川真大死刑囚は近所の私立高校に入学し、弓道部へと入部します。この時も真面目さが功を奏したのか、地道な練習が実を結び弓道部のNo.2と呼ばれる存在まで成長。高校2年生時代にはなんと全国大会に出場するなど、輝かしい青春を送っているように思えました。

真面目ではあるが頑固で人付き合いが悪かった?

高校時代の友人は彼のことを「優等生で人の悪口を言わないし、先輩から可愛がられていた」と真面目さを評価する一方で「弓を持つ型を注意すると聞く耳を持たなかった」とも言っており、マイペースで頑固な部分もあったと金川真大容疑者を評しています。

また、人付き合いは当時も非常に悪かったと言われています。

金川真大の人生観を確定させた書籍とは?

高校生の頃に金川真大容疑者は父親から、哲学者である永井均氏が著作の「子どものための哲学対話」を買い与えられます。この著書には以下のように死生観を語る文言があります。

「世の中がきみに与えることができるいちばん重い罰は死刑だね?死刑以上の重罰はないだろ?ということはつまり、世の中は、死ぬつもりならなにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。認めざるをえないのさ」

この文言を金川真大死刑囚は自分の都合よく解釈し、死ぬつもりなら何をしてもいいと捉えるようになりました。

金川真大は徐々に歪んでいく

この本を読んでからは金川真大死刑囚は徐々にオカルト分野や超常現象に倒錯をしていきます。

高校2年生の時に金川真大死刑囚は修学旅行で沖縄に訪れていますが、その時の感想文で人間に対する憎悪をむき出しにした内容で、担任から再提出を命じられるような内容を担任に提出しており、前途の哲学書の影響が大きかったと言われています。

この年の沖縄での修学旅行の感想文では(戦争に限らず)人類への敵意をむき出しにした内容であったため、担任からは書き直しを命じられるが、書き直しの文章でも中傷は半分までしか減らなかった。Kは担任に注意された時、「心のままに書いただけ」と答えた。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3... |

金川真大の高校卒業後について

金川真大の高校卒業後について
金川真大死刑囚は高校3年生の時に私立大学への進学を初期は望んでいましたが、同年の9月には大学への興味が消滅。就職希望に変更し学校から職場の紹介を受け見学に行くも、面接にも進めずに不合格に。金川真大死刑囚自身も人生でも大きな挫折と語っています。一時期は自殺を友人に仄めかしていた時も。

卒業後はフリーターに

就職も上手く行かず進学もしなかった金川真大死刑囚は、高校卒業後はお金が足りなくなるとアルバイトをして、お金が貯まるとアルバイトを辞める生活となりました。空いた時間はゲームやマンガ読書に費やし、ゲームに関しては関東地区の大会で準優勝に至るレベルに。

また、この頃から家族とのコミュニケーションも会話がほぼなくなり、会話は筆談で行うようになったと言われています。

ここまでが事件直前までの金川真大死刑囚の生い立ちとなります。長くなりましたが、彼の生い立ちが事件に至るまでの経緯に強く影響しているのでご紹介させていただきました。

土浦連続殺傷事件の事件当時の経緯

なぜこのような通り魔事件は起こってしまったのか?

土浦連続殺傷事件の被害者は金川真大死刑囚とは全く面識がない方々ばかりで、たまたまターゲットして選定された人や通りすがりの人々ばかりでした。

「死刑を望んでいた」と公言していた金川真大死刑囚について、明らかになっている事件の足取りを追ってみましょう。

金川真大の動機は?

ここまでの生い立ちから自殺願望は非常に強かったものの、どうしても自分を殺すことができなかった金川真大死刑囚。最終的に自分が確実に死ぬ手段として「死刑になりたい」と考えるようになりました。

つまり動機は誰かを恨んでいたわけでもなく、自分が死にたいがために土浦連続殺傷事件を起こしたと言えます。

金川真大の3月19日の動き

金川真大の3月19日の動き
土浦連続殺傷事件は3月19日と3月23日を跨いでいる事件となっているため、日別に事件の詳細を追っていきます。

金川真大は小学校襲撃を計画していた

3月19日。「自分が死刑で死ぬために」当初は妹を殺そうとしていた金川真大容疑者ですが、不在により頓挫。次は小学校襲撃を企て現場向かいましたが、時期的に終業式のシーズンであり大人が多数存在したため、失敗の可能性を加味しこちらからも退避しています。

金川真大はターゲットを老人へ

金川真大はターゲットを老人へ
こうして計画が頓挫した金川真大容疑者は自分が「死刑になりたい」がために殺す相手を探して街をマウンテンバイクで彷徨うこととなりました。その凶刃のターゲットとなったのが、空気入れを借りた72歳の男性。名前を三浦芳一さんと言います。

住宅街のうちの一軒のチャイムを押し「空気入れを借りたい」と要請。その要請を快く引き受けた三浦芳一さんが背を向けた瞬間に、首筋に包丁を突き刺しそのまま逃亡しました。

最初の殺人が起きた3月19日から3月23日までは金川真大死刑囚はしばらくビジネスホテルに潜伏することになります。

金川真大の3月23日の動きは?

こちらが当時メディアで何度も放送されました、荒川沖駅で起きた通り魔事件の詳細となります。

3月19日に殺人を犯し、数々の証拠から既に警察から指名手配をされて、残された時間が短いことを察した金川真大死刑囚が、自分が「死刑になりたい」がために大量殺人を行うこととなりました。

荒川沖駅での金川真大の犯行について

大量殺人を行う地として金川真大死刑囚は荒川沖駅を選択。選択した理由は「人が多すぎず少なすぎず、知っている場所」と供述しています。

潜伏先から移動し、同日11時に同駅で下車した金川真大死刑囚は西口から東口にかけて、無差別に通行人の首をナイフで次々と襲い、無差別に犯行を重ねていきました。この時の被害者は最終的に7人が重傷で1人が死亡という結果に終わりました。

最終的に金川真大死刑囚は荒川沖地区交番へ駆け込み、不在だった交番から自ら電話をかけ自ら犯人であると自首をしています。

事件当時の警察の危機意識の低さが話題に

事件当時の警察の危機意識の低さが話題に
この時に話題になったのが、茨城県警の数々のずさんな対応でした。説明しましたとおりに、3月19日が初犯であり既に金川真大容疑者は指名手配されていたこと。金川真大容疑者は初犯を起こした場所の近くである荒川沖駅に戻ってきて犯行を重ねていたこと。

この2点から未然に防ぐこともできたのではないかと、当時はかなりマスコミから叩かれています。

茨城県警のずさんな対応とは?

・荒川沖駅の捜査員は、重点的に配置したはずだったが、互いに連絡を取り合う手段が用意されていなかった。
・同駅で警戒していた捜査員は、犯人の写真を持っていなかった。
・駅側に対し、警戒に当たっていることを、まったく連絡していなかった。
・被害者の中には、管轄である土浦警察署の29歳の巡査も含まれていた。
・犯行後、Kが自首した交番は空き交番だった。K自らの通報で駆けつけた警察官がようやくKを現行犯逮捕した。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3... |
この刺された29歳の巡査も取り抑える時に刺されたなどではなく、巡回していたところを金川真大死刑囚に気づかずに襲われ、重傷を負った形となりました。つまり、この巡査も金川真大死刑囚に対し情報共有や連絡を受けていなかったことになります。

土浦連続殺傷事件の裁判の行方

土浦連続殺傷事件の裁判の行方
死刑のための殺人の殺人を犯した金川真大死刑囚。逮捕後も金川真大死刑囚は生に執着することもなく、自ら死刑の想起執行を望むなどの異常性を見せています。当時としては余りにあまりな動機から精神鑑定も行われました。

精神鑑定では「自己愛性人格障害」と診断され、金川真大死刑囚の刑事責任は証明されています。

金川真大は秋葉原通り魔事件を参考にした?

この事件の同年に世間を震撼させた秋葉原通り魔事件(別名:秋葉原無差別殺傷事件)が発生しており、金川真大死刑囚も参考にしたと証言しています。また、この事件は土浦連続殺傷事件のみならず類似の通り魔事件が多発しており、便乗犯が多かった年としても知られています。

金川真大は早く死刑になりたがっていた

裁判中の金川真大死刑囚は担当弁護士に対し「死刑を回避するような動き」に不信感をつのらせ、一時は担当弁護士の解雇も考えたそうです。しかし弁護士の専任となるとまた死刑から遠くなるため、解雇を見送ったというエピソードがあります。自らが死刑になることを最優先としていたのでしょうね。

金川真大の死刑が確定へ

2009年の12月8日に金川真大死刑囚の死刑が確定しました。

2009年12月18日に判決公判が開かれ、水戸地裁は検察側の求刑通り被告人Kに死刑判決を言い渡した。判決理由の趣旨は以下。

・「人を殺すのは悪ではない」という信念は被告人が主体的に構築したものであり、責任能力の判断に影響しない。
・「生きがいがない」のは被告人の自尊心のせいで人間関係が築けなかったためであり、生きがいを見つける機会を自ら放棄したといえる。
・被告人と同じ家庭環境にある妹や弟はそれぞれの生きがいを見出しており、原因は家庭ではなく被告人本人にある。
・高校卒業後の自堕落な生活からすれば生きがいを見出せないのは自業自得である。
本件においては、犯行動機が非常に特殊であるが、その動機は刑を荷重する要因であり、軽減する要因ではない。また、被告人は死刑に関する法制度や実態に明るくない。絞首刑は苦痛を伴わない刑死手法とは言えず、慣例的に早期執行はありえない。
・被告人の信念は子供向けの哲学書からの引き写しであり、文字面しか読めない被告人に更生の余地があるとは考えられない。

最後に裁判長は、「人の気持ちを理解するのは基本的なことなのに、なぜあなたは他人のことを考える余裕がないのか。よく考えてほしい」と語った[23]。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3... |
死刑判決の後に金川真大死刑囚は判決直後の取材で「完全勝利と行ったところでしょうか」と笑顔を浮かべながら話しています。この後弁護士は控訴を行っていますが、金川真大死刑囚が同年12月28日に控訴を取り上げ、2010年の1月5日に死刑判定が確定。

結果として金川真大死刑囚は一番望んでいたものを手に入れる結果となりました。

土浦連続殺傷事件のその後は?

土浦連続殺傷事件のその後は?
死刑のための殺人を犯し、望み通りに死刑が確定した金川真大死刑囚。2013年2月21日に29歳で死刑が執行されていますが、それまでの金川真大死刑囚のその後を見ていきましょう。

金川真大の判決後の動きとは?

金川真大死刑囚は移送日に抵抗し大暴れしたそうで、収監が2010年の5月まで後ろにずれ込みました。この騒ぎが原因となり、囚人の中でも特別待遇扱いの立場となりました。この時も「どうせ死ぬなら何をしてもいい」という考えが浮かんでいたのでしょうか?

独房に収監されていますが両隣は空室で、私物の持ち込みも暴れる恐れから最大限の制限かつ、運動や入浴も周囲との軋轢を警戒し最後に回されるなど問題児扱いとなっていたようです。

最終的に信頼が置ける刑務官が担当となったことから、少しずつ金川真大死刑囚の反抗は収まる形になりました。

金川真大の独房での生活は?

「浅はかだったと思わないのか」「被害者に対してどう思うのか」と金川を問い詰めて、反省の言葉を引き出そうと試み、学生時代の友人を連れて行った面会では、金川が涙目になったことから、その人間性が取り戻せるのではないかと期待した。だが、小林らがどんなに理解しようと近づいたところで、金川の心が揺れ動くことはなかった。教誨師も付けず、再審請求をすることもない。それどころか、金川は「なんで殺さない?」「6カ月以内に(刑を)執行しないのは法律違反だ」と、法務大臣に手紙を送り続けていたのだった。

出典: https://news.infoseek.co.jp/article/cyzo_20140629_551571/ |
死刑が執行されるまでの間は、独房の中でアニメを鑑賞したりゲーム雑誌を読んだりなど、自分なりのペースで生活をしていました。また「死刑になりたい」という意思も最後まで揺らぐことはありませんでした。

金川真大死刑囚は最後まで自らの死刑執行を望み、時には死刑執行を早める嘆願の投書なども行っていたそうです。最終的に事件を起こした2008年から5年後となった2013年に死刑執行により金川真大死刑囚は29歳でその生を終えることとなりました。

土浦連続殺傷事件が残した傷跡と今

土浦連続殺傷事件が残した傷跡と今

2019年に発生した茨城女子大生殺人事件において、犯人である廣瀬晃一容疑者が金川真大死刑囚と中学生時代の同級生と話題になりましたが、それ以上の関連性はありません。

ただ、この痛ましい事件を思い起こさせるきっかけとなり、また事件が風化をしていないことが伺えます。

最後に、この土浦連続殺傷事件で犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、このようなことが繰り返されないように住みやすく、生きやすい世の中になればいいですね。

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