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【富岡八幡宮】宮司殺害事件の詳細まとめ|ドロ沼富岡家のその後は?
2019年02月10日

【富岡八幡宮】宮司殺害事件の詳細まとめ|ドロ沼富岡家のその後は?

超有名神社で振りまわされた狂気の日本刀――。死傷者4名を出した「富岡八幡宮殺人事件」の背景には、欲にまみれた宮司一家の長年にわたる内紛が存在していました。富岡茂永容疑者が最後に遺した手紙の全文画像を含め、事件の経緯をまとめました。

富岡八幡宮殺人事件とは?

白衣(しろぎぬ)に赤い袴姿の女性宮司が、同じく白衣に黒の袴を穿き、頭に烏帽子をのせた狂乱の男によって、日本刀で背中を何度も斬りつけられる――。

「富岡八幡宮・宮司殺害事件」と聞くと、大抵の人は、まるでサスペンスドラマの一場面のような画(え)を思い浮かべてしまうことでしょう。

しかし実際に起きた事件は、もっと現実の血生臭さを伴い、なおかつエキセントリックな様相を呈した、きわめて異様な事件でした。そして事件の背景には、宮司一家によるドロ沼の内紛劇があったのです。

12月の冷たい夜空の下で、いったいどんな犯行が行われたのか。富岡八幡宮・宮司殺害事件のあらましを、まずは事件当夜の詳細なできごとを追いながら、少しずつ振り返ってみましょう。

事件当夜の詳細


平成29年(2017年)12月7日の午後8時過ぎ。東京都江東区富岡「富岡八幡宮」そばのコンビニエンスストア付近から突如、「お前だけは許してやる!」という異様な怒声が響き渡りました。

声を聞きつけた帰宅途中の会社員や周辺住民は、放置してはならない異常さを感じとり、咄嗟に現場付近に駆けつけます。

怒声の主は身長160㎝くらい、中肉中背の、黒い服を着たニット帽の女性。日本刀を手にしていたその女は、悠然とした歩調で暗い路地を歩き、コンビニから50mほど行った先の「八幡橋」と呼ばれる赤い小さな橋を渡って、富岡八幡宮方向に入っていくのを目撃されています。

重傷の男性と、別の女性の遺体が発見される

目撃者が不審女性について110番通報をしている間に、先ほどのコンビニエンスストア前でスーツ姿の男性が血まみれになって倒れているのが発見されます。さらにその数分後には、白い服を着た血まみれの女性が「八幡橋」を渡った先の神社敷地内で見つかりました。

女性は、首元に折れた日本刀が突き刺さり、全身血まみれでほぼ即死状態。スーツ姿の男性は、コンビニ店の買い物客による迅速な処置のおかげで、幸いにも命を取りとめました。しかし負傷した右腕は日本刀で深く斬りつけられたせいで、ほぼ切断寸前の重傷でした。

亡くなった女性は、富岡八幡宮・宮司の富岡長子さん(当時58)。重傷を負った男性は、長子さんの乗用車の運転手(当時33)。運転手男性は手当てを受けながら、「男女一人ずつに、車を降りたところを襲われた」と証言しました。

犯人は宮司の弟夫婦と判明――犯行後、境内で心中

警察到着後、同神社境内にて、さらに二人の男女が血まみれになって倒れているのが見つかりました。警察は、すぐにこの男女が犯人であると断定。

男は、亡くなった富岡長子さんの弟で、富岡八幡宮・元宮司の富岡茂永容疑者(当時56)。ニット帽姿の女は茂永容疑者の妻・真理子容疑者(当時49)。

二人は犯行後、まず真理子容疑者が茂永容疑者に刺殺され、直後に茂永容疑者が自分の心臓を刺して死亡。殺人を遂げたあとの心中でした。

「茂永容疑者は車に逃げ込もうとした長子さんを引きずり出し、刃渡り約80cmの日本刀で後頭部や胸などを切りつけて殺害。その場から逃げた運転手も、100mほど離れた場所で真里子容疑者に切りつけられました。運転手の右腕は、切断に近い状態だそうです。その後、茂永容疑者は長子さんの自宅前に戻ってきた真里子容疑者の胸や腹を刺して殺し、続いて自らの心臓をサバイバルナイフで串刺しにして自殺しました。その間、わずか5分の凶行でした」(全国紙社会部記者)

出典: http://news.livedoor.com/article/detail/14026603/ |

有名神社での殺人事件に、日本中が騒然となった

富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地として広く知られており、地元民から八幡様の名称で呼ばれている由緒ある神社だった。富岡八幡宮が観光スポットとして年間30万人の集客力を見せ、数十億円の集金力がある金満な経済地盤があり、不動産収入でも隣の商業地やマンションから個別に数万の土地代が入ってくる裕福ぶりだった。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB... |
富岡八幡宮の創建は寛永4年(1627年)、江戸幕府三代将軍・徳川家光の時代です。以来、徳川将軍家の手厚い保護のもと「江戸最大の八幡宮」として発展し、「深川八幡」の呼称で人々から長く親しまれてきました。江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」を祭礼とし、江戸勧進相撲の発祥の地としても知られている神社でした。

また、新横綱誕生の際の「新横綱土俵入り」の舞台としても有名で、境内にある「横綱力士碑」には横綱力士の名前が代々刻まれています。
その有名神社で起きた凄惨な事件に、日本社会は騒然となりました。神聖な場所での殺人事件、宮司一家のいさかいによる悲劇――。日本文化の常識から見て、到底あり得ない事件が起きてしまった衝撃に、マスコミは連日、事件報道を過熱させていきました。

富岡八幡宮殺人事件はどうして起こったか

宮司時代の富岡茂永容疑者

富岡茂永容疑者は昭和36年(1961年)、富岡八幡宮第19代宮司・富岡興永氏の長男として生まれました。

駒澤大学を卒業後、皇学館大学にて専攻科を修めて神職資格を取得したのち、実家富岡八幡宮で修業を積み、平成7年(1995年)3月、前年に体調不良から宮司を引退していた父の跡を継いで、富岡八幡宮第20代宮司となりました。

「元来派手好きで、神輿を名物にして祭りを盛り上げたり、新横綱の刻銘式を復活させて土俵入りを行ったりとかなりのやり手。ただ、遊び人で、神社の金で銀座のクラブで豪遊三昧。一晩で数百万円使ったこともあったそうです。

 女性関係も派手で、真里子さんと結婚する前に2回結婚歴があって、他にフィリピンパブなんかで働く外国人の愛人も複数いました。お金や女性関係を暴く怪文書がばらまかれ、2001年に宮司を退任。この件について茂永は、“長子がおれを陥れるために画策した”と、憤りを募らせていました」(茂永容疑者の知人)

出典: http://news.livedoor.com/article/detail/14026603/ |

「茂永は典型的なボンボンで、よく地元の不良グループとつるんでいました。金を巻き上げられたりもしてて、賽銭泥棒や、興永さんの骨とう品を勝手に売っ払ってました」(茂永容疑者の知人)

出典: https://www.news-postseven.com/archives/20171215_637163.h... |
富岡八幡宮という由緒ある神社の宮司になったものの、茂永容疑者には金遣いと女性関係に関する悪い噂があとを絶えませんでした。さらに神社経費の決済に関するルールも、先代のころと大きくやり方を変えたために、徐々に家族からの不信を買うことになっていきます。

宮司解任と脅迫事件で、姉弟の対立が決定的に

女性関係の告発により宮司を解任

平成11年(1999年)以降、茂永容疑者のもとに女性関係についての素行の悪さを指摘した告発文がたびたび届きます。

父・興永氏は東京都神社庁に相談した末、平成13年(2001年)5月、茂永容疑者を宮司職から解任。その後は興永氏が宮司に復帰し、茂永容疑者は勘当状態となりました。

茂永容疑者が手にした退職金は、およそ1億3000万円ともいわれます。こうして生活には一切困らないほどのお金を手にした茂永容疑者でしたが、宮司復職への思いと、自身をエリート職から解任に追いやった父姉への恨みを募らせていきます。

姉・長子さんに脅迫文を送付し、逮捕される

平成18年(2006年)には、宮司解任のきっかけとなった告発文は姉の富岡長子さんの仕業であるとし、「積年の恨み。地獄へ送る」などと書かれた脅迫文を送付、脅迫罪で逮捕される事件を起こしました。

通常、こうした家族間のやり取りに関するトラブルが事件化されることはまずありません。しかし茂永容疑者はのちに、姉・長子さんが警察に対して執拗に事件化するよう迫った、と主張しています。これを機に、姉弟の軋轢(あつれき)は決定的なものとなります。

長子さんの宮司就任、そして殺人事件へ

茂永容疑者の宮司解任後、再び富岡八幡宮の宮司に戻っていた父・興永氏でしたが、平成22年(2010年)に長女の富岡長子さんを後継者に指名します。長く富岡八幡宮の事務職に就いていた長子さんは、茂永容疑者の宮司解任後、神職である禰宜(ねぎ)などを務め、着々と宮司就任の準備を進めていました。

神社本庁を離脱したことが事件発生の引き金に

全国の神社を統括する神社本庁に、長子さんの宮司就任を具申した富岡八幡宮でしたが、神社本庁は社格の高い神社での女性宮司は認めないという前例に倣い、これを取り合いませんでした。

長子さんは父・興永氏の死去後も、宮司代理として神社本庁と長く対立したのち、平成29年(2017年)9月28日、ついに神社本庁を離脱、富岡八幡宮・第21代宮司に就任します。

茂永容疑者は、神社本庁から認められていない長子さんに宮司の資格はないとして激しく非難、同年12月7日、富岡八幡宮の関係者あてに便箋8枚にわたる長大な手紙を投函後、長子さんを殺害し、自らも命を絶つという凄惨な事件を引き起こしました。

「全国の神社を取り仕切る『神社本庁』から承認されなかったため、長子さんは宮司代務者という扱いでしたが、実質的なトップに立ちました。すると翌年、長子さんは神社に勤めていた、茂永さんの長男A氏に突然、解雇通告。姉弟間だけじゃなくて、長子さんとA氏の間にも軋轢があったんです。以前、境内にある建物でボヤ騒ぎがあった時、長子さんがA氏に“お前が火をつけたんだろう”と犯人扱いして罵声を浴びせたこともありました。“粛清”だったんでしょうが、不当解雇を理由に裁判沙汰にまで発展しました」(神社関係者)

 姉弟の確執がピークに達したのは2017年の夏だった。長子さんが茂永容疑者への毎月の金銭支援を打ち切ると通告。さらに9月、いつまで経っても宮司と認めないことにしびれを切らして神社本庁から離脱し、宮司に就任した。これが凶行のスイッチだった。

出典: http://news.livedoor.com/article/detail/14026603/ |

茂永容疑者が事件直前に遺した「手紙」

茂永容疑者は事件当日、便箋8枚にわたる長大な手紙を、全国の神社や氏子(うじこ。その神社の周辺地域に住み、その神社を信仰している人たち)の関係先宛てに送付しています。事件後、次々と手紙の到着が報告され、その数は最終的に約2800通にもおよびました。

「約30年にわたる富岡家の内紛について、真相をお伝えします」という書き出しで始まる手紙には、神社の運営や相続をめぐる親族間のトラブルの詳細がつづられていた。消印は8日で、犯行直前に代行業者に依頼して投函したとみられている。送付先は全国の神社関係者が約1千通、氏子の関係先の飲食店や学校が約1800通に及んだ。

出典: https://www.sankei.com/premium/news/171228/prm1712280005-... |

現場近くのマンションの一室から、真里子容疑者が警察や報道関係者に宛てて事件前に書いたとみられる手紙も見つかった。「積年の恨みから(長子さんを)殺害することにいたしました」「殺害後はその責任をとり、自害する」「1人で自害できない場合には、夫にその幇助(ほうじょ)を依頼している」というもの。部屋からは、襲撃現場付近を見渡すことができたほか、複数の刃物や双眼鏡も見つかり、警視庁はこの部屋が襲撃計画の“アジト”だったとみている。

出典: https://www.sankei.com/premium/news/171228/prm1712280005-... |
1通あたり8枚、これが2800通分、つまり印刷に使用した便箋の枚数は2万枚以上にのぼります。

事件現場近くのマンションで入念な準備をし、「積年の恨み」「祟り」など、怨嗟(えんさ)の思いを沸々とさせながら便箋8枚にわたって告発文を書き綴る労力、2800通分の封筒に手紙を三つ折りににして封入する労力などを考えると、茂永容疑者、真理子容疑者の執念がいかに強いものであったかがわかります。

以下、その手紙の全文画像です。

茂永容疑者が手紙で要求したこと

茂永容疑者が手紙で要求したこと
茂永容疑者が、神社関係者や氏子の人々に要求したこと――。その内容からは、実の姉に対する深い憎悪とともに、わが子を利用してまで家名存続に執着した歪んだ心理が見て取れます。

①富岡長子を富岡八幡宮から永久に追放する

事件間際に遺された手紙には「極悪非道極まりない」との表現がつくほど、姉・長子さんに対する強い憎しみが書き残されています。しかし長子さんを富岡八幡宮から永久に追放することを要求しながら、最後は自らの手で殺害してしまいました。

手紙を作成していた段階では殺人事件を起こすつもりがなかったのか、あるいは富岡八幡宮の歴史・記録そのものから彼女の名前を抹消することを求めたものなのか、その真意のほどは定かではありません。

②富岡秀之を富岡八幡宮の宮司に迎える

富岡秀之氏は、茂永容疑者が最初の妻との間に授かった長男です。富岡八幡宮の職員として働いていましたが、長子さんが宮司代理を務めるようになってまもなく、勤務態度を理由に解雇されています。

茂永容疑者は「富岡八幡宮の宮司は富岡家の人間と決められている」としたうえで、息子・秀之氏の宮司就任を要求しました。

富岡秀之氏は「富岡ウルフ」?

ところで富岡秀之氏は、当時パチスロ神社You Tuberとして動画に顔出し出演していた「富岡ウルフ」と同一人物ではないかといわれています。

現役神主を自称し、神職の普段着である白い着物(白衣)姿で動画に出演していましたが、事件発生後に動画がすばやく削除されたことから、茂永容疑者の息子の秀之氏ではないか、との見方が強まりました。

③丸山権宮司(ごんのぐうじ)を補佐役に指名

権宮司(ごんのぐうじ)とは、宮司に次ぐ地位の神職です。丸山氏は、富岡家の人ではありません。しかし当時の役職上、このまま長子さんがいなくなると、丸山氏が富岡八幡宮の宮司に昇格する可能性が大きいため、茂永容疑者は丸山氏がそもそも神職にふさわしくない人間である旨を6行にわたって書き連ねています。

ところが、最後にはその丸山氏を「今後全身全霊で秀之の補佐をする」という条件付きで、権宮司の職に留まってもよい、としています。つまり「丸山氏は宮司になってはいけないが、息子のことは助けてください」ということです。

④その他、富岡八幡宮の今後の決定について

手紙には、「その他の事は、すべて富岡秀之・富岡聡子・並びに本橋禰宜(馬橋稲荷神社)と相談の上決める事」とあります。

息子、母の他に、馬橋稲荷神社の禰宜(ねぎ)を相談役に指定していることから、息子・秀之氏の当時の勤務先が馬橋稲荷神社だったのではないか、といわれています。

息子の宮司就任が実行されなければ、怨霊になる

以上の要求が実行されなかった場合は、怨霊になって、自身の要求に異議を唱えた役員とその子孫を末代まで祟る、と言っています。祟りを持ち出して脅し、要求の実現を迫る。つまり「脅迫」です。

殺人事件と脅迫がまかり通るような神社の宮司にわが子を据えても、わが子が不幸な境遇になるだけ、という発想はなかったことがうかがえます。

事件報道で浮かび上がった姉・長子さんの醜聞

茂永容疑者が事件当日に送付した手紙は、事件発生からほどなくして、マスコミ各社に知れ渡るところとなります。

手紙の内容は真実なのか――。事件報道は茂永容疑者の生い立ちや生活態度を追うだけでなく、その後、被害者・富岡長子宮司の生前のあり方にも疑問のまなざしを向け始めました。

【醜聞1】弟と変わらない浪費癖

以下は、神社の関係者や地元商店街の関係者の証言です。

弟に負けず金遣いは荒かった。新宿のホストクラブに入り浸って、今夏の祭りには、場違いなホスト風情の男が十何人と来てました。常に200万円を現金で持ち歩いていて、高級な食事をごちそうするのは当たり前、帰りのタクシー代まで渡していました

出典: https://www.news-postseven.com/archives/20171215_637163.html |

「土地の切り売りや運用で、長子さん個人の預金は10億円以上あると噂されていました。1人で住んでいた洋館風の自宅は4億円は下らないともいわれ、地元では“賽銭御殿”と囁かれていたくらいです。犬を10匹以上飼っていて、専属の世話係もいました」(前出・地元商店の関係者)

出典: https://www.news-postseven.com/archives/20171215_637163.h... |
また、長子さんが通っていたホストクラブの関係者は以下のように話しています。

「指名するのは20代前半の若いホスト。VIPルームを使い、一本100万円以上するクリスタルボトルを注文することもあった。月の支払いは200万円以上。いつも運転手付きの車で店まで来ていました」

出典: https://dot.asahi.com/aera/2017122700101.html?page=1 |
茂永容疑者は、金遣いの荒さや女癖の悪さを指摘されて、富岡八幡宮から追放されました。

もし長子さんにまつわるこれらの報道が真実ならば、茂永容疑者の追放劇の中心にいた長子さん自身が、茂永容疑者と同じように、ホスト遊びや豪奢な暮らしに莫大なお金を使っていたことになります。

【醜聞2】真理子容疑者に向けられた差別発言

茂永容疑者が妻・真理子容疑者との交際を始めたのは、平成6年(1994年)の秋のことです。父・興永氏が病に苦しみ、富岡八幡宮の宮司を引退した時期とちょうど重なります。

茂永容疑者には当時、2番目の妻がいましたが、通っていたクラブのホステスだった真理子容疑者と愛人関係になり、翌年、正式に宮司になったのちも愛人関係が続いていました。

2番目の妻との離婚がいよいよ現実味を帯びてきた平成11年(1999年)初冬、茂永容疑者の今後を話し合うために開かれた家族会議の場で、茂永容疑者の姉・長子さんと、母・聡子さんによる、真理子容疑者に対しての差別発言が飛び出したといいます。

身体障碍者への差別と、根拠なき部落差別発言

”長子や聰子らが、私と妻を辞めさせて追い出したかった理由がもう一つあります、それは、私の妻真里子の車いすに乗った障害者の兄の問題です。

私が真里子の事を姉や母に話すと、姉や母は、密かに、真里子の身辺調査をした挙句、障害者の兄を見てきて、

「あんなバケモノのような兄弟がいる家の娘を貰える訳がないでしょう!死んでも親戚になんかならないから、諦めて、それに、あそこの家は部落民なのよ!」

と、部落民でもない妻の実家を部落民扱いし、余りにも酷い差別用語を並べ立てたのです。” (茂永容疑者が遺した最後の手紙より抜粋)

入籍後、宮司を解任され、差別発言で家族を提訴

茂永容疑者と真理子容疑者は平成12年(2000年)5月に部落発言について区役所に相談、同和対策課で真理子容疑者の出身地が部落ではないことを確認したのち12月に入籍します。

茂永容疑者は翌年4月に宮司を辞めさせられ、さらにその翌年の平成14年(2002年)、部落解放同盟東京都連合会に相談、真里子容疑者の希望で一連の差別発言について訴訟を提起しました。

焼却された録音テープ――発言は脚色されたもの?

ところで、茂永容疑者は家族会議の際に、母と姉の差別発言を録音し、真理子容疑者にテープの内容を一度聞かせたのち、「あまりにひどい内容なので、妻にこれ以上聞かせたくなかった」として自らの手で録音テープを焼却したといいます。

つまり提訴の段階で、重要な証拠となる録音テープはこの世に存在していませんでした。のちに真理子容疑者が明かした差別発言の詳細も、すべては本人の「記憶」に基づく書き起こしでした。

事実無根ならここまでやらないが……

部落差別発言が事実としても、部落差別というよりは、結婚を阻止する理由付けとして適当に持ち出した話のように見える。

出典: https://jigensha.info/2017/12/13/tomioka/ |
まったくの事実無根なら、提訴にまで至ることはなかったでしょう。したがって発言そのものはあったと考えられます

しかし録音テープがない以上、夫妻が告発する差別発言の内容は、本人たちがたとえ意識していなくても、自分たちに有利な方向で脚色が入った可能性が極めて高いと言えます。

さらに、茂永容疑者自身にも、少なからず似たような差別意識が存在していたと疑われる記述が、本人の最後の手紙の中で確認できます。
”私の母聰子の兄は精神異常者で、男系男子81代続いた海部家も、聰子の兄が精神異常者だったため、現在は聰子の妹の婿養子が82代を継いでいますが、聰子の家族は、精神異常の長男を生涯精神病院に閉じ込め、社会に極秘にしたのです。

そして興永も実際には富岡家の次男で、長男の國臣氏は精神異常で、富岡八幡宮の境内にある家で、ガス自殺をしています。そのような家系の両親が、障害者に対する悍ましいまでの偏見を持っていたことに大変驚きました。” (茂永容疑者が遺した最後の手紙から抜粋)
自分自身に差別意識がないことを示しながら注意深く言葉を選ぶなら、少なくとも「精神異常」とは書けません。

一連の事件報道で批判は富岡家全体に

こうして、茂永容疑者が遺した手紙をもとに、事件の背景に関する報道は富岡家全体の醜聞を扱うものになっていきます。

また、最終的に事件が発生する契機となった「神社本庁離脱」のできごとから、神社本庁の実態を告白する生前の長子さんの独占インタビューが公開されるなど、事件報道は単なる殺人事件という枠組みから、神社界全体、ひいては政界にまで広がっていきました。

ネットの反応

30 :名無しさん@涙目です。:2017/12/18(月) 17:36:20.83 ID:ixA6kygj0.net[2/2]
神職は公務員や教師以上に堕落してるわw
31 :名無しさん@涙目です。:2017/12/18(月) 17:37:10.20 ID:l9Uy7DQd0.net
神社本庁もクソだろ
なんのために存在してんだよ
32 :名無しさん@涙目です。:2017/12/18(月) 17:38:50.99 ID:VRrE0YIh0.net[1/2]
無税の分だよな
33 :名無しさん@涙目です。:2017/12/18(月) 17:38:58.50 ID:Hfc0WWQi0.net
関係者全員クズ
34 :名無しさん@涙目です。:2017/12/18(月) 17:39:14.47 ID:Lcon2Xxc0.net
なんちゅう罰当りな
35 :名無しさん@涙目です。:2017/12/18(月) 17:40:37.98 ID:DMImsZBN0.net[1/2]
常に最悪の結果だったわけだな

出典: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1513585607/0- |
「関係者全員クズ」という書き込みに象徴されるように、事件10日後のネットの反応は、すでに富岡家全体、神社界全体に向かっていることがわかります。

再出発した富岡八幡宮の「祟りなきその後」


トリップアドバイザー

平成30年(2018年)の初詣参拝客は激減

富岡八幡宮の初詣は例年、約15万人が参拝に訪れていました。しかし凄惨な事件のあおりを受けて、事件後はじめての初詣参拝者数は、前年比8割減の約3.5万人とどまる結果となりました。

例年の初詣時期には約15万人が訪れ、参道や境内はスムーズに歩けないほどの人でにぎわっていた。しかしこの日は、さい銭箱やおみくじに向かう長い列ができることは少なかった。

 神社の関係者は「正式な参拝者数は出していないが、かなり減っている」と明かした。境内で出店を構える男性(75)は「(参拝客は)半分以下になったと思う。売り上げも厳しいが、ゆっくり参拝したい人には良かったのでは」と前向きに話した。

出典: https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/20180103... |

富岡八幡宮殺人事件は容疑者死亡による不起訴処分に

東京都江東区で富岡八幡宮宮司の富岡長子さん=当時(58)=らが殺傷された事件で、東京地検は28日、殺人と殺人未遂などの疑いで書類送検された弟の茂永容疑者=同(56)=とその妻真里子容疑者=同(49)=について、容疑者死亡で不起訴処分とした。

出典: https://www.jiji.com/jc/article?k=2018092801091&g=soc |
平成30年(2018年)6月、故・茂永容疑者の手紙の中にも登場していた当時の権宮司・丸山聡一氏が、新たに富岡八幡宮の宮司に就任しました。

富岡八幡宮の責任役員の一人に、長子さんと茂永容疑者の妹・小林千歳さんの名前がありますが、富岡家の宮司世襲は事実上の終焉(しゅうえん)を迎え、富岡八幡宮は一連の係争・事件で損なわれたイメージの払しょくに向けて再スタートを切っています。

事件は同年9月28日、容疑者死亡による不起訴処分というかたちで終わりました。この日は奇しくも、長子さんが神社本庁を離脱した日のちょうど一年後にあたります。

祟りなきその後――富岡八幡宮の静かな再出発

平成31年のお正月も、参拝の人出は事件前と同水準というわけにはいきませんでした。しかし、富岡八幡宮に参拝する人々からは何ら恐れや不安の色は見えません。

事件を起こしたのはあくまでも元宮司、神さまが悪いわけじゃないと、とても大らかな気持ちで参拝している人がほとんどのようです。


あのような事件が起こった神社だから縁起が悪い、と富岡八幡宮を敬遠する人も多い中で、それでも参拝した人たちのツイートからは、概して明るく前向きな雰囲気が伝わってきます。

茂永容疑者が予告した「祟り」の形跡はいまだ見られず、深川の町はいつもどおりの平静な日々に包まれています。過去の忌まわしい事件に引きずられることなく、富岡八幡宮の再出発はゆっくりと、着実にその歩みを進めているようです。

「富岡八幡宮・宮司殺害事件」が私たちに示した教訓

富岡八幡宮・宮司殺害事件は、「見たいものだけを見る生き方」に囚われすぎた姉弟が、利己的な生き方を邪魔する存在として互いを憎んだことで、取り返しのつかない悲劇を生みました。

それとは対照的に、事件当夜、異常な怒声を聞きつけた周辺住民や第一通報者の会社員、あるいはたまたま居合わせたコンビニの買い物客といった人々は、それぞれがお互いの存在に心強さを覚えながら、目の前の異常事態に無私の心で適切に対処していきました。運転手の男性の命は、そのようにして救われたのです。

神社が持つ"本当のチカラ"

神社の縁日に集まる人々にとって、神さまを信じる・信じないの話はあまり関係ありません。いか焼きを食べたり、おみくじに一喜一憂したり、その場にいる人々の活気やつながりを楽しみながら、地域における当事者意識や助け合いの精神、利己的な心の危うさを無意識に再確認できる。それが、神社という場所なのです。

富岡家の人々は、そうした"神社が持つ本当のチカラ"を見てはいませんでした。見たいものだけを見て、得たいものだけを得ようとした結果、障害になり得る身内を憎悪し、身の破滅を招きました。

「賽銭御殿」と言われる大邸宅の前で血まみれになって倒れた姉弟と、コンビニ前で命を救われた運転手の男性。その対比に、言わずもがなの教訓を感じずにはいられません。

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