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名古屋・闇サイト殺人事件の詳細|磯谷利恵さんや犯人の生い立ちなど
2019年02月03日

名古屋・闇サイト殺人事件の詳細|磯谷利恵さんや犯人の生い立ちなど

名古屋闇サイト殺人事件をご存知でしょうか。名古屋闇サイト事件は2007年にインターネット上で犯罪者を募る闇サイトで集まった三人による強盗殺人・死体遺棄の殺人事件です。ネット社会が生み出した「闇サイト」による類を見ない事件について、その真相に迫ります。

名古屋・闇サイト事件の概要

名古屋・闇サイト事件とは、平成19年8月24日に名古屋市内で起きた強盗殺人・遺体遺棄事件

事の始まりは、「闇の職業安定所」と呼ばれる闇サイトに書き込まれた「東海地方で何かやりませんか」という書き込みでした。

その書き込みによって集まったのは、神田司、川岸健治、堀慶末という三人の男たち。

男たちはお金に困っていることから、強盗を目的に犯罪グループを結成すると、名古屋市内でたまたまその場を通りすがった女性・川岸利恵さんを拉致した上で、現金6万2000円を奪い殺害・死体遺棄しました。

事件の経緯

事件の経緯
名古屋・闇サイト事件当日の平成19年8月24日。

強盗目的で通行人を襲撃しようと考えた容疑者三人は、川岸容疑者の運転する車で名古屋市内徘徊していたところを、家路を急ぐ磯谷利恵さんが目の前を通りすぎました。

三人は磯谷利恵さんを強盗のターゲットにすることを決めるや否や、彼女の動向を探るようにしばらく車で尾行したのちに、一度磯谷利恵さんを追い越してから路上で停車をして彼女を待ち伏せました。

様子を見計らって堀容疑者が車から降りると、磯谷利恵さんに道を尋ねるふりをして「すいません」と背後から声をかけ、磯谷利恵さんが足を止めた次の瞬間。

堀容疑者は磯崎利恵さんの口を塞ぎ、体を抱え込むと車の後部座席へと押し込んだのです。

拉致現場は?

拉致現場とされるのは名古屋市千種区自由が丘2丁目の路上でしたが、地元の方からは街頭も整備されているため安全な道だと言われており、女性が一人で帰宅することは少なくありませんでした。

しかし、一方で街頭が整備され安全な道であると認識されているとはいえ、夜間は薄暗く人気がなく、その日も磯谷利恵さんが拉致された瞬間を目撃した人は一人もいなかったのです。

拉致後の動向

磯谷利恵さんの拉致後、川岸容疑者は名古屋市内から岐阜県の山中へと車を走らせました。

拉致した磯谷利恵さんは逃げることができないよう手錠をかけて、約6万2,000円とキャッシュカードを二枚強奪すると、包丁を向けてキャッシュカードの暗証番号を言うように脅しましたが、磯谷利恵さんは中々口を割りません。

それどころか、「忘れた、クレジットカードに暗証番号なんてあるの?」と言いました。

堀容疑者は、中々口を割らない磯谷利恵さんにいら立ちをぶつけるように脚に包丁を突き刺す真似をすると

「キャッシュカードの暗証番号を教えろ。教えないと本当に殺すぞ」

「この包丁は100円ショップの包丁で、切れ味が悪いんだよ。死ぬまでに最低5,6回は刺さないと死ねないかな」

と凄みをきかせ脅迫を続けると、ついに磯谷利恵さんは「2960」と暗証番号をこぼしたのです。

遂に聞き出した「2960」という暗証番号

拉致後の動向
暗証番号を聞き出した容疑者たちは、車を止めてその場で磯谷利恵さんをどうするかを話し合いました。ここで逃がしてやっても良いのかもしれないが、顔を見られてしまっている。逃がしたせいで捕まってしまうかもしれない。

そう考えた容疑者三人は、満場一致で殺害することに。

容疑者の3人は、まず磯谷利恵さんの首を絞めると持っていた金槌で5回ほど殴りました。

磯谷利恵さんは痛みを堪えながらも、死にたくはない一心で「話を聞いて。殺さないでください。」と命乞いしましたが、容疑者たちが手を止めることはありませんでした。

それどころか、命乞いする磯谷利恵さんの額から顎にかけて粘着テープで30周ほど巻き付け、更に視界を奪うように頭にレジ袋を被せ、粘着テープを巻き付けると、金槌で磯谷利恵さんの頭を4,50回殴打し、、首をロープで絞めつけました。

そして、遂に息絶えた磯谷利恵さん。

死因は締め付けたことによる窒息死でした。

殺害後の動向

殺害後の動向
磯谷利恵さんを殺害後、容疑者達はお金を引き出すよりも先に遺体を捨てることを決意。

岐阜県瑞浪市稲津町小里の「御料林橋」付近にある道路脇に遺体を遺棄するも、一刻も早く逃げたかったのか、それともお金を引き出したかったのか、容疑者たちは遺体の土を少し被せただけでその場を去りました。

そして遺体を遺棄した後、奪ったキャッシュカーと預金を引き出そうと聞き出した「2960」を使って磯谷利恵さんの預金を引き出そうとするも、暗証番号が合わず引き出しに失敗。

そう、磯谷利恵さんは、あの場で嘘をついていたのです。

まんまと磯谷利恵さんの嘘に騙された容疑者三名は、結局お金を引き出すことが出来ず、夜にもう一度犯行計画を話し合おうといって解散しました。

事件前の動向

事件前の動向

三人はどこで知り合ったのか

名古屋・闇サイト事件の加害者となる容疑者三人は、事件の数日前までは相手の名前も年齢も知らない赤の他人という状態でした。

ただ、三人に共通している事が現在お金に困っているという事。

そんな彼らを結びつけてしまったのは、当時犯罪の温床だと問題視されていた、「闇の職業安定所」といういわゆる"闇サイト"でした。

闇サイト「闇の職業安定所」とは一体なんなのか

闇サイト「闇の職業安定所」とは一体なんなのか
この闇の職業安定所とは、麻薬の売買や犯罪の人材募集などを行っている掲示板型のインターネットサイトの事です。

闇サイト内にある掲示板には不要口座を買い取ります。といった非合法行為を呼び掛ける書き込みが多く、名古屋・闇サイト事件が起きる前から犯罪の温床として問題視されていました。

なお、名古屋・闇サイト事件の影響を受けて職業安定所は閉鎖

その後、「闇の職業安定所」の管理人は取材に対して以下のように答えました。

「闇の職安」管理人は、『朝日新聞』の取材に対し、「犯罪を連想させるワード約80個を、禁止ワードとして設定し、抵触する投稿は削除していたが、『仲間募集』とだけ書かれた場合などは、投稿があっただけの段階では対処できない」、「警察からの要請があれば、通信記録を提出するなど、警察が関与することは明記していたが、それでも今回のようなことが起こるのならば、閉鎖しかないと考えた」と答えた。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%82%B5%E3%82%A4... |

誰の書き込みが三人を結び付けたのか

誰の書き込みが三人を結び付けたのか
始まりは川岸容疑者の書き込みでした。

「刑務所から出てきたばかりで、派遣をやっています。仕事はキツすぎ、給料安すぎで実に馬鹿馬鹿しい。東海地方で一緒に何か組んでやりませんか

川岸容疑者がそう闇サイト内で呼び掛けたところ、お金に困っていた堀容疑者と神田容疑者が川岸容疑者に賛同するように次々に書き込みました。

「どうですか、まずは一発やりますか?小遣い稼ぎですが、拉致して預金を引き出させます」

「以前はオレオレ詐欺をメインにしていたのですが、貧乏過ぎて強盗でもしたいくらいです」

こうして結びついてしまった三人は闇サイトを介し、メールでのやり取りを行い手を組むことになりました。

当初4人の計画だった?

当初4人の計画だった?
川岸容疑者が行った、闇サイトへの書き込みに反応して実際に合流をしたのは、神田容疑者と、堀容疑者だけではありませんでした。

もう一人、川岸容疑者に返信を行った者がいたのです。

その人物とは、事件当時29歳で杉浦と名乗る男でした。

杉浦もまた薬物事犯で逮捕歴が1度ある男で、川岸容疑者は、神田容疑者と堀容疑者と、杉浦は顔合わせし、犯罪グループを結成後は次々と悪事を繰り返し企むようになりました。

しかし一番年下ということもあり下っ端扱いをされる杉浦は、次から次へと悪事を企む容疑者三人とは裏腹に、犯罪行為に嫌気がさすように

そんな杉浦に転機が訪れました。事件前に行った事務所荒らしに失敗した際、無情にも置いていかれてしまったのです。

杉浦の手には200円ぽっちの所持金。

杉浦は今までやってきた犯罪行為がばかばかしくなってしまい、「これを転機に」と自ら110番通報して自首をしました。この時、

「闇サイトで1週間前(8月17日)、「山下」を名乗っていた共犯者Xに誘われ、盗みに参加した。Xと共謀し、数日間にわたって、窃盗などの犯罪を繰り返した」
「8月21日、豊川市内で、Xに加え、K・H両名とも会った」

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%82%B5%E3%82%A4... |
そう証言をしましたが、証言をしたその日は惜しくも名古屋・闇サイト事件の前日

具体的に捜査が行われる前に、名古屋・闇サイト事件の当日を迎えました。

事件発覚から磯谷利恵さんの遺体発見まで

事件発覚から磯谷利恵さんの遺体発見まで
事件が発覚したのは、意外にも事件の翌日である8月25日の午後1時半頃。犯人の一人である川岸容疑者が自ら警察に電話をかけて自首したことがきっかけでした。

磯谷利恵さんの遺体も川岸容疑者の証言通り、山林で発見されました。

川岸容疑者はなぜ自首したのか?

川岸容疑者が自首をした理由に関しては、当初「死刑になる事が怖かった」と報じられていました。

しかし逮捕後の取材では「正直にいって気の迷いです。なんとなくのほうが正しいかも。死刑になりたくないから自首したわけではないので、あしからず!」と答えており、自首に関しては気まぐれであることがわかりました。

発覚から逮捕までの経緯

発覚から逮捕までの経緯
一足先に逮捕された川岸容疑者の証言により、事件から二日後の8月26日に神田容疑者と堀容疑者も逮捕されることに。

取り調べに対して、3人の容疑者は黙秘することも否定することもなく、あっさりと殺害を認め、以下のように語りました。

3人とも、殺害の実行行為に加わったとして、いずれも容疑を認めた上で、「金を奪った後、生かして帰すと、顔を見られることもあるし、車のナンバープレートからも足がつく」と、殺人にエスカレートした動機を、具体的に供述した。
また、狙った理由については、「真面目で貯金をしていそうだったから」と供述し、千種区内で標的を物色した理由については、「金持ちが住んでいそうだったから」と供述した。
また、「反省はしていない」、「謝罪する気持ちはない」などとも供述した

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%82%B5%E3%82%A4... |

名古屋闇サイト事件の被害者、磯谷利恵さんについて

名古屋・闇サイト事件の被害者となってしまった磯谷利恵(いそがい りえ)さんは、犯人とは一切面識がなかったといいます。それでは磯谷利恵さんとは一体どんな方だったのでしょうか。

磯谷利恵さんのプロフィールから生い立ちまで順にご紹介いたします。

磯谷利恵さんの生い立ち

カテゴリ詳細
名前磯谷 利恵(いそがい りえ)
生年月日1976年7月20日(当時31歳)
出身地岐阜県岐阜市
趣味囲碁
岐阜県岐阜市出身の磯谷利恵さんは、父・末吉さんと母・富美子の間に生まれました。

父・末吉さんと母・富美子さんは磯谷利恵さんが生まれた際に、「大きくなったら立派な家を建てよう。」と約束をしましたが、磯谷理恵さんが2歳になる前に父・末吉さんが病に伏してしまいます。

病名は急性骨髄性白血病でした。

急激に発症し、進行するといわれている急性骨髄性白血病は、容赦なく父・末吉さんの体を蝕み、そのまま31歳という若さでこの世を去ってしまいました。

残された唯一の宝である娘

母の富美子さんにとって磯谷理恵さんは唯一の宝でした。

その宝を守るため、母・富美子さんは仕事に勤しみお互いを支えあって生きていきました。

そんな母の後姿を見たからでしょうか。磯谷利恵さんが中学生に上がると母に気遣い、家事を手伝うように。名古屋市内の大学の卒業、社会人になると「母にサプライズで家をプレゼントをしよう」と貯金をするようになりました。

20万円のお給料に対して、貯金額は10万円。

月給の半分を貯金することはもちろん大変でしたが、磯谷利恵さんは、流行りものやファッションなどには目もくれずひたすら真面目に働き、貯金に励んでいました。

結果、貯金額は約800万円にもなっていたそうです。

囲碁カフェで磯谷利恵さんと出会った男性

囲碁カフェで磯谷利恵さんと出会った男性
磯谷利恵さんは母へ立派な家を建てるという夢をプレゼントするため、ファッションや女性の流行にも目もくれず働いていましたが、30歳の時に転機が訪れました。

それはなんとなくで始めたネットゲームの囲碁でした。

すぐに囲碁に魅了された磯谷利恵さんは、囲碁の腕を磨くために囲碁カフェに通うようになり、そこで同じく囲碁カフェの常連で当時名古屋大学の院生だった瀧 真吾(たき しんご)さんと出会います。

瀧さんは磯谷利恵さんよりも四歳年下でしたが、お互い共通した囲碁という趣味を持っていたこともあり意気投合。恋人になるまでに時間はかかりませんでした。

磯谷利恵さんと恋人とのやりとり

磯谷利恵さんと恋人とのやりとり
数学の博士を目指す瀧さんと、目標に向かって貯金に励む磯谷利恵さんの真面目な交際をスタートしました。

しかし交際当時、瀧さんは携帯電話を持っておらず、磯谷利恵さんが仕事帰りに瀧さんの自宅に電話をして他愛のない話をすることが毎日の日課であり、また、二人にとっての毎日の締めくくりで、幸せなひと時でした。

彼が不在の時には留守電にメッセージを残しており、そのメッセージの中には、

「もしもし利恵です。携帯電話持ってないのはありえないよ、何かあったらどうするのさ。じゃあね~。」

という瀧さんが携帯電話を持っていないことを心配するようなメッセージもありました。

しかし、この穏やかで幸せな日々も三人の男たちによって終止符が打たれてしまいます。

名古屋・闇サイト事件の3人の加害者

今回、名古屋・闇サイト事件の犯人は3人の男でした。

それでは一体どんな男だったのでしょうか。

神田司とは

カテゴリ詳細
名前神田 司(かんだ つかさ)
生年月日1971年3月9日(犯行当時36歳)
出身地群馬県高崎市
当時の職業朝日新聞社の新聞勧誘員
群馬県高崎市に生まれた神田容疑者は、少年時代には暴走族に所属しており、中学校を卒業すると地元である高崎市内の工業高校に入学。

高校卒業後は広域暴力団の構成員となりましたが、さすがに家族にはこの事が言えなかったのか、「自動車関係の仕事をしている」と説明していました。

その後、仕事を東京・愛知と転々としましたがどれも長続きせず、遂には犯罪に手を染めた神田容疑者。偽装結婚や養子縁組のブローカーだけではなく、オレオレ詐欺を繰り返した結果、オレオレ詐欺で逮捕されてしまいます。

保釈後は名古屋に上京し、愛知県豊明市内の新聞販売店に入社したようですが、仕事は休みがちな上に勤務態度はあまり良いといえるものではなく、またお金にも困っていました。

川岸健治とは

カテゴリ詳細
名前川岸 健治(かわぎし けんじ)
生年月日1966年生まれ(犯行当時40歳)
出身地石川県金沢市
当時の職業無職
川岸容疑者は、中学時代に受けたいじめを受けていましたが、若い頃から犯罪に手を染める神田とは違い、高校卒業後に富山県富山市内で大手警備会社に就職し7年間勤務を続けた川岸は、結婚をし愛知県瀬戸内市内の分譲マンションを購入しました。

そこでは、愛する妻と子供4人と順風満帆に暮らしていました。

しかし、闇サイトを見るようになった事件の8年ほど前から勤務態度が一変。

2000年頃からは運送会社を転々としており、それだけではなく会社に借金をしては行方をくらますことを続けました。

結局、住宅ローンの支払いや税金を支払うことができなくなってしまい、滞納してしまった結果、2002年には購入した分譲マンションを差し押さえられてしまい、後に妻子と離婚し別れることになりました。

離婚後も運送会社に勤めましたがどれも長続きはせず、事件当時は2000万円の借金の取り立てから逃げるために無職で車上生活をしていました。

堀慶末とは

カテゴリ詳細
名前堀 慶未(ほり よしとも)
生年月日1975年生まれ(犯行当時32歳)
出身地岐阜県土岐市
当時の職業無職
5人兄弟の末っ子として生まれた堀容疑者は、小学生の頃に両親が離婚、中学二年生で不登校になってしまいました。その後は兄に連れられ外壁工事の手伝いを始めました。

中学時代は結局不登校が続き不登校のまま卒業し、高校にも入学しましたが長くは続かずに中退。また外壁工事に注力しました。

18歳になると結婚をして2児をもうけ、その4年後の22歳の時には独立し外壁工事業を営むようになりました。

しかしその一年後には離婚。

そのうえ、外壁工事の仕事はなかなかうまくいかず、それどころか浪費が原因で300万円の借金を抱え、子供のための貯金に手をだし、交際相手の所持品を質屋にいれてはお金を工面していたようです。

事件発生の半年ほど前には職を失い、当時交際していた相手女性の住んでいたマンションにヒモ同然で転がりこみ、小遣いを貰って生活していましたが、その頃に「闇の職業安定所」を見つけ、犯罪に手を染めるようになりました。

磯谷利恵と涙の再会、そして暗証番号の謎

磯谷利恵さんと母・富美子さん 涙の再会

母と数日ぶりに再会した磯谷利恵さんは変わり果てた姿でした。
ましてや最愛の娘と再会した場所が遺体安置所になるだなんて誰が予想できたのでしょう。

遺体安置所で再会し、変わり果てた姿の娘・磯谷利恵さんの遺体を見て、母・富美子さんは以下のように語りました。

「触るのも痛そうな感じだった。顔中青あざが広がっていたし、髪全体が糊で固めたようにバリバリになっていた。遺体はブルーシートで覆われており、首から上だけしか見えていない状態だった。でも、亡くなったというのが、あんな姿を見てもピンとこなかった」

 「そこから先のことは、姉から後で聞きました。記憶がないんです。ただ、ぎゅっと抱きしめてあげたかったけど、痛そうだったからできなかったということだけは覚えています。最後に、利恵の頬に私の頬をつけた時に、想像以上に冷たかったのを覚えています。姉によると、『もうお母さんがきたから大丈夫よ、安心して』と言いながら、ここもやられている、ここもやられているって……顔の傷をなでてあげていたらしいです」。

 2007年8月29日に行われた告別式では、娘を綺麗な姿で送り出してあげたいという思いがこみ上げてきたという。「あまりにも青あざがひどかったので、姉とふたりで綺麗に隠してあげよう、お化粧してあげようと。真っ赤な口紅をつけてあげたら、なんだか亡くなっているというより、眠っているようにしか見えませんでした」と涙を拭いながら語った。

出典: https://abematimes.com/posts/2862633 |

磯谷利恵さんが言った暗証番号の謎

磯谷利恵さんが最後の抵抗に零した暗証番号「2960」とは一体なんなのか。磯谷利恵さんが亡くなった事を聞いた恋人・瀧さんは、唯一謎となっている暗証番号について心当たりがありました。

それは磯谷利恵さんと生前していた、二人のやりとりに関係していたのです。

二人は電話で他愛のない話をすることが毎日の日課でした。その中でいつも行っていたのが、磯谷利恵さんによる数字の語呂合わせクイズでした。

そのことを思い出した瀧さんは、磯谷利恵さんが言っていた「2960」とは、語呂合わせで「憎むわ」というメッセージで、母・富美子さんと恋人である自分に向けた「後を託します。」という最後のメッセージだったのでないかと語りました。

皮肉にも、愛を育む中で行っていた語呂合わせクイズが謎を解く鍵となってしまいましたが、「彼女の最後のメッセージを拾ってあげられてよかった。」と瀧さんは語りました。

名古屋・闇サイト事件はどのように報道されたのか

名古屋・闇サイト事件は世間を震撼させました。

なんせ闇サイトは、犯罪の温床だと言われていましたが、実際に知っていて中身を把握しているのは一部の人間のみ。

一般的にはあまり実態が知られておらず、また、あまりにも犯行内容が無計画かつ無責任で残虐極まりないものだったため、マスコミは大きく報道し、日本だけでなく海外からも注目を集めました。

現在、名古屋・闇サイト事件から12年がたちましたが、今もなお風化させまいとニュースで報道されており、2018年12月には名古屋・闇サイト事件を再現したドラマが放送されました。

その影響か、今もなお名古屋・闇サイト事件を語る方が多いようですので、いくつかSNS上に上がっている呟きをご紹介いたします。



名古屋・闇サイト事件の加害者による主張

名古屋・闇サイト事件の加害者による主張

獄中からの手紙

なぜ何の罪のない人間をいとも簡単に殺せるのか、報道番組「ZERO」から容疑者の三人に向けて取材依頼の手紙を送ったところ、川岸容疑者のみ手紙の公開に応じました。

届いた手紙は3通で16枚に渡り、狙う女性のターゲットや、誘拐した後はどうするかという事件の詳細が書かれていました。

「狙う女性については、一応基準があり、20代後半から30代前半で、派手じゃなく黒髪でストッキング姿の質素なOL風な感じの女性。あまりブランド品は身に着けていなく一人暮らしが好都合と具体的に決まっていた。この基準に合う女性は貯金を持っている人が多いとか。女性は殺すとあっさり決まった。」

「彼女も自分も運が悪い」

川岸容疑者の手紙はまるで反省が見られないだけではなく、その後行った面会での取材でも悔いる様子はありませんでした。

獄中からのブログ

名古屋・闇サイト事件の主犯格である神田容疑者は、取材依頼を受けることはありませんでしたが、知人にブログの開設を依頼して「真実 神田司 前略、名古屋拘置所より」というブログを立ち上げました。

神田容疑者はブログに書く内容を記した手紙を知人に送り、ブログにあげてもらうよう依頼。知人は手紙をもとブログ内に文字起こしした記事を投稿し公開すると、犯罪者が事件のことを詳細に語るとだけあって、瞬く間に話題となりました。

今回は、神田容疑者が書いたブログの冒頭文をご紹介します。

それではなぜ昨年の夏私達が「強盗殺人」を犯したのか、『真実』を綴ります。
もちろん「法廷」でのやりとりも法に触れない範囲でお伝えします。

マスコミがスポンサー都合上『割愛』している一番大事な所も包み隠さず出来る限り
綴ります。

その事で「私が」不利に成ってもそれは仕方の無い事です、それこそが『真実』なの
だから、ですがそれでも『日本国民』と平和を願う人々全てに読んで欲しい。

ひとりでも良い「私達」の二の舞を犯さないように、私は強く切に願い『今』祈って
止みません・・・。

出典: https://web.archive.org/web/20090122043835/http://blog.li... |
このようにブログの冒頭では、まるで誠実にすべてを語ると書いてありましたが、次々に語られていく内容はあまりに身勝手と思える内容でした。

一方で、この投稿内容を受け、当時ブログ内に設置されたコメント内では、次のような批判的な意見が多く並んでいました。

4. 死刑台
2009年01月18日 18:34
ご遺族だけでもいたたまれないのに
世間全てをあまりにも冒涜してる
早期に首を吊られる事を

出典: https://web.archive.org/web/20090123051522/http://blog.li... |

5. おいおい
2009年01月18日 21:43
「私たちの二の舞」って自分被害者面するなよ
いい年こいてこんなことするな
本でも出して刑務所でた後印税暮らしでもしようと思ってるわけ?
残念だけどそれはないね
手紙ばかり書く暇があるようなので一刻も早い死刑が必要ですね
紙がもったいない飯がもったいない人件費がもったいない

さらにこういうブログでの協力者も罰する法律があればなおよい

出典: https://web.archive.org/web/20090123051522/http://blog.li... |

6. とおりすがり
2009年01月18日 22:43
はじめまして。
拝見してやはりあなたに憤りを感じています。

人を安易にあやめておきながら真実云々をこちらで述べるという言動が理解できません。

あなたは本当に被害者に申し訳ないと反省していますか?
真実をblogで語るよりも、確実に御自身で起こした罪を償うべきです。

出典: https://web.archive.org/web/20090123051522/http://blog.li... |
当然といえば当然かもしれませんが、コメント内は神田容疑者を否定する意見が並んでおり、神田容疑者を守るような意見は一つもありませんでした。

名古屋・闇サイト事件の判決

世間を震撼させた名古屋・闇サイト事件の裁判は約4年間に渡り続けられ、その中でも一審での判決は事件から2年後の平成23年3月18日に下りました。

平成23年3月18日 第一審では神田容疑者と堀容疑者は強い利欲目的・計画性の下で殺害行為を実行したとして死刑。

川岸容疑者は自首をして共犯者の逮捕に協力したことを評価され死刑を免れ、無期懲役となりました。

しかし平成23年4月12日の第二審では

「犯罪に対する抵抗感が希薄であることは否定できないが、いずれも本件の他に、凶悪犯罪への傾向を示すものは見当たらないことから、犯罪性向が強いとはいえず、矯正可能性があると考えられる」

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%82%B5%E3%82%A4... |
として、堀容疑者に下された死刑判決を破棄

無期懲役が言い渡されました。

名古屋・闇サイト事件の判決に対する署名活動

当時の司法では例えどんなに殺され方をしようとも、一人の命では極刑である死刑にすることは難しく、名古屋・闇サイト事件では神田容疑者と堀容疑者こそ極刑である死刑となりましたが、川岸容疑者は無期懲役となってしまいました。

なぜ一人の命では極刑にすることができないのか。到底理解ができません。

司法の判断を覆すことを考えた母・富美子さんは被害者代表として容疑者全員の極刑を望む署名活動を始めました。

当時、世間を震撼させた事件ということもあり署名は日本だけではなく海外からも届き、結果、30万人の目標署名数を超え、約33万人の署名が集まりました。

しかしこの署名は認められることなく、それどころか堀容疑者の判決にいたっては信じられない判決内容がかえってきました。

「被害者が1人で、死刑がやむを得ないほど他の量刑要素が悪質といえないとした二審の判断に誤りはない」

出典: http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/ |
これにより、平成24年7月11日に主犯格である神田以外の川岸と堀は無期懲役が確定。

判決を聞いた母・富美子さんは泣き崩れ、磯谷利恵さんの遺影に報告はできなかったと言います。

神田容疑者の死刑執行

平成27年6月25日、第一審で死刑となった神田司死刑囚の死刑が執行されました。

法務省は25日、平成19年に名古屋市内で起きた「闇サイト殺人事件」の神田司死刑囚(44)=名古屋拘置所=の死刑を執行したと発表した。第3次安倍内閣で初めて。上川陽子法相は就任直後の記者会見で「今の法の仕組み、枠組みを前提として行動するのが第一義。澄んだ心でこの制度に厳正に向き合うつもり」と死刑制度を維持する意思を表明していた。

出典: https://www.sankei.com/affairs/news/150625/afr1506250013-... |
死刑が執行されたことを受け、母・富美子さんは事件開始から死刑執行まで約8年間かかったことに対して

死刑執行まで遅すぎたぐらい。とはいえ、一つの区切りになったが、娘は帰ってこない」

「もう一度、娘を抱きしめられたら、どれほど幸せか」

とコメントしました。

そんな中、他の事件にも関与していた事が発覚

神田容疑者の死刑執行から半年後。

富美子さんの願いや30万人を超える署名もむなしく、名古屋・闇サイト殺人事件で無期懲役と判決された堀容疑者でしたが、その後の捜査で余罪があることが判明し、事件は急展開を迎えました。

堀容疑者は事件前にも、愛知県碧南市でのパチンコ店長夫婦殺害事件や名古屋市での強盗殺人未遂事件を起こしていました。

この発覚により平成27年12月に地裁の裁判員裁判で死刑が言い渡されましたが、現在は死刑判決を不服として最高裁に上告中。

いまだ死刑は執行されておりません。

名古屋・闇サイト事件を振り返る

名古屋・闇サイト事件を振り返る
名古屋・闇サイト事件から12年。名古屋市内ではこの事件をきっかけに、街頭や防犯カメラを新設し、防犯パトロールを実施するようになりました。

近年では風化しつつあるようで防犯パトロールの頻度こそ減ってしまいましたが、現在も磯谷利恵さんの母・富美子さんが事件を風化させまいと、名古屋・闇サイト事件について各地で講演をしております。

そして事件が風化していく一方で、当時に比べてインターネットが盛んとなり、現在では闇サイトといえる怪しげなサイトや怪しげな書き込みが私たちの見える範囲へと現れるようになってきました。

所詮他人事というにはあまりにも身近になった犯罪は、私たちのすぐそこで手招きをしています。

磯谷利恵さんの死を無駄にしないためにも、そしてもう二度とこのような事件が起きることがないよう、この事件を広めていくことが被害を最小限に留める最善策と言えるのではないでしょうか。

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